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  • TTCバイオカフェ「ジャーナリズムにおける食のリスクコミュニケーション~遺伝子組換え食品からゲノム編集まで」

    2018年5月25日、東京テクニカルカレッジでTTCバイオカフェ「ジャーナリズムにおける食のリスクコミュニケーション~遺伝子組換え食品からゲノム編集まで」を開催、産経新聞で記者をされている平沢裕子さんにお話いただきました。
    お話の前には、石川寛子さんのバイオリン演奏と、東京テクニカルカレッジの大藤道衛先生のご挨拶がありました。


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    石川寛子さんのバイオリン演奏
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    平沢裕子さんのお話

    お話の主な内容

    科学的情報で記事を書く

    自分は、大学はフランス語専攻の文系出身。新聞記者の8割以上は私のような文系の学部出身で占められている。そうした背景もあり、記者は科学的というより情緒的なものに共感を覚える傾向がある。そのためか、疑似科学などを信じてしまい、結果として消費者に間違った情報を与えていることがある。私自身、10年前、中国産冷凍ギョウザ事件があったとき、「市販の食品は残留農薬や添加物がいっぱいだから危険」という考えの専門家に取材してしまい、「残留農薬や添加物はこうすれば除去できる」という内容の記事を書いたことがある。この事件は、意図的に農薬を混入した事件で、事件と関係しない市販食品は、残留農薬や添加物などが心配されるものではないが、混同して記事にしてしまった。しかし、当時、私自身が「残留農薬や添加物は危険なのでなるべく除去した方がいい」と思っていたので、読者の役に立つ記事が書けたと思っていた。
    記事を書く際に、食の安全は科学的に考えることが大事だと気付いたきっかけとなったのが、東大名誉教授の唐木英明先生への取材だった。食の安全について語ってもらう企画で、「体内に蓄積するものは食品添加物や農薬として使えない」と聞いて、驚いた。当時、「複合汚染」や「沈黙の春」などを読んで、「添加物は1つの食品では適量とされる量を使っていても、いろいろな物に使われているから、それが大量に体内に残って、いずれ体に悪さをするのではないか」と考え、添加物が摂取した後に排出されることは考えもしなかった。それまでは、取材先が科学的根拠をもとに話しているかどうかを考えたことがなく、相手が科学的に間違ったことを言ってもそのまま記事にしていたことに気付き、これではいけないと思った。
    この取材を機に、科学的視点からみた食の安全の話を記事にするようになったが、社内では理解されないことも多かった。例えば、コメに含まれる無機ヒ素の問題を取り上げたとき、編集長から「コメの危険をあおっている」と指摘があり、記事を差し替えなければならなかった。添加物や残留農薬については、最初から「危険」ときめつけ、「だからない方がいい」とした記事は通るのに、科学的事実を説明したコメの話は「危険をあおる」といわれてしまうことに、納得がいかない思いをした。
    また、給食の魚料理から寄生虫がみつかり6000食を廃棄した事例について、「寄生虫がいても加熱調理すれば安全に食べられるので、6000食の廃棄は過剰対応」という内容の記事を書いたが、これはボツになった。当時の上司が、「加熱しても寄生虫がいる魚は危険にちがいない」という考えで、いくら科学的根拠をもとにしたリスクについて説明しても理解してもらえなかった。

    報道が作るイメージ

    このように、科学者からすれば当たり前ともいえる科学的に正しい内容を記事にしても、新聞社内では理解されず、却下されてしまうことがある。デスクの中には、残留農薬や食品添加物は危ない、国産の野菜は安全だけど中国から輸入した野菜なんて食べられない、という人もおり、こうしたデスクに科学的に説明しても理解が得られない。ただ、このデスクは多くの消費者の意見を代弁しているともいえる。新聞には消費者に寄り添い、消費者の気持ちを大事にした記事を書くことが求められている面もあり、こうした人がデスクになるのはある意味当然でもある。新聞も売れなければ、商売にならないので、消費者の気持ちをおもんぱかり、科学的なものより情緒に訴えかけることが求められているともいえる。
    科学的に正しいことが消費者になかなか伝わらないのは、伝えられる情報には、メディアのバイアス、ゆがみが避けられないことがある。これは、記事を判断するデスクや編集長の問題というより、メディアの宿命でもある。たとえば、メディアは危険なことは大きく報道する。しかしその情報により社会に混乱を起こしてはいけないという配慮は必ずしも十分ではない。例えば中越沖地震で柏崎刈羽原発からラドン温泉水程度の少量の放射線を含む水が漏れると大きく「放射能漏れ」と報道した。その結果、その地域の宿泊施設に入っていた多数の予約がキャンセルになり、大きな被害が出た。メディア自身が被害を出した責任の一翼を担うが、これに対する謝罪などはなかった。米国ではこうした報道被害が起こると莫大な賠償訴訟が発生するので、メディアの報道姿勢は慎重だ。日本で訴訟はほとんどないので、日本のメディアは米国ほど注意を払っていない。メディアが過剰報道を認めることはなく、危険が去った後に「安全になった」と大きく報道することもほとんどない。
    危険情報と比べると、安全になったという情報は記事にならない。記事になっても小さなベタ記事程度だ。こうしたこともあり、かつて危険性が報道された添加物や農薬は、消費者にとって危険なものというイメージがずっと残ってしまっている。
    ただ、「添加物はこわい」「農薬は危ない」などの情報を発信する人の中には、実は本や講演で儲けたい、無添加食品を売って儲けたい人たちもいる。表向きは多くの人の健康の役に立ちたいという情報を流しているから、その情報を真に受けて、拡散する人も大勢いる。とくに芸能人らセレブと呼ばれる人たちが「○○は良い」というと、ファンや視聴者がうのみにしてしまう。
    こうした現状に対して、添加物や農薬は問題ないという情報はほとんど発信されない。情報の大きなアンバランスにより、消費者の誤解が広がっている面がある。
    また、メディアはストーリー性を重視する傾向があり、少数派の意見や行動がニュースになる面がある。例えば、農薬を全く使わない「奇跡のリンゴ」の話は映画化もされ、多くの人が知っているが、農薬を適正に使って、大勢の人においしいリンゴを提供している人の話は記事として取り上げられることはほとんどない。結果として、奇跡のリンゴを作っている人の方がすばらしいことをやっているという印象を与え、農薬なんか使わなくたってリンゴはできるのに、なんでわざわざ農薬を使うんだろう、と思う人は少なくない。もちろん、農薬を使わなくてもリンゴはできるが、そうしたリンゴは栽培に手間がかかり、また収穫数も少ないので、値段が高くなる。記者自身は、「世の中に起きていることを伝えたい」と思って取材し報じているわけだが、その結果、読者や世の中をミスリードしてしまっている。
    新聞では、対立する2つの意見があったときに、両論併記の体裁をとることが多い。両論併記によって、実際は9対1と大きく差がついている話が、1対1と対等な意見のような印象を与えることがある。また、科学的に対立している事柄では、消費者にどちらの言い分が正しいのか理解できないことがある。

    メディア報道による冤罪も

    正しい情報がなかなか拡散しないということでは、ビタミン剤についてもそうだ。ビタミンは人間にとって必要な栄養素だが、ビタミン剤としてサプリなどで取ることについて、むしろ有害である可能性があるという論文が2013年に出ている。これはメタアナリシスという、多くの論文を分析した結果をまとめたもので、かなり信頼性の高い研究で、現時点では通常の食事ができている場合はわざわざサプリでとる必要はないというのが研究者の間では常識となっている。しかし、この話はなかなか広まらない。推測だが、たとえ正しい記事が出たとしても、それを上回って「現代人はビタミン不足だからサプリで補充しなくっちゃ」というような健康食品の広告が出ることが影響しているのではないかと思う。
    メディアの問題は一記者ではどうすることもできない面もあるが、科学的事実に基づかない思い込みによる記事を各社が一斉に報じることがある。薬害エイズの犯人のように言われた安部英医師は、まさにメディアが作り出したえん罪の被害者だ。警察・検察とメディアの癒着によるえん罪には、「松本サリン事件」もある。こちらは、オウム真理教という新犯人が出たので、明らかな間違いと分かり、メディアも謝罪したが、薬剤エイズ報道についての安部英医師への謝罪はない。
    メディアの勉強不足により、正しい情報が報じられなかったことで、長年、差別の対象となってきたのがハンセン病だ。ハンセン病は、ライ菌による感染症で、患者との濃厚接触がないと感染せず、1960年ごろには治療薬もあり、感染を恐れる病気ではなくなっていたにもかかわらず、日本では患者の隔離政策が続けられてきた。しかし、この間も新聞は隔離政策を批判していない。これは、科学的に正しい事実がきちんと報道されなかったことによる弊害ともいえる。私自身も記者として、取り上げることができなかったのが非常に悔やまれる事案だ。

    遺伝子組換えやゲノム編集はどう報道されているか

    食のリスクについて、専門家と一般の消費者ではとらえ方に違いがある。食品安全委員会が平成27年に行った調査では、がんの原因として、遺伝子組換え食品をあげたのは、専門家はゼロだが、一般消費者では12%いた。消費者と専門家でこれだけのギャップがあるのは、得られる情報が違うからだろう。
    ある調査によると、消費者にとって信頼する情報の1位は新聞。ただ、先ほどお話ししたように、新聞記事の多くは文系人間が書いていて、科学的根拠の弱いものもおもしろければのせてしまうという性質がある。消費者と専門家のギャップを埋めるような記事をもっと書かなければいけないが、なかなか難しい。
    遺伝子組換えについて、最近の話題として、「遺伝子組換えでない」の任意表示が、厳格になることが消費者庁の検討会で決まった。かつて、遺伝子組換え食品については、消費者団体の言い分を垂れ流すような記事が多かったが、最近はそれほどではない印象だ。同じように遺伝子情報を操作する技術でも、ゲノム編集については、今のところ好意的な報道がほとんどだ。人体への医療応用については厳しい目が向けられ始めているが、食品への応用については、これまでは肯定的な扱いとなったものが多かった。ただ、実用化が近づいてきた今、少し反応が変わってきている印象がある。

    科学的に正しい情報を広めるために

    メディア情報は、発信する側だけでなく、受け止める側の問題もある。危険という情報と安全という情報があるとき、十分な知識がなければ、とりあえず「危険」の方を信じて行動するのが普通の感覚だ。とくに小さい子供を持つ母親ならば、間違いなく「危険」情報を重視して行動する。また、人は自分がほしい情報を集める傾向がある。「添加物は怖い」と思う人がほしい情報は、「添加物は怖い」という情報だ。これは、確証バイアスと呼ばれるものだ。
    さまざまな情報が氾濫する現代は「情報戦争」の渦中にある。科学的に正しい情報が伝わらないのは、情報戦争に負けている結果だと思う。安全情報を信じてもらうことは難しい。信じてもらうには、いくつか条件がある。ひとつは、情報の発信者が信頼されること。2つ目は、間違った危険情報の10倍以上の量の正しい安全情報を発信すること。3つ目は、多くの人が共感して情報を拡散してくれること。4つ目は、メディアが大きく取り上げること。ただ、これらは、すぐにはなかなかできないことばかりだ。
    食品の安全について確実な情報は、食品安全委員会や厚生労働省のホームページから得ることができる。
    また、科学的におかしな内容の記事が出たときは、「この内容はおかしい」と新聞社やテレビ局に伝えてもらえればと思う。新聞やテレビも一民間企業なので、一番怖いのは読者、視聴者。みなさんが声を届けてくれることで、食の安全は科学的に考えることが大事だということが会社にも分かってもらえるようになる面がある。良いと思った記事はSNSで拡散することも効果がある。反響のある記事は、記者の社内的な評価にもつながるのでぜひお願いしたい。
    食品の安全は科学的に考えることが大事だが、安心は「安全という言葉を信頼できるのか」で決まる。安心のためには、政治、行政、企業、メディアそれぞれが信頼されるように努力をする必要がある。国民も、科学的根拠を理解する努力が求められる。メディアは国民の科学的理解を助ける努力をするべきだが、そのためには、科学的に正しい記事を理解できる人たちの応援が不可欠だ。

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    会場風景
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    ポスター

    質疑応答

    • は参加者、 → はスピーカーの発言
    • 食に関する勉強会などによく参加しているが、今日のような記者の話を聞く機会があまりない。消費者も勉強すべきということを言ってくれる人はなかなかいないので、そういったことも良かった。厚生労働省や食品安全委員会は食の安全情報の発信にも努力しているが、実際に健康被害を受けている人はそういった情報にアクセスできていないのではないかと思った。どこできちんとした情報にアクセスできるのか、これは生きていく力でもあるので、義務教育の中で教えたほうがいいと思った。
    • 話にあったコメのヒ素含有量について触れることはだめだといわれた理由はなにか。
      →「「日本のコメが危険だ」と不安を煽ることになる」と言われた。それ以上の理由は特段にないと思っている。
    • 週刊誌の記事には、少し考えれば「これはおかしな記事だ」と思うものがあっても、それが売れ行きが良かったりすることがあり、これはリテラシーの問題だと思う。教育の中で情報の見分け方について触れるべき。一方、メディア側の自らの記事の検証について、テレビ番組は検証するしくみがある。新聞や雑誌などの紙媒体ではそのようなしくみはないのか。
      →新聞はそのようなしくみを持っていない。週刊誌も、自分で検証することはしない。週刊誌に記事を出しても、社会に対する影響力は測れていなくて、実際はあまり影響ないのではないかという指摘もある。 
    • 大学教育の中でもコミュニケーションの授業を始めてはいる。理系でもメディアで働くというキャリアも推進されているが、現場では理系の人材がどのくらいいるのか。
      →以前よりも大学で理系学部を卒業した人が入社するようになったが、割合はまだ少ない。理系学部を卒業した人は主に科学面を担当するが、政治経済なども担当するようになるのが望ましい。
    • 両論併記の難しさについて。2つの異なる意見についての比率が9:1なら9:1と書けばよいのでは?
      →記者がきちんと理解していれば、書き方でコントロールできると思うが、その話題について詳しくない場合は、取材をしながら勉強していくので、そのあたりの判断できないことが多い。 
    • 記者の出身が文系理系という話があったが、そもそも、文系理系と人間を分けること自体が確証バイアスになってしまうのでは?もっとシンプルに考えたらよいように思う。 
    • 以前と比較して非科学的記事に惑わされる人は増えている?減っている?
      →今はインターネットで情報が得られるようになり、正しい情報が拡散されるようになってきているので多少は減っているように感じる。
    • 子育てしているがメディアの情報は影響力が強い。また、学校の教科書は絶対で、その延長に新聞がある。また、その情報が正しいのか正しくないのか、判断するための教育が必要と思う。新聞記事の作られ方を知っていれば受け取り方も違ってくるかもしれない。新聞社で、教育現場への出張授業などでそのような授業をしてほしい。
      →社会貢献の一環として、教育に対する活動はしている。 
    • どこに正しい情報があるのか、ということもメディアから伝えて欲しい。
      →スペースの問題などもあり、なかなか難しい。
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