バイオカフェ「私たちの健康に貢献する常在微生物」
2017年2月24日、日本橋門洋菓子店でバイオカフェを開きました。お話は、慶應義塾大学医学部講師 須田亙さんによる「私たちの健康に貢献する常在微生物」でした。初めに、廣田久美子さんによるヴァイオリンで、ベートーベンのスプリングソナタが演奏されました。長くお世話になったサン茶房を卒業し、今回から日本橋開催となりましたが、バイオカフェの始まりはいつも音楽からです。
廣田久美子さんの演奏
須田亙さんのお話
主なお話の内容
はじめに
私の所属する東京大学大学院新領域創成科学研究科メタゲノム情報科学講座はヒトに常在する微生物のメタゲノム解析のメッカだと思う。その中で行っている研究についてお話します。
微生物は地底から成層圏まで、あらゆる場所に棲んでいる。地球の人類の体重の総和は10の14乗グラムだが、微生物は10の17乗グラムといわれるくらい、微生物はたくさんいる。ヒトの体内をみると、肝臓のような臓器から血液までいるが、腸内が一番多く、腸だけで100兆匹以上の微生物がいる。人の細胞数37兆個の10-100倍の細菌と暮らしていることになる。人の遺伝子は2.2-2.5万個だが、腸内細菌の持っている遺伝子の総和は50万個。遺伝子の数だけ機能があると考えると、人は自分の遺伝子だけではできない働きを細菌の遺伝子の能力によって助けられているといえるかもしれない。
歴史
1990年代、微生物(特に細菌)の中で培地に生える菌はマイノリティで、それは全体の0.1~0.01%にすぎないことがわかった。1990年代後半から、培養できない場合には、例えば便に含まれる微生物の遺伝子をまとめて分析するような方法がとられた。1987年、細菌は12門に分類されたが、まとめて分析できるようなると、その数年後には、35門あることがわかった。
このように細菌をまとめて分析する「細菌叢(さいきんそう)」の解析はとても新しい分野の研究。
腸内細菌は1000種類ほどいて、2006年に次世代シーケンサーが登場すると、解析が進んだ。昔は1日で数メガバイト(数百万個の塩基対)が読むのが精一杯やっとだったが、今は1日で数ギガバイト読める。大量のデータを扱えるので、腸内細菌叢(棲んでいる菌のグループ全体)を調べられるようになった。
菌叢構造の解析
腸内にはどんな細菌がどのくらいずついるか。
細菌叢に含まれる遺伝子を調べると、細菌叢の持つ機能がわかる。生まれた赤ちゃんから大人になるまでに腸内細菌叢をしらべてみると、生まれた赤ちゃんの腸には菌はいないが、これが20種類くらいになり、1歳半(離乳時期)には200菌種くらいになり成人にちかくなる。
腸だけでなく鼻の頭、耳、頬粘膜など、それぞれにすんでいる菌の種類は大体決まっている。
腸内細菌をみると、個人ごとでの棲む菌の種類と量に違いはある。遺伝的に近い人同士でも必ずしも似た常在細菌叢を持つわけではない。たとえば、双生児の遺伝情報は同じだが、細菌叢には有意な差がある。
皮膚細菌叢を法医学で使えないかという考えも出てきている。例えば、キーボードに残された菌叢から触った人を特定できるなど。
常在菌叢と疾患
常在菌の構成が変化し、菌叢が壊れてしまうことがある。これをDysbosis(構成異常)という。
難治の大腸の病気であるIBD患者と健常者の細菌叢を比べる有意な差があることが知られている。腸内細菌叢は大腸の病気だけでなく、肥満、などいろいろな病気で特徴的な菌叢になること、健常者と病気の人では腸内細菌の状況がかけ離れていることがわかった。
クローン病、多発性硬化症患者(神経が侵されて筋肉が固まってくる難病)でも腸内細菌叢が変化してしまっていた。そこで、健常者と病人の便を比べると、病気を治すのに役立つ菌叢があるのではないかと考えられるようになった。
Tregという炎症を抑えるT細胞を誘導する菌がヒトの腸内細菌叢に存在することが明らかになった。ある研究では健常者由来のTreg 誘導菌を17種類特定した。つまり菌叢が免疫力をあげることになる。ヒトの便を無菌マウス(胎内から取り出して育てる)に入れたところ、Tregの力を強める17種類の菌が見つかった。炎症を抑える力を17種類の菌が与えていることになる。17種類のうち1種類ずつを入れてもあまり力は現れず、17種類の菌叢を入れたときに強く炎症を抑える力があることがわかった。ある菌の代謝物をある菌が食べるなどのネットワークができていて、菌叢全体で能力を発揮するようだ。
ヒトに影響を与える菌を見つけよう!
Tregの力を高める菌は製薬としても期待されている。各国の製薬企業などが、身体に有用な菌を探している。菌探しは一攫千金のチャンス!ともいえる。
無菌マウスは実験動物としてつくられている。無菌だと1.5倍長生きするが、盲腸がはれていたり、けがが治りにくかったり、性格面で協調性がなかったりする。無菌マウスをみていると、無菌状態は衛生的だが、生物としては問題があるのかもしれないと思う。
2006年、アメリカで腸内細菌と病気の原因の関係を調べた。痩せ型の成人と、肥満の成人それぞれの便を無菌マウスに移植したら、太った人の便を移植されたマウスは太り、痩せた人の便を移植されたマウスは太らなかった。腸内細菌が宿主の健康に影響を与えることがわかった。
また、積極的マウスと消極的マウスの腸内細菌を入れ替えたら、積極的は消極的に、消極的は積極的になった。腸内細菌叢は性格にも影響するようだ。ヒトでは倫理面の問題があり、この実験は行えないが、興味深い。
便微生物叢移植
クロストリジウムという菌が起す炎症がある。抗生物質を投与するが、耐性ができたりして20-30%しか治らない。この患者さんに健常なヒトの便を移植したら、90%の人が治ったという報告がある。腸内細菌の入れ替えは、副作用がなく様々な病気に応用されつつある。そして、健常者の便は「薬」になることがわかった。
具体的には、便をろかして遠心して菌を集めて、患者さんの腸に入れる。患者さんの親戚で健康な人の便を用いることが多い。
国際的な腸内細菌の研究
日本人104人から500万種類の遺伝子がみつかり、菌叢の遺伝子のメタゲノム解析をした。属(門より下の分類)で分類すると、みんなばらばら。菌の組成は個人によって異なるので、指紋のようだが、遺伝子の機能カテゴリーで整理したら、それぞれの人の菌叢の持つ機能には類似性があるようだ。
人間が必要とする機能はある程度規定されていて、いろいろな種類の微生物が人の体に棲みつくことでその機能を補っているのではないか。
国ごとに菌叢は特有の構造を持つことがわかった。しかし、例えば、系統としては近い、日本人と中国人の菌叢構造の違いは大きく、中国人はむしろアメリカ人と近い菌叢構造を持っていることが明らかになった。この国ごとの菌叢構造の違いを生み出す原因はまだわかっていない。
腸内細菌の働き
日本人の菌叢は炭水化物やアミノ酸代謝の能力を多く持っていて、欧米は遺伝子修復機能をも持っている菌が多い。また、日本人は酢酸生成遺伝子が多く、欧米はメタンをつくる遺伝子が多い。代謝してできた水素を日本人は酢酸にし、欧米人はメタンにしているのかもしれない。
海藻を人間は分解できないが、日本人の腸内細菌には海藻を分解する力を持つ細菌が含まれることがわかった。
人は人と常在細菌があって成立するもので、常在細菌と合わせて本来の姿なのではないかと思う。人の遺伝子情報より多くの遺伝情報をもつ菌と一緒に生きている。このようにヒトを、ヒトと常在細菌をあわせた「超有機体」としてとらえる考え方が提唱されている。私はこういう研究を服部正平研究室で行ってる。
会場風景
当日のお菓子
話し合い
- 口から食べた物についていた菌は胃で殺菌されるのか。 → 全部死ぬわけではなく、胃酸で菌数が減り、小腸には少なくなったまま移動する。
- 死んだ菌も人に影響を与えるのか。 → 生きて体内に入るものも、死んだ菌がはいることもある。口には10の10乗、胃には104乗の菌がいる。
- 菌は異なっていても遺伝子の機能で整理するとはどういう意味か。 → 常在細菌を調べると、種類や菌の構成は多様だが、数百万の機能の内容は大体同じ。
- 人間のもつ遺伝子より腸内細菌の方が病気に関係があるのではないかと思えてきた。 → そういう研究は進んでいる。
- 日本で育った外国人の菌叢はどうなるのか。 → 幼少期を日本で過ごした外国人のデータがあれば研究できると思う。
- 自己免疫疾患と腸内細菌叢で相動性が高いことがわかっているのか。 → 多発性硬化症の場合、ディスバイオシスが起こることはわかっている。そこで、自己免疫疾患を抑える菌叢を製薬化する動きはある。
- 難病指定の人の治療法が開発できたらいいと思う。 → すべての人にスーパー菌が効くかという問題はあるが、こういう研究を頑張って進めていきたい。
- 便をいれるのは遺伝子組換えを起こすことに該当するのか。 → 現行の遺伝子組換えの定義にはあたらない。
- お金がかからない方法なので、医薬品の開発に比べると少数の患者に貢献できるのではないか。 → イエス。しかし、作用機序がわからないまま効果があるからと、菌叢を入れ替えてしまうのは学者としてはスマートではない。ウイルスの心配もクリアしなくてはならない。
- 菌叢に環境の何が効いていると思うか。 → 食物だと思うが、世界の食料データベースと、菌叢の分布は重ならなかった。日本と中国は食べ物は似ているが、菌叢が似ているのは中国とアメリカ。人と家畜に使う抗生剤が多いのかなと思うが、まだわからない。
- 子どものときに菌叢が決まってしまうというが。 → 大人になると菌叢は変化しにくい。抗生剤を使っても元の状態にもどることが多い。