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「農業分野におけるゲノム編集技術とその規制をめぐる国内外の動き」
2017年9月19日、くすりの適正使用協議会の会議室にて、名古屋大学大学院環境学研究科 立川雅司先生をお招きしてお話を伺いました。質疑応答では、今後、ゲノム編集技術を応用して作られた作物が流通することを見越した消費者とのコミュニケーションの有り方について議論がなされました。
主なお話の内容
背景
ゲノム編集技術をはじめとした「新しい育種技術」(NBTまたはNPBT)をめぐる規制について、どのように考えるべきか、話題提供をしたい。
ゲノム編集技術は、現在、農業分野のみならず生命科学分野で広く注目を集めている技術。人工制限酵素(人工ヌクレアーゼ、DNA切断酵素の意)を利用することで、DNAを狙い通りに改変することが可能であり、これは従来の遺伝子組換え(GM)技術だけではできなかったこと。育種分野では計画的に突然変異を起こすことが可能であり、最終的に育成された品種では外来遺伝子(人工制限酵素遺伝子)を取り除くこともできるため、そのように育成した品種は、(事前情報がなければ)ゲノム編集技術作物か否かが検知できない。理論的には従来の育種技術でも育成可能な品種となるため、GM作物としての規制は不要ではないか、との意見もある。
もし規制が不要になれば、GM作物のような膨大な規制対応費用が発生しないため、ゲノム編集技術を利用した品種育成が中小企業でもできるのではないかと期待されている。
立川先生のお話
全体の様子
農業分野におけるゲノム編集技術研究
NBTの規制について議論の発端となったのは、2011年に欧州委員会のJRC-IPTS(Joint Research Centre - Institute for Prospective Technological Studies)とJRC-IHCP(Institute for Health and Consumer Protection)におけるNBTに関するレポート(*1) が出されたこと。この中ではNBT関連として、GM規制において位置づけがあいまいになっている技術の例として7つの技術が挙げられた。その中にゲノム編集技術も含まれていた。
ゲノム編集技術にはジンクフィンガーヌクレアーゼ(ZFN)、TALENなどあるが、CRISPR/Cas9は育種のみならずライフサイエンス分野の研究開発に大きな衝撃を与えた。CRISPR/Cas9の開発者は日本でも2017年の日本賞を受賞するなど高く評価されているものの、ヒト受精卵への技術の応用については倫理面での懸念の声がある。日本国内でもゲノム編集技術に関する一般向け図書なども出版され、広く注目を浴びている。1996年にZFNが開発され、その後TALEN、CRISPR/Cas9と技術が開発されてきた。それぞれに一長一短があり、知財関係の状況も異なっている。
NBTについては大きく3グループに分けられる。そのうちの1つがゲノム編集技術。2つ目は、育成過程でGM技術を利用するが、最終製品からは挿入遺伝子が除去(null segregant)されているもので逆育種(Reverse breeding)、SPT(Seed Production Technology)などが含まれる。3つ目は、GMに準じた技術であり、GM台木を利用した接ぎ木、シスジェネシス(同種間のGM)などがある。
ゲノム編集技術とGMとの違いは導入した新規導入遺伝子が検知可能かどうか。GMは導入した遺伝子が最終製品に残るので検知可能。ゲノム編集技術(遺伝子欠失や置換)の場合、導入した遺伝子から作られた人工ヌクレアーゼでその作物自身のDNA鎖を特定の位置で切断、切れたDNA鎖を修復する際に起こる修復ミス(変異)を利用して性質を変える。作物の場合、新しい性質を持つ変異体は人工ヌクレアーゼ遺伝子を持つが、外来遺伝子を持たない品種と交配し、新しい性質を持つが人工ヌクレアーゼ遺伝子を持たない個体を選ぶことで、結果的に人工ヌクレアーゼ遺伝子を除去することができる。この場合、ゲノム編集技術で作られた作物か否かは検知できない。検知できないが、このようにして作られた作物がGMであるのか否かの判断は、育種のプロセスで判断するか、最終製品(プロダクト)で判断するかで異なる。この点は、各国によって判断が分かれる可能性がある。
現在、ゲノム編集技術を利用した育種の研究としては、イネ(高GABA、籾数増加、籾重増加など)、トマト(高GABA、単為結果など)、バレイショ(低ステロイドグリコアルカロイド)、セイヨウナタネ(高オレイン酸)などが国内でも進められている。
(参考)
(*1) http://ftp.jrc.es/EURdoc/JRC63971.pdf
規制をめぐる動き
日本も含めた海外諸外国の規制検討状況について。公的に定まったのはアルゼンチン、ニュージーランドのみ。その他の国は検討中で、中国については検討が始まったばかり。EUや米国は最終的な方針は決まっていない。
現行のGM規制が、GM技術を使っていることをもって規制対象とされている場合(プロセス・ベースの考え方)には、最終製品に導入遺伝子が残っていなくても規制がかかる。このような規制を有している国ではゲノム編集作物にもGM規制がかかることが予想される。ニュージーランドはそのような見解を示しており、EUもそういう流れになる可能性があると予想される。
○ EUの場合
EUでは、2007年からNBTの扱いについて議論が始まったものの、現実には判断がなかなか進んでいない。オランダのワーゲニンゲン大から問われたリンゴのシスジェネシスの扱いは10年経った今でも法的判断がされていない。ドイツやスウェーデンではEUの決断が待ちきれず、独自に政府が判断を示している。フランスの国務院は2016年に司法裁判所に対して法的解釈を求めており、この判断が出るとEUやその加盟国もそれに従うことが予想され、影響が大きいと思われる。
国際有機農業運動連盟(IFOAM)は、ゲノム編集作物はGM作物と同じ扱いで、有機農法に用いることはできないとの声明を出している2。
なお、EUの専門家グループNTWG(New Techniques Working Group)の判断基準は、新規の改変遺伝子がゲノム内に安定的に導入されていて、かつ、その遺伝子が後代に安定的に受け継がれて最終製品に残存すれば、GM規制の規制対象としている。これは、EUの専門家にも最終製品に導入した新規改変遺伝子が残っているか否かで判断するプロダクト・ベースの規制が望ましいと考えているメンバーがいることを示唆している(*2)。
○ アメリカの場合
アメリカでは、大統領府の科学技術政策局OSTP(Office of Science and Technology Policy)が1986年に制定したバイテク規制について、現状とのギャップが出始めているのではないかとの指摘を受け、見直しが開始されている。
なお、米国農務省(USDA)では、NBT作物についてはケースバイケースの判断をすでに示しており、例えば褐変しにくいマッシュルームに対して規制対象範囲ではないと判断している。USDAでは作出プロセス(ベクターやプロモーター含む)に植物病害虫由来のものを利用したものでない場合には規制対象にはならない。また、USDAが現在提案している改定案では、DNAの欠失あるいは1塩基置換で従来育種技術でも得られるもの、シスジェネシスで従来育種技術でも得られるもの、null segregantはGM生物から除外するとしている。
FDAは、植物由来食品と動物由来食品で提案内容が異なっており、植物由来(植物新品種)の食品に関しては、現行の規制方針からの大きな変更は見込まれていない。他方、動物に関しては、NBTで作られた動物を含めて意図的なDNA改変動物についてはすべて規制対象とする方針を示している。
○ カナダ
現行と同様に、作出された作物が新規形質植物(PNT)であるとされれば規制対象となるとの見解が、カナダ食品検査庁より示されており(*3)、プロダクト・ベースでの規制が今後も継続される見通しである。
○ オーストラリア
2016年10月、遺伝子規制官事務局OTGR(Office of the Gene Technology Regulator)が意見書(*4) を公表、NBTに対する規制の方針についてオプションとして4つの案(具体的にはOGTRウェブサイト4を参照)を提示し、パブリックコメントを求めた。この結果を踏まえて、検討を進めている。
○ ニュージーランド
2016年4月にHSNO(Hazardous Substance and New Organism(Organisms Not Genetically Modified) Regulation 1998)規制の改訂について閣議決定され、HSNO規則の発効日である1998年7月29日以降に開発された技術(ゲノム編集技術を含む)で作出された生物は規制対象とされることになった。
○ アルゼンチン
外来遺伝子がないことがクリアできれば、GMOでないと判断する行政手続き(事前相談手続き)を2015年5月に導入した。なお、この手続きは農作物種子法の改訂のもとで導入された手続きであるため、作物には適用されるものの、動物についてのルール化はなされていない。
(参考)
(*2) http://www.ifoam-eu.org/sites/default/files/ifoameu_policy_npbts_position_final_20151210
.pdf
(*3) http://www.inspection.gc.ca/plants/plants-with-novel-traits/applicants/directive-2009-09/
eng/1304466419931/1304466812439
(*4) http://www.ogtr.gov.au/internet/ogtr/publishing.nsf/Content/reviewdiscussionpaper-htm
日本の状況
現状では明確なルール化はなされておらず、現状ではケースバイケースで対応している。ただし、過去の事例として、遺伝子組換えトウモロコシ系統DP-32138-1からSPTを用いて作出された後代系統に関しては、遺伝子組換え体の規制対象外と判断されている。アカデミアからは日本学術会議から、また農林水産省のNBT研究会からは報告書が出されている。
GM規制との関連について、カルタヘナ法では、外来遺伝子を有するものをGMとしているとの考え方もあり、最終製品がnull segregantであればGM生物にはあたらないとの意見もある。
しかし、消費者は、最終製品に外来遺伝子が残っていないとしても、作出過程でGM技術を使っていればGM生物であると考える可能性があり、この点はコミュニケーションの際に注意が必要と思われる。推進派と慎重派の両者が歩み寄れる場所を見つけることが必要と考える。
どの国もそれぞれの規制制度だけでなく、社会状況、研究開発の状況などを踏まえて、最適解を見つけようとしている。従って、答えは一つではなく、国や地域によって異なる可能性がある。そういったことも踏まえて議論すべき。
新たな課題とその研究 ジーンドライブ、ホライゾンスキャニング
ヒト、特に受精卵へのゲノム編集技術の応用についての議論が進んでいる。
CRISPR/Cas9の系を応用したジーンドライブ技術については、全米科学アカデミーNAS(National Academy of Sciences)が応用された製品についてレポートを公表している5。農業分野であれば、農薬で防除を行うだけでなく、害虫のDNAをコントロールして防除する研究もジーンドライブで登場している。どの生物のゲノムをコントロールして問題解決の最適解を得るか、様々なオプションが考えられるようになっている。影響が大きいと想定されることからジーンドライブの環境リスクアセスメントの考え方を早急に整理すべきという指摘もなされている。そして、今後はこれらの新しい技術が次々と開発され、応用場面が広がる可能性があるため、早期に状況把握をするためのホライゾンスキャニング(Horizon Scanning)が重要になってくる。
さらに、米国ではライフサイエンス研究がDIY化していること、デュアルユースの拡大など、既存の規制枠組みからはずれる利用方法への対応も問題になりつつある。