大阪公立大学・Food Bio Plus 研究会共催セミナー 「未来の食のパーセプション・ギャップ(認識のズレ)解消」
第3期SIP(内閣府戦略的イノベーションプログラム)「豊かな食が提供される持続可能なフードチェーンの構築」に大阪公立大学を代表機関とする「食のミカタ」コンソーシアムが採択されました。2024年3月14日、「食のミカタの味方」(サポーター)募集を兼ねて、セミナーが開かれました。
会場からの配信風景(於 バイオインダストリー協会)
1.「食のミカタ」のミッション
大阪公立大学農学研究科 教授 小泉望 氏
生産流通消費における科学技術活用パーセプションギャップ解消というテーマに、大阪公立大学と(株)モンジュードで応募した。私たちのコンソーシアム名「食のミカタ」は見方、考え方をさす。
行動科学(ナッジ)を利用して、従来型の説得的なコミュニケーションから自発的行動変容につなげるナッジ型コミュニケーションを追求する。
扱うテーマはゲノム編集技術と肥料(家畜排せつ物や下水汚泥から得られる)。ゲノム編集食品のパーセプションギャップは事業者と消費者間。肥料に関しては消費者より畜産農家と利用する農業者などステークホルダーが増えて複雑になるだろう。
今日、参加されている皆さんにはこのプログラムを推進するサポーター「食のミカタの味方」になって応援していただきたい。具体的には、アンケートへの協力など。我々からはニュースレター配信、オンラインサロンなどを行う。
2.「食におけるブランド効果~あきたこまちを事例に」
大阪公立大学経営学研究科 小林哲 氏
専門は、地域ブランディングやフードバリューチェーンなど。現在、トクホ(特定保健用食品)が健康行動に及ぼす影響も研究している。トクホ制度は、単に商品の効果を保証するだけでなく、健康に寄与することが目的で、商品を売って終わりというわけではない。健康行動を誘発することが重要。
一般に、コミュニケーションは、送り手の情報を正確に受け手に伝えることを目的としている。しかし、マーケティングのコミュニケーションはこれと異なる。たとえば、広告には企業の「商品を買って欲しい」という気持ちが込められているが、それが消費者に伝わったら失敗。消費者は天邪鬼で、「買って」と言うと買いたくなくなるから。「買って」と言わずに、消費者が買いたくなるような行動変容を起こすのがマーケティングのコミュニケーションで、まさにナッジ型コミュニケーションだと言える。
米のブランド「あきたこまち」は、ナッジ型コミュニケーションが成功した例。あきたこまちの品種名は「秋田311号」で、あきたこまちはニックネーム。当時、コシヒカリやササニシキなど男性的なカタカナの名前が多い中、ひらがな名にし、女性らしさを強調したことが、従来の米との差別化につながった。さらに、美人の象徴となっている小野小町を米と関連付けたことも大きい。小野小町は、単にあきたこまちの女性的なイメージを強化するだけでなく、品質の良さを強調する役割も担っている。
米は、炊き立てだとほとんど味の違いがわからないと言う。質の違いは冷めたときで、ブランド米は冷めても美味しい。つまり、消費者は米そのものを評価して買っているのではなく、ブランドで買っている。ブランドには、製品識別機能(他の米と異なるものとして認識する)、意味付与機能(女性らしさ等の本来製品にはない意味を付与する)、知覚矯正機能(あきたこまちが美味しいと思っている人は、それを使用したおにぎりも(おにぎりの美味しさには他の要因も大きく影響するにもかかわらず)美味しいと思う)の3つの機能がある。この中の知覚矯正機能がナッジ。ブランドが付与されることで、態度変容(認識・評価・行動が変わる)が起こる。あきたこまち以降、良質な米ブランドが数多く誕生したが、未だにあきたこまちは売れ続けている。これがブランド効果だと言える。
3.「ナッジを活用した具体的な事例(ヘルスケア領域)」
(株)モンジュード 取締役 中村順 氏
ナッジとは、リチャード・セイラー(行動経済学者、ノーベル経済学賞受賞)が提唱した。選択を禁じることも経済学的なインセンティブを大きく変えることなく、人々の行動を予測可能な形で変える選択のアーキテクチャーのことをナッジいう。ナッジとはかるく肘でこづく、強制的でない自然な後押しのイメージ。
ナッジは、法律を変えることなく、選択の自由を残し、経済的なインセンティブを使わずに人の行動変容を起こす。
英国にはBITというナッジを公共政策に活かす機関がある。日本ではBESTという日本版ナッジユニットを環境省が運営している。このほかに経産省、尼崎市などにもある。ナッジと公共政策は相性がいい。なぜなら、コストがかからず、倫理的な問題を解決しやすい。
ナッジには、法律的な手法、経済的な手法(助成金をつけるなどの動機付け)、情報的手法があるが、ナッジを使うときに倫理的に問題がないかをチェックする必要がある。問題があるナッジは「スラッジ」と呼ばれる。
誰もがよいことだと認めていることがある。例えば、健康になる、人命救助、環境によい、税金を期限内に納める。これらのことはナッジになじむ。
人に行動を促すためのフレームワークがあり、9つの頭文字をとってMINDSPACEと言う。さらにそれを4つにしぼったEASTもある。MINDSPACEやEASTは、人が行動したくなるようにする条件でもある。
例えば、自分がやらないといけないとわかっているのに、できないときに、宣言すると有言実行しなくてはならない気持ちになる(Commitment)。
自分がやらなくてはいけないとわかっているのに、できない時は、選択肢を減らしたり調整したりして選ぶように仕向ける(Defaults)。
情報が多すぎる時には、時宜があったときにシンプルな選択肢を提示されると選びやすくなる(EasyとTimely)。
Messengers | 情報発信者が権威ある人、重要な人 |
Incentive | 動機付け。損をしないようにする。 |
Norms | 社会規範(みんなもやっている) |
Defaults | 初期設定で限定されている。 |
Salience | 目につく、自分に適している。 |
Priming | 潜在意識 |
Affect | 感動するものに惹かれる |
Commitments | 約束を公表する。有言実行。 |
Ego | 自分に都合がよい。心地よい。 |
図1 MINDSPACE
Easy | 簡単である |
Attractive | 魅力的である |
Social | 社会的規範(皆がやっている) |
Timely | 時期が適切 |
図2 EAST
いくつかの事例を紹介する
〇インフルエンザワクチン接種率を高めたい
接種に関する情報提供サイトに受けたい日付を記入するスペースや受けたい日付と時刻を書き込むスペースを設ける。日時記入スペースをつくるだけで、3~4%接種率が上がった(Commitment)。
〇HIVの予防行動をとらせたい
説明者によって効果が異なる。専門家が異性より同性の方が高い。自分と同じ立場の人、同じ民族から伝えられると有効(Mssengers)。
〇がん検診をうけさせたい
「検査を受けた人は翌年は自動的に検査キットがとどきます」を「検査をうけないと来年は検査キットが届きません」に表現を変えたら7.2%上がった(Incentive)。
〇臓器提供
臓器提供の低い国では、臓器提供したい人はチェックを入れる。
臓器提供の高い国では、臓器提供したくない人はチェックを外す(Defaults)。
〇納税が遅れている人への督促状
「あなたの県では9割が納税しています」より、「あなたの町では9割が納税しています」と書くと、納税率が上がる(Norms)。
4.「食の安全のパーセプションギャップ」
大阪公立大学獣医学研究科 教授 三宅眞実 氏
病原細菌学が専門。食品中の病原細菌による食中毒の啓発活動として食の安全のリスクコミュニケーションと関わってきた。新型コロナウイルス感染症の流行の中で人々の行動変容に取り組む際にもパーセプションギャップを感じていた。そこで、食分野での経験を、本課題に取り入れたいと考えている。
(1)食の安全と安心の間のギャップ
安全な食品と安全でない食品の間に実際には境界はなく、間には健康リスクがグラデーションになっている。政府が安全と安全でないの間に線引きをしている。また、安全や安心の感じ方には個人差がある。
完全に受容していれば、安心して食べる。選択肢が他にあれば安全でも食べない。安全でなかったり、不安感が大きければ選択肢がなくても食べないだろう。
食べない人もきっかけがあれば食べる可能性がある。心理的なものが変わると動機づけができるはずだが、ここでも個人差があるだろう。たとえば、家庭環境、新しいもの好きの性質、トラウマの有無など。
(2)リスクアナリシスとギャップアナリシス
リスクアナリシスは、リスク評価、リスク管理、リスクコミュニケーションの3要素からなる。
食分野には、リスクアナリシスを実現するための具体的な手法としてHACCPがある。全行程のハザードをリストアップし、それらをゼロにできるように作業内容、標準手順書を作成し、実践する。実際には抜き取り検査しかできないし、結果がでるまで時間がかかると結果がでたときには食べ終わっている食物もでてくる。
このHACCPの手法をパーセプションギャップの解消に使えないかと考えている。不安要因を分析して消費者の懸念を減らせないか。HACCPは微生物相手だが、不安は心理因子を相手とする。個人差があるので、なかなか難しい。危害因子を可視化し除去していくわけだが、心のあり方は否定因子と肯定因子のバランスで決まるので、否定因子を解消し、肯定因子の強化(動機付け)を行う。
心理と行動の関係は多くの因子のネットワーク関係の中で影響を及ぼしあう。従って、多変量解析により心理要因と行動出力の関係は理解できるだろう。ここで「説明変数」は、魚好き、アウトドア派、数学が好きなど多様な心理要因になるだろうし、「目的変数」は食べる、食べない、できれば食べたくない、もしかしたら食べるなどの行動出力となる。このような解析手法でギャップ形成のメカニズムを科学的に理解することで、ギャップ解消の方法論が見えてくるのではないか。