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  • 第11回 ヒトゲノムを用いる実験教室「私たちのDNA」

     2016年9月24日、東京農工大学の遺伝子実験施設にて、ヒトゲノムを用いる実験教室「私たちのDNA」が開催されました。2006年から開催してきた「私たちのDNA」は様々な方に応援していただき、今回で11回目を迎えました。今年も東京農工大学 遺伝子実験施設との共催、特定非営利活動法人個人遺伝情報取扱協議会、バイオ・ラッド ラボラトリーズ株式会社の協賛、東京テクニカルカレッジ・バイオ科の協力を得て、開催しました。参加者のみなさんから「本格的な実験が体験できるだけでなく、講義内容もとても濃く、とても充実した一日が過ごせた」と毎回好評のイベントです。
     会場を提供してくださった東京農工大学 遺伝子実験施設・丹生谷博先生、東京テクニカルカレッジ・バイオ科の大藤道衛先生を講師に、そして、ゲスト講師として、早稲田大学 社会科学総合学術院の横野先生においでいただき、差別についてお話いただきました。また、実験については実験のティーチーングアシスタントとして須田亙さん、立田由里子さんが今年もお手伝いをしてくださいました。
    なお、過去3回の様子については下記をご覧ください。

     ヒトゲノムを用いる実験教室「私たちのDNA」レポート
    第8回 https://www.life-bio.or.jp/topics/topics555.html
    第9回 https://www.life-bio.or.jp/topics/topics591.html
    第10回 https://www.life-bio.or.jp/topics/topics626.html


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    丹生谷先生の挨拶
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    全体の様子

    自身のDNAを解析するための手順

    私たちヒトは、1セット23本の染色体を2セット持っており、それらには便宜上、第1番から第23番まで番号が付いています。実験教室では昨年同様、口腔内細胞から抽出したDNAをサンプルとして、第16番染色体上のPV92 部位にあるAlu配列というDNA配列の有無を調べる実験をしました。
    参加者みなさんがご自分のDNAを使用して実験するので、東京農工大学内の倫理審査委員会での承認を得る手続きを、丹生谷先生が当日までにあらかじめ済ませてくださいました。当日は、参加者がご自身のDNAを調べることについて、大藤先生から説明がありました。説明後、参加者全員が納得してくださり、同意書にサインをしてから実験を開始しました。


    実験

    実験は、次のような内容でした。
    ・生理食塩水を口に含んでブクブクとさせたのち、遠心分離で口腔内細胞を集める
    ・集めた細胞を細胞溶解液で壊してDNAを取り出す
    ・PV92部位にあるAlu配列だけを、PCR法でたくさん増やすための試薬を加える
    ・サーマルサイクラー反応装置にサンプルをセットし、PCRでDNAを増やす
    ・増やしたDNAに専用の色素を加え、アガロースゲル電気泳動後、DNAの染色を行う
    会の一番最後、話し合いの時間にグループごとに電気泳動結果を見て、PV92部位にあるAlu配列の有無を確認しました。
    残った参加者のDNAですが、個人遺伝情報保護の観点から、参加者自身の手で実験の最後に塩酸を加えることで分解し、廃棄しました。
これらの実験は、本実験教室の協賛であるバイオ・ラッド ラボラトリーズ株式会社が提供してくださった、主に高等学校向けの理科教材として販売されている教材キットを中心に使用しました。
    DNAを増やすために数時間程かかりましたので、その間に昼食とラボツアー、大藤先生と横野先生のお話を聞きました。
    ラボツアーでは丹生谷先生が遺伝子実験施設にある実験室や遺伝子の解析に使用する装置などの説明などをしてくださり、普段見ることのない実験室や高価な実験装置に、参加者のみなさんは興味深々で丹生谷先生の説明を聞いていました。


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    大藤先生の講義(模型での染色体や遺伝子の説明)
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    丹生谷先生によるラボツアー
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    ティーチーングアシスタントの須田亙さん
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    ティーチーングアシスタントの立田由里子さん

    講義1
    大藤先生のお話「ゲノムの話~私たちはどこからきたの?生まれと育ち~」

    ゲノム、DNA、遺伝子、染色体
    微生物、植物、動物、どの生き物も細胞の核の中にDNAを持っている。1966年に公開された映画「Fantastic Voyage(ミクロの決死圏)」を観た方もいるかもしれない。今日話すDNAや分子の世界はミクロ=マイクロのさらに1/1000の世界、まさにナノの決死圏。生物はDNAが変わることで進化が生まれている。
    遺伝子はタンパク質を作るための情報。実際は一旦RNAにコピーされてから、その情報をもとにタンパク質が作られている。各々の生き物が持っているすべての遺伝情報をまとめたものをゲノム呼ぶ。ゲノムは、遺伝情報を親から子へ伝えられ、私たちの体の中ではその遺伝情報を活用する役割を担っている。私たち人間の体のどの部分の細胞にも、同じゲノムが入っているが、そこにある遺伝子の働き方が異なるためにそれぞれの体のパーツとなる。
     
    Alu配列の話
    
Alu配列とはおよそ300塩基対のDNA配列で、その配列も分かっている。レトロトランスポゾンと呼ばれ、ゲノム上を動く。
    アフリカで生まれた現生人類が世界中へ移動する過程で、ゲノムのある部分にAlu配列の入った人が現れた。その人の子孫が増えることで、ゲノム上の特定の部位にAlu配列が入っている人が増え、DNA型の多型が生まれたと考えられている。世界では地域差があり、東南アジアや韓国、日本ではPV92部位にAlu配列が入っている人が多い。
    生まれと育ち/ジェネティクスとエピジェネティクス
    多くの病気が1つの遺伝子によって決まっているわけではない。単一遺伝子病は遺伝するが、多くの病気の原因には、遺伝と環境が相互に関係している。
    “エピジェネティクス”という言葉があるが、その1つがDNAの“メチル化“。例えば一卵性双生児は同じ遺伝情報を持ち、小さい頃はほぼ同じ、良く似ているが、大人になると遺伝子の”メチル化“の位置が変わることで遺伝子の働き方も変わってくる。一卵性双生児でも、大きく成長すると体質や病気のかかりやすさに違いがでるのは、メチル化によるのかもしれない。
    
 
    ゲノム情報の利用
    近年はDNAの配列の解析技術が大きく進み、20年前、ヒトのゲノムを全部読むには5000年かかるといわれていたものが、今は数日で可能になった。それと同時に、様々な病気とゲノム情報を関連付けて医療に役立てようと、たくさんのゲノムデータを扱うプロジェクトが国内外で進んでいる。
    すい臓がんで亡くなったスティーブ・ジョブス氏は、生前に自身の遺伝子解析をしている。その結果、どういった遺伝子がすい臓がんで変化しているのかというところまでは明らかになったが、それに対応する治療薬がなく、残念ながら亡くなってしまった。でも、彼はこうやって自らのゲノム情報を調べて医療を受ける姿勢を示し、今後の医療の在り方を考える材料を残してくれた。
     
    遺伝子リテラシー教育について
    
1980年代、米国ではバイオ産業の振興と同時に、学校教育でも生物学と社会とのギャップを埋めるようなカリキュラムが始まった。これは、高校教員から草の根的に発生したもの。大学で高校教員に対する遺伝子実験などのトレーニングが始まり、1990年代には生物の教科書や教材が充実した。現在、米国の多くの州では、科学的にものを考えるための基礎になるSTEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics:科学、工学、技術、数理)の要素を取り入れた授業を展開する教育が広がっており、日本でも度々取り上げられている。
     
    このような流れの中、今回の実験教室に実験キットを提供してくれたバイオ・ラッド社の米国本社では、20年前からバイオテクノロジーと社会との関係を学ぶ実験教材の開発が始まった。高校教員からバイオ・ラッド社の社員になったロン・マーディジャンが中心となって開発が進められた。彼は残念ながら若くして亡くなったが、彼の功績は全米科学教員協会(NSTA)でも認められ、彼の名前のついたアワードが作られるなどしている。


    講義2
    横野先生のお話「遺伝情報と私たち:差別しない/されないために」

    自分は医療分野の法律を専門としている。個人遺伝情報の扱いというと差別を気にする人が多い。日本では遺伝情報で差別をしてはいけないという法律はない。そこで、どうしてこういう問題が議論されるのか、ここで考えてみたい。
    遺伝情報の利活用は、どうして差別と結び付けられるのか。雇用、保険、結婚などについて、差別はあってはならない、許されないという意識が一般的にはあるし、国際的にもそのように理解されている。国際的にはユネスコが「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」、「ヒト遺伝情報に関する国際宣言」などを出している。日本では「ヒトゲノム研究の基本原則」が科学技術会議生命倫理委員会により2000年に出されたが、これは研究に関する内容になっている。
     
    遺伝情報の特性と差別
    遺伝情報の違いで差別をしてはならないということについて、前述の宣言などでルール化されたのは、不正義があったから。
    遺伝情報の特性として個別性がとても高いことが挙げられる。一卵性双生児、クローン個体は例外であるが、原則、他の個体(他人)と同一であることはない。個人識別に利用可能であり、今回改正される個人情報保護法にある個人識別符号にあたるとされる。
    その他、遺伝情報は不変性、予測性、共有性、入手の容易性、社会的有害性などがある。
    予測性については、「未来の日記」ともいうことができる。しかし、ゲノム研究の発展し、病気の発症予測できても治療法に開発につながったケースは、まだほとんどない。
    共有性について、近い血縁者間では遺伝情報を共有しているがそういったものだけでなく、ある特定の地域に住む人々のような共同体集団における共有性というのもある。
    そして、入手の容易性について、イギリスの人体組織法では、無断でDNA解析を行うことを目的としたサンプル所持あるいは解析は処罰されることになっている。
    社会的有害性について、遺伝に関係することが個人や集団に対する不当な扱いの理由となったことがある。差別の可能性、遺伝的リスクのある個人に対する差別的取り扱いをどのように考えるべきか。HIV検査結果の情報と、遺伝情報とどうちがうのだろうか?
     
    優生学との関係
    ナチスドイツは、その当時は学術的に進んでいた。ジェノサイド(この場合はナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺)についても大量の医学者や科学者が関係しており、大量虐殺を正当化する理由として遺伝学が使われた。ナチスはがんの研究に注力していたようで、がんの発生率の違いは人種的資質の違いにあるものとした。ユダヤ人はある種のがん発生率が比較的高く、これは人種的資質が劣っていると考えられ、大量虐殺にまで及んでしまった。
    ゴッダードという心理学者が行った、カリカック家の研究という心理学の有名な研究がある。現在、その研究結果には正当性がないと言われているが、1950年代ぐらいまでは影響が大きい研究結果だった。知的障碍者であったカリカック家のある女性についてさかのぼって調べていくと、その家系には知的障碍や社会的に逸脱した人が比較的多くいたことがわかった。数代さかのぼった時代にいたある男性が不倫をした相手の女性に知的障碍の因子をもっていたため、その子供たちに受け継がれてしまったと推定された。
    その男性が正式に結婚した家系は恵まれた環境にあり、障碍を持つ人はいなかったが、不倫相手の女性との間に生まれた子どもたちの家系は貧しい環境にあった。それらのことから、障碍が受け継がれたのは遺伝によるものなのか、それとも環境によるものなのか、議論がなされている。
    現在、この研究は加工された写真を使っていたなどのことから科学的信頼が下がり、研究の価値も下がったが、発表された当時は優生学が流行った時代であり、大きな社会的影響があった。
     
    優生学と差別的取り扱いの歴史
    優生学とは、1883年にゴルトンが作り出した言葉。科学としての優生学だったが、社会的に利用されるようになった。社会の中で優れている、望ましい遺伝因子を残すことで良い社会ができるだろうとされ、そうでない人たちの結婚制限や断種などの消極的優生学が社会的に推し進められた。積極的な優生学、すなわち優れた人を増やすことはあまり推奨されてこなかった。
    1907年にインディアナ州で初めて成立した断種法は、その後およそ30州で成立、政策として進められていった。ナチスの遺伝病子孫予防法はアメリカのこれらの状況を参考にして作られた。
    実はゴルトンはダーウィンのいとこにあたる。ダーウィンの唱えてきた進化論が正しいとされると、これまで支持されてきたキリスト教的な思想が当てはまらなくなってきた。さらにメンデルの遺伝の法則が発表されると(1865年)、ゴルトンは進化論を人間に応用しようと考えたのだろう。
     
    日本で起きたこと
    日本でも国民優生法が1940年に成立、優生学をベースとした政策を進めようとされた。この頃は日本が戦争を始めようとしようとしていた時代で、不妊手術が優生手術として行われていた。一方、当時は人口増加策として人工中絶が違法だった。しかし第二次大戦終結後、闇堕胎や占領下での性暴力が増えたことから、1948年に優生保護法が成立した。優生保護法の目的には優性上の見地から不良な子孫の出生を防止することが含まれ、一定の条件で人工妊娠中絶を合法化した。人工妊娠中絶の適応理由にはハンセン病、4親等以内の精神疾患、遺伝性奇形、遺伝性疾患が多く、その他経済的理由や暴行等による妊娠が含まれた。また、この法律では本人の意思に反しての手術も可能だった。身体の拘束、麻酔薬の使用、騙して中絶手術を受けさせることなどが許されていた。1949年から1996年までの間、わかっているだけで優生保護法の下で行われた強制不妊手術は14,566件に上る。ハンセン病に関しては、感染症であるにも関わらず、優生保護法の下で強制隔離政策が取られ、やはり不妊手術や中絶が事実上強制されていた。
    1996年に優生保護法が母体保護法に変わった。1994年に開催されたカイロ会議では、生殖に関する決定が個人とカップルの権利となった。これが、つい20年前のこと。ハンセン病の方はいまも施設の中で多くの人が生活されている。このように、最近まで遺伝に基づく差別が続いていたし、そのことに対する反省が終わったとは私は思えない。
     
    ロンドン・サイエンスミュージアムでの展示
    ロンドンのサイエンスミュージアムでは、2005年に“Who am I?”という展示を行っている。個々人の性別や年齢、外見、そしてうちにあるものもアイデンティティの重要な一部で自分だけのもの、と書かれてあった。展示の中には多くの人の染色体を並べたものもあったが、それが人自身のすべてではない。個人のアイデンティティは、複雑な教育、環境個人的な要因、他社との感情的、社会的精神的及び文化的な絆含めた自由の要因を合意するもので 遺伝的特徴に矮小化されるべきものではない。そういったことを考えさせる展示だった。


    話し合い

  • は参加者、 → はスピーカーの発言

    • 個人的にわかるような場合具体的に起きうる差別は?  → 保険、雇用などで起こりうる。
    • 差別について社会的なルールを作れば済むのか、それとも教育で学ぶ場を作るべきなのか?  → 学校教育などでも扱うべきということは議論されているところ。
    • 逆に差別がなくなることは?  → 例えば、保険では、健康上のことであれば、健康維持のための運動をするなどの条件付きにして、保険に入れないことがないようにすることなどは考えられる。
    • 映画などで犯罪捜査に使われているが、日本でも取り入れているのか?  → 犯罪捜査で利用されるDNA型のデータベースがある。任意で集められたもの、今回の個人情報保護法の改定では対象外になっている。
    • 遺伝子操作などが発展してきた一方、個人遺伝情報に関することと乖離してしまっているように思う。保険も不測の事態に対応するためのものなので、保険の考え方が変わるようなきもするが?  → 意識とお金がある人たちとそうでない人たちとで間ができてはいるが、
    • 個人遺伝情報のようなものの取り扱いは、最初は多くの人が過敏になるが、だんだんとそうでなくなっていくように思う。個人遺伝情報について、隠したほうが良いのか、それともオープンにしたほうがよいのか、どちらなのか?  → どうすべきかはよくわからないが、例えば、病気に関する遺伝情報のデータが取られてないと免許とれなくなるとか、そういうことは考えられる。アメリカではコミュニティで自分の遺伝情報をSNSでシェアをしているところがある。プライバシーとは何なのか。自分は法学部なのでプライバシーは守るべきものと思っているが、これからプライバシーはシェアされるものなのになっていくのかもしれないし、そもそも定義が変わっていくかもしれない。


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    横野先生のお話
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    集合写真 お疲れ様でした!

    まとめ 

  • は参加者、→はスピーカーの発言

    • 参加者のみなさんの感想
    • 今日はこんなにきちんとしたとした講座と思っていなかったので、内容、進め方、講師の声まで 大満足。実験もきちんとして作法に従っていてよかった。自分はプログラマーをしている。今はオープンソースを通じて、専門機関でなくても個人が技術にアクセスできるようになっている。ITで起こっていたことがバイオで起こっている。バイオに関心をもっていたが、個人ではなかなかできない実験を今回はできたのでよかった。バイオのリテラシーという概念を知ったこともよかった。
    • バイオ専門学校の社会人学生をしている。学校で聞けない倫理などの話を聞くことができてよかった。遺伝子診断が医療分野に普及するといいと思った。
    • こういった場は初めて参加した。このような勉強を小・中学校の教育にとりいれてほしいと思った。素晴らしい講義と実験をどうもありがとうございました
    • ゲノム、遺伝子の違いなどがわからなかったが、丁寧な指導でいろいろと理解が進んでよかった。高価な実験装置も見ることができて楽しかった。
    • 久しぶりに実験をしたので新鮮な気持ちになった。朝から密度が濃い一日で刺激的だった。最新の知識もわかりやすくお話いただいた。
    • 農工大の公開講座に参加して、すすめられた。自分のDNAを抽出したり、電気泳動をしたり、楽しい非日常でした。ありがとうございました
    • DNA検査サービスの会社に務めている。ウエットな実験も横野先生の講義も初めての経験だった。生命倫理の歴史は特に面白かった。昨年、早退したので今年はリベンジ参加。
    • 自分は文系の営業職なので、サイエンスには自分からふれないとであえない環境にいる。大藤先生が見せてくださった海外の生物の教科書は分厚かった。日本の教科書もかなり難しい。親も学ばなければと思った。
    • 手を動かし、機械を動かして体験するのは楽しい。私は作曲家で、いい音楽を知ると人生が変わるように、体験は視点を変えさせたり刺激を与えたりする。未来につながることをいろいろ考え、音楽に活かせたらと思う。DNAが当たり前の世界になると音楽やその聞き方もかわるのかなと思う。
    • 最前線のことが経験できて、知的な驚きを感じた。今日は関連書籍を1-2冊読むよりも濃いエッセンスが詰まっていたと思う。大抵のテーマパークは1時間1000円ほどなので、これだけの内容で参加費1日2000円は安い。
    • くらしとバイオのメルマガをみて、そのアイディア、ネットワークに驚いている。今日は2000円の価値がある。DNAと染色体など、これまで聞いていた言葉に対して、実感が伴う内容だった。
    • 自分は美容ライターをしている。今日のような科学ネタ関係のものをこれからは書きたいと思った。
    • 自分は医療関係の仕事している。今日は興味深くて、楽しい講座だった。

    話し合い 

  • は参加者、→はスピーカーの発言

    • 遺伝子が関係する研究について、研究者のこれからの課題とは? →(大藤)次世代シーケンサーの登場により、この10年間で遺伝子解析研究が大きく変わった。どの遺伝子が今、働いているのかがわかるようになった。また、がんを引き起こしている多くのドライバー変異もわかってきた。次世代シーケンサーの値段も1億円が800万円になるなど、遺伝子解析がしやすくなった。→(丹生谷)技術面について。ノーベル賞は成果がでてから受賞まで何年もかかったが、近年はノーベル賞受賞までの時間が早くなってきている。そういうブレークスルーがどんどん起きている。GFPも iPS細胞もその中に含まれる。次はゲノム編集が受賞するだろう。

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