東洋大学大学院サイエンスカフェ「世界を変えたサイエンスライター~レイチェル・カーソンの生涯と業績」
2024年10月8日、東洋大学大学院 科学コミュニケーション特論の公開講義として、サイエンスカフェ「世界を変えたサイエンスライター~レイチェル・カーソンの生涯と業績」が実施されました。講師はサイエンスライター 渡辺政隆さんでした。
渡辺さんはこの日、初めて「スライドを使わないサイエンスカフェに挑戦する」といわれて語り始めました。
渡辺政隆さん
開場風景
「沈黙の春」
私がこの本に出会ったのは大学1年のとき。そのときは「生と死の妙薬」というタイトルだった。原作は1962年に発表され、日本ではその2年後に和訳されていた。
最近になってこの「沈黙の春」が、中国の小説「三体」の第1部で取り上げられ注目されている。主人公の宇宙物理学者(女性)は文化大革命で強制労働させられているとき、「沈黙の春」という本に出会う。「沈黙の春」に傾倒した主人公は中国での自然破壊、森林伐採などを問題視したためにさらに弾圧されていく。
DDT(カ、シラミの特効薬)はドイツの化学者が発明した農薬(後にノーベル化学者を受賞)で、第二次世界大戦中にはアメリカ軍がマラリアを媒介する蚊の駆除に使った。戦後、日本人もシラミ駆除のために頭からDDTをかけられたが、昆虫以外には害は少ない薬剤とされており、特に健康被害はでなかった。しかし、大量散布の中で害が出てきた。
散布されたDDTは湖水に流れ込み、それが植物プランクトンに吸収され、それを動物プランクトンが食べ、そのプランクトンを魚が食べ、それを鳥が食べ、その鳥を猛禽が食べという食物連鎖の中でDDTの成分が濃縮されていった。その結果、猛禽類の生殖に影響が出た。象徴的には、アメリカの国鳥ハクトウワシの卵の殻が薄くなって孵化しない、子どもができなくなくなった。それ以外の殺虫剤の被害も深刻だった。アメリカではニレ胴枯れ病を媒介するキクイムシ駆除のために大量散布された殺虫剤のせいで鳥が死に、鳥の鳴かない春になった。まさにイギリスの詩人キーツ「湖畔の杉は枯れて鳥は鳴かない」という光景が出現し、「沈黙の春」になった。
殺虫剤など農薬の大量散布のデータを集め、カーソンは本を書いた。このころ、ケネディ大統領が農薬使用に関する会議を開き、やがてDDTは使用・製造禁止になった。同調する国が多くあらわれた。
現在は、マラリア被害の大きい一部の国の屋内に限ってDDTの限定的使用が認められている。
「沈黙の春」の影響
カーソンに対して、カが増えたためにマラリア被害が出ているという誹謗中傷の声があがった。自治体などからは農薬批判へのクレームも出た。農薬を使わない農業で飢餓にするのか?彼女はヒステリーだ、博士号を持たない独身女性ではないか?などの個人攻撃に発展した。一方、カーソン支持の声も高かった。
「沈黙の春」は人々を環境保護に目覚めさせ歴史を変えた。自然破壊や気候変動による危機に見舞われている今、「沈黙の春」を改めて世に問う意味で新訳を出すことにした。
レイチェルカーソン(1907-1964年)はどんな人
1907年生まれで、自然が好き、文章を書くのが好き、作家志望だった。ペンシルバニア女子大で英文学を専攻したが、実験を通して生物学が好きになり、生物学に転向。在学中にも投稿していたので、文学に進むべきと学長から転向を反対されたりもした。
ジョンズ・ホプキンス大学大学院でウナギの発生学を学び、海の生物に関心を持つようになる。シングルマザーの妹もいて、生活のために博士課程進学を断念。アメリカ農務省漁業局のサイエンスライターになって、一般向けの広報原稿を書くようになる。女性が理系の大学の職につくのは難しかった時代で、カーソンの指導教官(女性)でさえ正規採用になれないでいた。
農務省漁業局のライターとして力を発揮したカーソンは、広報用のラジオ番組の脚本を書いたり、一般雑誌に投稿したり。
第1作は「潮風の下に」。第2作目の「われらをめぐる海」は物理学的存在の海と生物の関係について書いたものでベストセラーとなり、賞も受賞した。第3作の「海辺」もベストセラーになり、カーソンは1950-60年代の有名作家のひとりとして認められるようになった。カーソンの作品は、自然の美しさを科学的・哲学的に書く「ネイチャーライティング」そのものだった。ネイチャーライティングには、ソローの北米の大自然を描いた「森の生活」やシートン動物記などがある。
日本では「海辺」などを翻訳した上藤恵子さんが、作品だけでなく生き方に共感し、レーチェル・カーソン協会を設立している。
日本における「沈黙の春」
「沈黙の春」の日本語訳の初版は「生と死の妙薬-自然均衡の破壊者」。訳者は青樹簗一(本名は南原実氏、東大名誉教授 ドイツ文学)で、現在手に入る文庫版では訳者のあとがきと原書についている膨大な参考文献がカットされていた。このために根拠なく書いたように思われかねない。それと、青樹簗一氏の訳は格調高いものの、超訳的なところもある。
カーソンはDDTが殺虫剤として危ない!とだけをいっているのではない。彼女の考え方は自然のバランスを強調する生態学の考え方にのっとっている。農薬が自然のもつ抵抗力を奪っていることを問題視している。使い方を考えて最低限の農薬を使うように再考しようと問いかけている。
賛否両論
「沈黙の春」に批判的な人たちは、この本は農薬禁止を訴えているという。本書が説いているのは、1種類の作物を大量に栽培する「単一栽培」がよくないから多様な作物を植えよう、天敵も利用しよう(外来生物が地元で害虫でなかったのは、地元には天敵や病気があって総合的防除ができていたから)など、農業の全体をみつめる考え方が提示されている。
当時のアメリカでは住宅街でも上空から農薬をまいてペットが死んだりしていた。1960年当時も総合的防除という考え方はあったが、注目されていなかった。カーソンはそこにも目を向けた。
日本では農薬散布で蛍が減った。無農薬栽培は無理でも毒性が低い農薬を使ったり、自然農法をしたりしている人たちもいる。農業と環境を考えるきっかけをつくったのがカーソン。
レーチェル・カーソンの遺したもの
今、最も注目されているカーソンの作品は「センスオブワンダー」だろう。自然界の美しさ、脅威を感じとる心は子供の時から育まなければならない。その心があれば一生豊かに暮らせると彼女は言っている。
いっしょに暮らしていた甥と海の家で生物観察をした経験を基にして書いたのがセンスオブワンダー。「沈黙の春」を書いたころはがんが再発してつらい状態で、2年後になくなった。「センスオブワンダー」という短いエッセーが埋もれていたが、没後に出版された。日本では上藤恵子さんが翻訳して出版。映画もつくられ、カーソンの海の家でもロケが行われたという。
女流科学者には厳しい時代だったが、彼女の著書は環境保護思想がうまれるきっかけになった。カーソンは時代を切り開いた女性研究者であり、作家であり、社会に風穴をあけた。