千葉県立現代産業科学館バイオカフェ「衛生の科学」
2020年11月7日、千葉県立現代産業科学館でバイオカフェを開きました。お話は、花王株式会社研究開発部門 永井智さんによる「衛生の科学~日用品で新型コロナウイルスに立ち向う」でした。新型コロナウイルスの第2波がなかなか終息しないこのごろ、基本に立ち返って「衛生」の考え方についてわかりやすくお話しいただきました。
主なお話の内容
1.はじめに
花王は1890年の最初の製品「花王石鹸」に殺菌剤を配合するなど創業当時から衛生、清潔に目を向けていた(当時、国産の石鹸は安価だったが顔を洗える品質ではなかったため「顔を洗える石鹸」の意味をこめて「かおうせっけん」となった)。
現在は、肌や口腔の衛生、住まいや衣類の衛生、手洗い促進、製品の衛生品質保持など幅広く衛生に関する研究開発を行っている。
2.コロナにどうやって立ち向かうのか
世の中で言われているウイルス対策は沢山あるが、全部はできない。リスクは有るか無いかではなく高いか低いかで考え、リスクはゼロにはできず減らすものだと考えてほしい。そのためには優先順位をつけて「理にかなった対策を継続」してほしい。また見えないウイルスに想像力を働かせて行動できるようになってほしい。
感染経路から考える
感染経路には次の3つがある。
- 接触感染 大きな飛沫が身近な物についてそれをさわった人がその手で目鼻口に触れる。
- 飛沫感染 やや小さな飛沫が相手の目鼻口に直接つく。
- 空気感染 とても小さい飛沫が漂って乾いてより小さくなり長く漂い、それを吸い込む。
200ミクロンの粒子(砂糖の粒くらいで目に見える)は0.1秒あたり10cm落下するので発話者の近くを汚染する。50ミクロンの粒子(スギ花粉よりやや大きいくらいでほとんど目に見えない)なら10cm落下するのに1.5秒かかるので1~2mくらい飛んで飛沫感染をもたらす。これが5ミクロンとなると、10cm沈むのに3分、その間に乾燥してさらに1ミクロンまで小さくなると1時間となり空気中を漂い続ける。
リスクは飛沫感染、接触感染の順に高く、空気感染はその実例はあるもののリスクは相対的に低いとされている。リスクがあるからといって全方位的に盤石な対策を講じるのは非現実的であり、このリスクの順に優先順位を付けて考えるのが良い。
感染していない人はマスクをはずしても周囲の人は大丈夫なはずだが、新型コロナは発症前からウイルスをまき散らす性質があり、ユニバーサルマスキング(無症状の人も含めて全員がマスク着用する)の考え方になっている。この点が従来の例えばインフルエンザとは異なっているので注意が必要である。
3.飛沫感染のはなし
最もリスクの高い飛沫感染に対する最も重要な対策は3密(密閉、密集、密接)の回避である。今年の春頃に3密を回避するための様々な要請が国や自治体から出され、感染者数の増減から実効再生産数(ひとりが何人に感染させるか)が算出され、3密回避の有効性が科学的に証明された。3密の回避は効果が証明されている唯一の新型コロナ対策であると言える。
マスクの効果
マスクをしていれば3密を気にする必要は無いのだろうか。2009年に国民生活センターが市販の15種類のマスクの漏れを測定したところ、ほとんどのマスクで80%以上漏れていた。しかしこの実験では0.3ミクロンの粒子を対象としていた。飛沫感染や接触感染で重要な大きい飛沫ならもっと効果があると考えられる。注意しなくてはいけないのは個人差がとても大きいことで、これはマスクのつけ方に原因があるのだろう。自分にあったマスクを選び、鼻の針金をあわせ、しっかりと上端を上げながら下端をひっぱって口を覆うことに注意してほしい。また、2020年の理研、豊橋技科大、神戸大によるシミュレーションでもマスクには漏れがある結果になっていた。このシミュレーションでは繊維の材質(ポリエステルか綿か)で区別していたが、これは平織りかメリヤス編みかが影響している可能性があり、綿だからダメというものではないだろう。またマスクを通過したり漏れたりした飛沫の粒径別での比較も行っていたが、期待されるとおり飛沫感染や接触感染に重要な大きい飛沫はマスクでほとんど捕まえられることが示されていた。
マスクの粒の捕まえ方には、①慣性捕集(大きい粒が勢い余って繊維にぶつかる)、②ふるい捕集(繊維の隙間にやや大きい粒がひっかかる)、③拡散捕集(空気中の小さな粒は常にブラウン運動(周囲の空気の分子に押されて不規則に揺れ動くこと)をしているので目を通ってしまうはずの小さな粒子が迷走しながら繊維につかまる)の3つのメカニズムがある。マスクでは大きな飛沫は慣性捕集とふるい捕集で、小さな飛沫は拡散捕集で捕まえており、これが飛沫の大きさによって捕集率が違う理由になっている。
フェイスガードの場合、先の理研らのシミュレーションでは50ミクロンでは約半分、20ミクロンでは90%以上の飛沫が漏れていた。これはフェイスガードでは慣性捕集の効果しか期待できないためであろう。病院のように高齢者や持病を持っている人が多いところにマスクなしでフェイスガードや透明マスクで行くのはやめた方が良い。
New Normalにおけるマスクの着用
今後のNew Normalでは3密でなければマスクをはずしても良いとされるべきだと思う。ひとりで誰もいない公園を歩いているときはマスクなしでいい。しかし、歩いた後乗り物にのるときはマスクをする必要がある。
また口を閉じていれば飛沫は出ず、声を出さなければそれほど飛沫は出ないので、本当にマスクが必要な場面は声を出す場合に限られる。なのでマスクをしていない人が居た時に、せっかく黙って距離を取っていたのにわざわざ近づいて説教するというのは、リスクを減らすという意味からは本末転倒だろう。
またマスクとフェイスシールドの併用は一見無意味な様に思えるが、相手がマスクを外して話しかけてくる場合はフェイスガードで目への飛沫付着を防げる。普通のメガネでも一定の効果はあるだろう。
4.接触感染のはなし
さて、目の前に人がいない(2m以上離れている)場合はマスクをしなくていいだろうか。確かに飛沫感染のリスクは低いが飛沫が付いた身近なものに誰かが触れ、その手で目鼻口で触ってしまう接触感染のリスクがある。新型コロナウイルスは段ボールなら1日間、ステンレスやプラスチックなら3日間程度活性を保つとされているので、今私がマスクを外して話をしていると、このテーブルを明日、明後日、明々後日に使う誰かをリスクにさらすことになる。
ノロウイルス伝播の研究をもとに
接触感染のリスクと対策を考えるために以前に行ったノロウイルスでの研究例を紹介する。ノロウイルスに感染した人の水様便には、1mLあたり1兆個のノロウイルスが含まれている。水様便は飛び散りやすくトイレットペーパーからも染み出しやすいため、仮に手に0.1mL付いたとする。水で手を洗うとウイルスの数は100分の1になるが、それでも10億個のウイルスが残る。その手で食卓に触れると10億の約20%が食卓につく。そこを台ふきで拭くと約9割のウイルスが台拭きに移る。その台拭きでボウルを拭くと約1割が移る。最終的にそのボウルで洗ったデザートのイチゴ1粒には760個のウイルスが残ると予想された。ノロウイルスはおおよそ100個程度で感染すると言われているので、このイチゴを食べた家族は全員、ノロウイルスに感染することになる。感染経路のどこかでより効果的な対策が必要なことが示される結果となった。
改めて伝播経路を眺めてみると、ノロウイルスでも新型コロナウイルスでも感染経路上で「手」がとても重要であることがわかる。従って手指衛生は接触感染を水際で断ち切るための衛生の基本となる。
接触感染対策その1「手洗い」
手指衛生はエタノール消毒よりも手洗いが基本となる。手が汚れているとエタノールの効果は低下する。またエタノールには、例えばノロウイルスに効かないなどウイルスの種類によって得手不得手がある。しかし、手洗いは普遍的に効果が期待できる。ではより効果的に手洗いする方法について考えてみよう。
まず敵を知る
新型コロナウイルスの表面には、スパイクタンパク質という突起がついている。このスパイクを使ってヒトの細胞の鍵穴になる部分を見つけ、とりついて、侵入して増える。スパイクタンパク質の内側にはエンベロープという油っぽいもので出来た膜があり、中のRNAを守っている。RNAはウイルスの設計図でありいわば本体だが、単独では何もできない。これらの性質を使って考えてみよう。
- プラン1 「ゆでタマゴ作戦」
ゆでタマゴの様にタンパク質は熱で変性するので、スパイクタンパク質を熱で変性させて、鍵と鍵穴を結合できなくするのはどうだろう。92℃15分で新型コロナウイルスは感染力を失うという報告があるが92℃のお湯で手洗いはできないので難しそうだ。 - プラン2 「無差別酸化作戦」
スパイクタンパク質やエンベロープなど生体物質は酸化されやすいので身の回りのもので酸化して壊してしまうのはどうだろう。次亜塩素酸ナトリウム(塩素系漂白剤の主成分)は強力な酸化剤だが手を洗うのには不向きだろう。紫外線でも酸化できるが、肌にそれほど紫外線をあてるのも良くないだろう。プラン2も難しそうだ。 - プラン3 「油なら溶かしちゃえ作戦」
エンベロープは油っぽいものなので、これを溶かすのはどうだろう。中のRNAが外に出てきたとしてもRNAはただの設計図なので問題にはならない。油を溶かすにはエタノールでも良いが界面活性剤も使えるかもしれない。界面活性剤とは多くの洗剤に含まれている成分で、油汚れを落とす力がある。
界面活性剤
界面活性剤の分子には親水部と疎水部がありこの性質を両親媒性と呼ぶ。両親媒性を利用して水と油の仲を取り持ち、界面活性剤が油を包みこんで乳化が起こる。
界面活性剤の親水部には「水に溶けるもの」が使える。例えば食塩(塩化ナトリウム)はマイナスの電荷を持った陰イオン(塩化物イオン)とプラスの電荷を持った陽イオン(ナトリウムイオン)に分かれて水にとけるのでイオンになるものは親水部に使えそうだ。親水部に陰イオンをもったものをアニオン性界面活性剤、陽イオンをもったものをカチオン性界面活性剤と呼ぶ。次に砂糖も水に溶けるが砂糖はイオンにはならずに分子が水に馴染んで溶けていく。水によく馴染むものも親水部に使えそうだ。その様な界面活性剤をノニオン性界面活性剤と呼ぶ。
これらの性質を踏まえて新型コロナウイルスへの効果について予測してみよう。エンベロープは油っぽいものなので、どのタイプの界面活性剤でもそれなりの効果があるのではないだろうか。またエンベロープにはマイナスの電荷を持ったリン酸がついている。プラスとマイナスは引き合うので、特にプラスの電荷を持ったカチオン性界面活性剤の効果が高いのではないだろうか。
正解である。NITE(製品評価技術基盤機構)では実際に様々な界面活性剤について新型コロナウイルスに対する消毒効果を実験してみた。その結果、様々な界面活性剤に消毒効果が確認され、特に効果が高いものはカチオン性界面活性剤だった(インターネットで「NITE 消毒方法」で検索すると載っている)。NITEの実験で確かめられたのは「塩化ベンザルコニウム」といった成分での効果だったが、消費者が店頭で商品を選ぶ時に成分名では困ってしまう。そこでNITEでは有効性が確認された成分を含有する商品を各社から募り、リストにしてホームページに掲載しているので参考にしてほしい(「NITE 製品リスト」で検索)。今は200種類以上の製品が掲載されている様だ。
混合物の効果
NITEのリストはとても有益なものだが、化学の視点からはやや注意が必要である。新型コロナウイルスに有効な成分が入っていても、混合物である製品の中では効果が弱まったり失われたりする場合がある。例えば特に効果の高いカチオン性界面活性剤と、そこそこ効果の高いアニオン性界面活性剤の両方を製品に配合すると、プラスとマイナスは引き合ってくっついてしまうので中和して効果が無くなる可能性がある。また、とても効果の高い油っぽい成分があったとして、界面活性剤とともに製品に配合すると界面活性剤がその成分を包み込んでしまい効果が弱まる可能性がある。本当は成分ではなく製品で、本物の新型コロナウイルスを使って確認するのが一番なのだが、これにはとても時間と手間と費用が掛かる。北里大学では50種類くらいではあるが製品について一つ一つ効果を確認した結果を公開しているので、こちらも是非参考にしてほしい(「北里大学 消毒薬」で検索)。
接触感染対策その2「環境清拭」
「手指衛生は接触感染を水際で断ち切るための衛生の基本」だと言ったが、接触感染の経路を断ち切るもう一つの考え方がある。それは「そもそも手指を汚染してしまう身の回りの物を清潔にする(環境清拭)」という考え方である。そのために使えるお掃除用の製品がNITEや北里大学のリストに載っている。
身の回りのどこを拭くのが効果的かと考えると、まずいろんな人が手で触る場所、例えばドアノブや手すり、テーブルなどだろう。次に、マスクを外して声を出した場所の周りも大事だろう。これは本人にしか判らないのでNew Normal時代のマナーとして、共用の場所でマスクを外して声を出したら半径50cmを拭いて立ち去るのが良い様に思う。そして口の周りで使うものも大事だろう。例えばスマホはパーソナルな持ち物なのであまり気にする必要が無さそうだが、もしも自身が感染者の場合、スマホはひどく汚染されているだろうから、それを触った手を汚染し、その手が誰かをリスクにさらすかもしれない。
上流で対策するという意味で環境清拭はとても意味があると思う。しかし神経質になり過ぎると何も触れなくなってしまう。なので「手指衛生」を基本に考え、無理のない、やり過ぎにならない程度に環境清拭を意識してほしい。
5.まとめ
最も重要な飛沫感染に対しては、まずは3密の回避を基本に考える。どうしても3密に近づいてしまう場合には必ずマスクを着用する。フェイスガードはマスクの代用にはならない。
次に重要な接触感染に対しては手指衛生を励行する。汚れた手ではエタノールの効果が低下する。そして無理なくやり過ぎにならない程度に環境清拭を心がける。
最後の空気感染に対しては、3密の回避の中に「密閉の回避」が既に含まれているので、換気などに配慮してほしい。
今日の話に目から鱗のびっくり新対策などは何もなく、理にかなった基本を継続しよう、ということであった。ただ、どうしてそうする必要があるのかを理解し、目には見えない飛沫をイメージして行動することができれば、臨機応変に、効果的で、やり過ぎではない対策が皆さんそれぞれに出来ると思うので、是非そうやって継続していってほしい。
そしてやりすぎないこととは、人に強いないことでもあり、差別偏見を持たないことでもある。直近のPCR検査で陰性が確認されている医療関係者は、今この場でこうやって話している未検査の私よりもリスクが低い方々である。また職場に感染者が出た場合、新型コロナに打ち勝ったその方は免疫を獲得しており、やはり私よりもリスクが低い方である。復帰なさった時は是非暖かく迎えてほしい。
質疑応答(〇は参加者、→はスピーカーの発言)
- 衣服や露出している肌はどうしたらよいか
→ 服が汚れていること自体にあまり問題は無く、服を触った手の方が問題なので手指衛生が重要であろう。ただ、これから寒くなってくるとマフラーなど口の周りで使うものはあまり人に触らせないなどの配慮が好ましい様に思う。北里大学のページには衣類用のスプレーの評価結果も載っているので参考にしてほしい。
同様に露出している肌も目鼻口に触らない部位なら神経質になることはないだろう。肌から感染することは無い。こうやって考え始めると次に毛髪も気になってきてキリが無いので、まずは手指衛生を基本に考え、それ以外は「無理なくやり過ぎにならない様に」考えてほしい。 - 飛沫の構造はどうなっているのか
→ 飛沫のほとんど全ては唾液。例えば100ミクロンの飛沫はウイルス粒子の千倍くらいの大きさ。ウイルスの塊が口から飛び出してくるわけではない。 - 大声で話すのがよくない理由は
→ 声が大きいほど唾液の飛沫が多く、遠くまで飛ぶため。 - つり革を触らないようにしたいので手袋を利用している。手袋がマスクほど大事に考えられていないのはなぜか
→ 手袋が防いでくれる接触感染よりもマスクが防いでくれる飛沫感染の方がリスクが高いと考えられているためであろう。このリスクの比率は専門家によって意見が異なり、飛沫感染は接触感染よりも圧倒的にリスクが高いとみる専門家もいれば、匹敵する程度だと見る専門家もいる。今後研究が進んでもしも後者の考えが主流になってくると手袋励行が言われるようになるかもしれない。とはいえ肌から感染はしないので手指衛生ができていたら、つり革が多少汚くてもそれほど問題にはならないだろう。また手袋で目鼻口を触ってしまうと意味が無いので注意してほしい。