くらしとバイオプラザ21総会記念講演会「新型コロナウイルスと対峙して」
2022年5月12日、くらしとバイオプラザ21総会記念講演会を開きました。お話は、川崎市健康安全研究所 所長 岡部信彦氏による「新型コロナウイルスと対峙して、感染症の過去と現在、そして未来―感染症への対応は変わるか、変えられるか」でした。
岡部先生には、これまでもはしか、ワクチンなどについてバイオカフェでお話していただいてきました。コロナ禍になって、うかがっていたワクチンの意味、感染症への考え方が私たちの心の底にあると感じていたところ、くらしとバイオプラザ20周年の記念の日においで頂くことができました。
主なお話の内容
感染症との闘いの歴史
- 1858年、ころり(コレラ)大流行。死亡者数は3万人。多くは大人の男性がやられた。
- 1862年、麻疹。麻疹絵(浮世絵)をみると、命定めのはしかへのまじない、回復祝いの様子が描かれている。はしかのときの注意書きも残っていて、はしかのときの食べ物や体を暖めるという指示が書かれており、理由もわからずに言い伝えを守っていたことがわかる。国内のはしかを私たちは2005年に排除(elimination)した。
- 1796年、感染症の予防が初めてできたのは、ジェンナーが天然痘の種痘から。日本では1858年、お玉が池の種痘所(東大医学部発祥の地)が開設された。
- 1347~49年、ペストは欧州の人口の3分の1が死亡するほどの被害を出した。そのときの医療者の装備の絵をみると、2003年のSARSのときの装備と余り変わらない。一番の変化は、昔は素手だったが、今は手袋するようになったこと。手指の消毒が大事だと学習するのに7-8世紀かかったことになる。
- 1847年、センメルヴェイスは手洗いで、産後の妊婦の死亡率を1%まで下げた。データも残っている。手の消毒の大切さ!が理解された。当時は共通のタオルで手を拭いているが、今は洗った手は紙で拭いて捨てている。
- 大正時代、スペイン風邪でマスクが導入され、うがいも励行された。アメリカでもやっている。安くて簡単なら、効果が証明されていなくても、予防策としてやってみたらいいと私は思っている。
スペインインフルからの学び
1918年、スペインインフルが流行。フィラデルフィア、ピッツバーグ、セントルイスの三か所での対策と死亡者数の推移の記録がある。
フィラデルフィアは流行初めに、学校などの公共施設を閉鎖したが、パレードは行われた。
ピッツバーグは、もっと幅広く劇場、学校、図書館、教会を段階的に閉鎖しフィラデルフィアよりは流行のピークが遅れ、ピークの死亡者数も約半分になった。
セントルイスは、人の集まる所、長時間いる場所を早期に全部閉鎖し、3つの都市の中で最も死者数が少なかった。
これらのことからも、医療以外の予防策(Non Pharmaceutical Invention)としてSocial distance は効果がありそうだとわかる。このことは三密を避けることにつながる。日本のコロナでの三密防止はWHOが3C(Crowded spaces, Close contact setting, confined and enclosed spades)を避ける、として採用した。三密を避けることは医薬品が使えない時などでも一定の効果がある。
次々に発生する感染症
1984年、アフリカでHIVエイズが発生。初めは医療者ですら接触を怖がっていたが、今では感染経路も理解され、薬もでき、恐怖感や差別は少なくなったが収まり切ってはいない。感染症には恐怖や差別が伴うというやっかいな問題がある。 世界中でいろいろな感染症が広がり、新しい感染症も生まれ、そして、中にはあっという間に広がるものもある。それは、人々が短時間で大量に移動できるようになったからで、動物微生物からの種をこえた人への拡大、薬剤耐も出現してくる。膨大な情報、情報伝達の迅速性、情報の質がアンバランスになると混乱も起こる。
世界では毎年にように新しい感染症が発生しているが、日本で実際に顕著な被害がでたのは、2009年のパンデミックインフルエンザと今回の新型コロナウイルス感染症だ。
致死率でみるとSARSの10%、エボラの50%に比べ、コロナは当初5%程度だったが、拡大力がSARS,エボラなどよりすごい。感染症は人の動きと一致して広がる。日本から海外に行く人は2003年から変わらないが、来日する人は2010年からどんどん増加。感染症のリスクは高まる。
1918-19年、スペイン風邪が世界で大流行した。アメリカで発生したらしいが中国説もある。いずれにしても速やかに欧州、アフリカ、アジアへと広がった。オーストラリアは自給自足できるので港を閉めたために、侵入は遅く1年遅れで流行した。しかし、ある程度制圧しても感染症が入り込んでくることは常にありうることで、どうしたら広がらないようにできるのかという課題は残る。
SARS(重症急性呼吸器症候群)は2003年広東州で発生した。旅行者が到着地で広めてしまった。もとをたどると、2002年11月、中国で不明の肺炎が発生。広東州から香港、ベトナムと広がった。致死率は高く10%。2003年3月、WHOは世界に対して報告。中国は報告しなかったとの批判もあったが、WHOに届け出るという国際的システムは当時なかった。今は「新しい病気として確実に同定できるまで公表に慎重になるより、公衆衛生上の問題と考えられるなら早く情報の共有を」というルールになった。
それまではIHR(International Health Regulations)では「決められた病気」(ペスト、コレラ、天然痘など)の発生報告と、それに伴う水際対策、保健措置が規定されていた。2005年の改正で、不明の病気でも、重篤性、予測不可能性、国際的伝搬の可能性、国際交通規制の必要性で判断し、IHRに基づいて、発生国はWHOに報告をすることになった。さらにウイルスがわかれば、その情報はただちにオープンとなり、早期に患者を見つけられるようになったのは、この15年くらいの間の成果。この情報の公開は、今回の早いワクチンの開発導入にも結び付いた。
新型インフルエンザ
2009年の新型インフルのときは改正されたIHRが効果を発揮し、その情報は速やかに世界で共有された。ところで、2009‐2010年、人口10万人あたりの新型インフルエンザによる死亡率は米国で4、カナダで1.3、豪州は0.9だが、日本は0.17で他国に比し極めて低かった。その明確な理由はわからないが、皆がよく注意した、個人の衛生レベルが高い、医療機関に受診しやすい環境、医療費が安いなどが考えられる。さらには、結局多くの人がまじめに取り組んだためと思っている。
通常の医療の延長では危機に対応できないことをいろいろな分野の人が気付くべき。
新型インフルの対策総括会議(委員長 金澤一郎)は、2010年に報告書を公開。病原性に応じた対応、迅速な対応、合理的な意思決定システム、地方との連携、事前準備、法整備の必要性を提言し、感染症危機管理に関わる体制強化を訴えた。特に、厚労省、感染症研究所、地方衛生研究所などで危機管理の人材(コミュニケーション能力、マネージメント能力、行政能力を併せ持つ)の養成・登用が重要であること。サーベイランス体制の強化、地方衛生研究所におけるPCRができる体制整備も必要だと述べている。
2020年、新型インフルエンザ等対策特別措置法では、全国に蔓延する恐れのある感染症として、「等」に新型コロナウイルス感染症を含めることとした。
新型コロナウイルス感染症
新型コロナウイルス感染症では、特措法が実施され、病原性が高く、そのまん延から社会混乱を起こすと考えられたときに緊急事態宣言が出され、外出自粛、興行・催しの制限などが行われた。新規ワクチンが導入され、住民の予防接種も進められた。その中で、緊急事態宣言は大きなハンマーとも例えられるもので、まん延防止等重点措置はいわば小さいハンマーといえるだろう。状況がよくなると人々はダンスをして(規制が緩和されて)、Hammer and Danceを繰り返しながら新型コロナウイルスと戦っている。欧米あるいは中国などのハンマーはもっともっと大きく、ロックダウン(都市封鎖)がこれに相当するが、日本はそこまでやらずにすんでいる。通常時なら重症化しそうな人がいても医療でみられるが、たとえ軽症であっても通常をはるかに超える患者さんが一気に出てくるとなると、通常医療にも支障をきたす。ここが重要!しかし、このような通常医療に支障が出てくるかどうかの状況は、普通の人には見えないし想像が及ばない。
ハンマーは人々の行動などを抑えることで感染の広がりを抑えることになるが、この病気・ウイルスに対してワクチンを手にすることができたことは大きい武器を手に入れたことになる。2020年1月、原因不明の肺炎の発生から1か月程度で肺炎の原因は新型のコロナウイルスであることがわかり、公表され、そこから1週間足らずでウイルスの全遺伝子配列が公表され、世界のどこでもPCRによる検査が可能になった。さらにワクチン研究者たちはこの遺伝子配列を応用して、メッセンジャーRNAワクチンやベクターワクチンを作り始め、数か月で実用化までこぎつけた。本当に早かった!そこに、外出自粛、手指消毒、マスクなどの医薬品以外の手段による予防方法(Non Pharmaceutical Invention)にワクチンによる予防が加わり、車の両輪が揃ったことになる。第5波の収まりはこの効果が大きかったと言える。
第6波では、感染者数は多いが、重症者・死亡者の割合は低く、小さいハンマーの小出し(まん延防止重点措置)でしのいだ。ワクチンの追加接種の効果も効いてきた。感染対策では、私権制限はどの程度までか、子どもの教育機会の制限をして子ども将来大丈夫か、経済・社会は大丈夫かと、医療以外の様々なことも考えなくてはいけない。いろいろな人の意見を聴きたいと思う。
2022年4月、日本のこれまでの感染者数に対する致死率は0.38%(世界の致死率は、同じく1.06%)。2021年12月までは1.48%、22年1月~4月の致死率は0.18%だ。次々に流行の波は来るが、日本は世界でも最も高齢化が進んでいるにもかかわらず、致死率は欧米の国々に比して低い。この背景には、日本の高齢者医療・介護の質がかなり高いことと、多くの人が関心を持って努力していることもある、といえるだろう。
この病気はいつになったら、インフルエンザなみと言えるのだろうか。インフルエンザの致死率を出すのはなかなかむつかしいが、国内インフルエンザについて様々な角度で検討してみると1シーズンあたり数百万人から1千数百万人が感染して致死率が0.05~0.006%。2022年1から4月の新型コロナの致死率は0.18%。海外に比べては低いが、まだインフルなみとはいえないと思う。
これから
急性期医療、重症者医療、高齢者医療の在り方を具体的に考え直していかなくてはならない。
高齢者施設での感染対策レベルが上がるようにしなくてはいけないが、そのためには施設に対する支援が必要だ。保健所や地方衛生研究所などの公衆衛生対応も整えなければならない。
感染症は防ぎきれないが、医療以外の予防の知識や対応 Non-Pharmaceutical Intervention)を誰もができるようにして、感染症の拡大・健康被害を最小限にしたい。厚労省が健康危機管理業務の中でワクチンの開発に力をいれてこなかったことは大反省すべき点!外からやってきた感染症の芽を小さいうちに見つけて摘む、丁寧なクラスター対策が大事なので、これは続けるべきだ。
ウィズコロナ
新型コロナに対しては注意がいらなくなるのではなく基本的な注意はする、早い検査、早い治療が実現し、致死率が今の半分から10分の1になると、意識的にもインフルエンザなみになるのではないだろうか。
重症の方はきちんと医療につなげることもでき、介護もできる。同時に、通常医療行為がきちんとできて、ワクチンが普及し、治療が進歩すれば、通常の生活ができる。注意しながら普通の生活ができるようにしましょう。
SARS(2003年)のときに、私はある本の中に寺田寅彦のいう「正しく怖がること」ができたのかということを書いた。2022年の今、私たちは「正しく怖がる」ことができているでしょうか。
私の役目は「かまどの飯炊き」だと思っている。おいしいご飯を炊き上げるためには、火加減が難しい。飯炊きが団扇をあおいで火を盛んにしたり、加減して火の力を抑えたりするように、皆さんに上手に空気を送ってコロナの火が大きくならないように尽力していきたい。
最後に一言。ウイルスが嫌うのは「人のやさしさ」です。差別、偏見、誹謗、中傷のない社会、人への思いやりがコロナウイルスをやっつけます。