サイエンスカフェ「ロウソクの科学」
2022年10月11日、オンラインサイエンスカフェ「ロウソクの科学」が、東洋大学生命科学研究科「科学コミュニケーション演習」の一環として行われました。スピーカーは日本サイエンスコミュニケーション協会会長 渡辺政隆さんでした。渡辺さんは、サイエンスコミュニケーターにとってバイブルというべき「ロウソクの科学」の新訳を出版されたばかり。今回は、サイエンスコミュニケーションの歴史に沿って「ロウソクの科学」をご紹介いただきました。「科学コミュニケーション演習」履修者の多くは、12月13日に院生によるオンラインサイエンスカフェを実施すべく勉強中なので、各自が問題意識をもって真剣に参加しました。
お話の概要
書籍「ロウソクの科学」
出版は1861年、イギリスのヴィクトリア朝時代。ダーウィンの「種の起源」(1859年出版)と近い時代。時代がかった英語で書かれている。日本語ならば、明治時代に話されていたような言葉。私は、「ファラデーが今の時代のことばで話したら」と想像して翻訳した。
ファラデーの生い立ち
ファラデーはロイヤルインスティテューション(以下RI。王立研究所と訳されることが多いが、実際には公認の民間団体)に1813年に助手として入り、その後所長になって開始したのが金曜講話とクリスマスレクチャー。「ロウソクの科学」はファラデー自身が行った最後のクリスマスレクチャーをまとめたもの。
ファラデーは13歳で製本所の丁稚奉公に出された。そこで製本する本をすべて読み、百科事典も読破した。製本中に出会った「化学をめぐる対話」に魅了される。
「化学をめぐる対話」はJ.マーセット(1769-1858)というサイエンスライターが挿絵も含めてかいた本で、米国でも好評で教科書になっている。マーセットは(女性は公的な教育が受けられなかった時代)家庭教師のもとで学び、家庭でできる実験も含めてこの本を書いた。当時、イギリスには家庭で教育を受けて育った女性のサイエンスライターが多くいた。
そのころ、RIのデーヴィー所長が紳士淑女の社交の場でもあった公開講座で好評を博していた。この講座を聴いたことがファラデーに大きな影響を与えた。
丁稚奉公があけたファラデーは、講座の記録を清書・製本して所長に持ち込み、1813年、RIに就職。ついには、3代目所長に就任し、新しい取り組みとしての公開講座、「金曜講話」と年末からお正月の子度向けの「クリスマスレクチャー」を開始した。自身は全19回のクリマスレクチャーを担当。
今も続く金曜講話に招かれて講義することは科学者にとっては名誉。日本人も選ばれている。当時は講師も参加者も正装で参加し、紹介もなしに21時に始まって必ず22時に終わる。緊張した講師が直前に逃げ出したことから、20時からの夕食会の後は開会まで講師を閉じ込めるというルールまであった。
クリスマスレクチャー「ロウソクの科学」
「ロウソクの科学」のもとになったクリスマスレクチャーは1860年末から翌年の年初にわたって6回行われた。当時、ファラデーは体力に自信がなく、開催を迷っていた。そこで、以前に行ったことがある「ロウソクの科学」を改良して再演することにした。これはファラデーの最後のクリスマスレクチャーになった。ふだんの研究も講演の準備や実演もアンダーソン助手はいるものの、すべて一人で行っていた。
初めにファラデーは参加している子どもたちに「natural philosopher(自然哲学者。scientistは職業的研究者を意味した)」と呼び掛けている。ファラデーが子どもたちに対して、一人前の科学者として向き合う姿勢が現れており、難しい言葉を使わず科学の基礎を丁寧に説明している。ファラデーは特殊なキリスト教宗派の信者で、科学は人に奉仕するものと考えていた。
6回の講義
- 第1講「ロウソクとは」では、ロウソクの種類と作り方。
- 第2講「燃焼」では、炎の明るさと燃焼。
- 第3講「燃焼の産物、水」では、燃焼の原理。燃焼で生まれる水と水素について。
- 第4講「電気分解」では、電気分解と水素と酸素。電池の仕組み。
- 第5講「大気の正体。二酸化炭素の働き」では、空気の圧力。二酸化炭素の安定性。光合成にも使われる二酸化炭素。
- 第6講義「人体の中の燃焼」では、肺での酸素と二酸化炭素の交換について。体内で糖を使ってエネルギーを得るということは、人体内でも燃焼が起こっていることになる。
6回の講座の中では、ロウソクを中心とした、ロウソクとロウソクに関係する科学の話だけでなく、科学と人としての生きていく道を説いていることにも注目したい。例えば、「疑問を持つ習慣をつけること。いつか原因がわかるでしょう」「私はいくつかの答えを持っていますが、自分で考えて答えを見つけてください。家でできる実験もありますが、事故につながることもあるので十分に気を付けてください」「実験を急ぐので、もしかしたら失敗するかもしれません、でも、あらかじめ用意しておくのではなく、みんなの目の前で実際にやってみたいと思います」など。
入念に作成されたノートが残っており、焦げ跡から、予備実験を行ってはノートを改良していった事がわかる。
出版へ
ウイリアム・クルックス(1832-1919)は物理学者でケミカルニュースの発行者だった。クリスマスレクチャーの速記を本にまとめた。本にすることに対して、最初ファラデーは賛成ではなかったが、当時のイギリスでは心霊現象が流行っており、市民の科学リテラシー醸成を願って出版に同意したようだ。アメリカの「サイエンティフィック・アメリカン」誌にも掲載された。やがて18か国語に訳されてベストセラーとなる。
市民の科学
クリスマスレクチャーは今も続いており、日本でもブリティッシュカウンシルが開催していた。今は東工大で開催されている。
1991年に日本で初めてクリスマスレクチャーが開催されたのがきっかけで、その翌年、日本では「青少年の科学の祭典」が始まった。科学の祭典は、いろいろなブースで科学を楽しめるお祭りで、今は全国、約100か所で行われている。
アウトリーチ
平成22年の世論調査では、「科学者に対するイメージ」に関する意識が調べられている。科学者は身近ではないが、科学者の話を聴きたい人は多かった。科学者はアウトリーチ活動、市民セミナー、メディアに登場、企業のCSRなどで市民に顔を見せる機会が求められている。
しかし、研究者によっては、アウトリーチは研究を妨げる迷惑なものと考えている人もいる。
2010年、物理学者の村山斉(ひとし)さんはサイエンスアゴラで「アウトリーチは科学者の義務だが、市民向けイベントだけでなく、政府の委員をしたりすることも入る。またアウトリーチは自分の研究を整理する機会で自分のためになる。そもそも自分の研究について語ることは楽しいことだ」と言っている。
サイエンスコミュニケーションのマインドとは、「アウトリーチは自分のためになる。自分の研究を知るきっかけになり、共同研究につながる可能性があり、新しいアイディアと出会うこともある。そこから、研究費の支援や理解が得られ、すそ野が広がることになる」である。大学生がアウトリーチを発展させて起業した例もある。
専門家は「特殊な素人」とも言われる。非専門家の視点が重要で、普通の目線で自分のこととして向き合う人を育てる必要がある。その中では科学の負の歴史も知らなくてはならない。これから、科学で心が揺さぶられる場をつくっていきましょう。
話し合い
- サイエンスコミュニケーションをするときに最も気を付けるべきことは?
→「教えてあげる」という態度にならないこと。自分が面白いと思っていることを共有する。 - ストーリーの中であてはまらないものはどのように扱うか?
→流れを考えながら、取り除いたりしていく。 - 遺伝の話は伝えにくいが、どこまで妥協していいものか?
→遺伝には親からうけつぐものと、突然変異によって子の代に生じるものがある。どちらも「遺伝的」と呼ばれることで混同されることが多い。「遺伝病」は誰もが発症しうる。「遺伝」という名の差別を生む誤解を解消してほしい。