総会記念講演会「母子手帳の魅力~世界に広がり、アジア、アフリカから学ぶ」
2016年5月19日、銀座フェニックスにて、くらしとバイオプラザ21総会記念講演会を開きました。お話は、大阪大学大学院人間科学研究科 中村安秀教授(特定非営利活動法人 HANDS代表)による「母子手帳の魅力~世界に広がり、アジア、アフリカから学ぶ」でした。発展途上国で小児科医として研修をされたご経験とともに母子手帳の歴史、母子手帳の働きについて知り、母子手帳を通して見えてくる人々の健康や幸福について考える一時となりました。
初めに、東大観世会の同期として活動された正木春彦くらしとバイオプラザ21副代表より、講師紹介がありました。
正木春彦副代表による講師紹介
中村安秀先生のお話
主なお話の内容
はじめに
大学卒業後、10年間、小児科医として働きました。その間にインドネシア、アメリカ、パキスタンに行きました。パキスタンにはアフガン難民のための医師募集に応じたもので、インドネシア、パキスタンには家族とともに駐在し、貧困、格差を考えさせられました。
貧困の問題
日本は貧困と縁がないと思われていますが、日本でも子どもの貧困は16.3%という状況になっています。2015年10月、世界医師会会長就任演説で、サー・マイケル・マーモット新会長は「世界は理不尽な格差にあふれている。世界の総所得の210-280億ドルは、適切に使われていない。医師は貧しい人々の生来の弁護人」であると言っています。日本ではあまり報道されませんでしたが、世界では注目されたスピーチでした。
国連ミレニアム宣言(2000)をもとにしたミレニアム開発目標では、2015年までに191の国連加盟国が達成していなければならない8項目に貧困、飢餓、男女均等などをあげています。乳児死亡の減少、妊産婦の健康、エイズやマラリアなどの疾病との戦いなど、医療関係の取り組みもあげられています。私はこの開発目標と重ねて、母子手帳拡大をとらえてきたいと思っています。
2002年から2015年、子どもの死亡は本当に減りましたが、まだ年間600万人の子どもが亡くなっています。その中で日本の乳児、妊産婦の死亡は極めて少なく世界平均をずっと下回っています。アフリカは世界平均値の2倍くらいです。日本の女性の平均寿命は86歳と世界最高で、乳児や妊産婦の死亡が少ないことは、日本の保健医療が世界一の証拠です。
2015年、第70回国連総会で「持続可能な開発目標」が発表されました。理念は「だれひとり取り残さないこと」として、17の具体的目標を掲げています。目標1は貧困。目標2は、農業、食料、栄要改善。目標3は医療。この順番は優先順位と一致していえるでしょう。医療も大事ですが、農業と食料の方が順位が高いことは重要なことです。
「社会的共通資本としての医療」といって、教育や医療の在り方にあわせて経済システムを考えることが大事です。短期的な評価ではだめです。
母子手帳
母子手帳は日本の戦後、貧しい時代に貧困と格差の中で母子の健康を守るためにわれわれの先輩がつくったものです。
1986年、私はインドネシアの電気のない村で2年暮らしました。子どもの健康改善のために、村のヘルスボランティアと月に1回、体重測定を行ってカードに書いて渡す活動を指導していました。例えば赤ちゃんの体重減少に気づいたとき、病院に連れていくことで乳児の死亡は減りました。母子の話を聞き、ヘルスボランティアのリーダーが健康指導をできるように指導します。主役は私たちでなく現地の人です。子どもの健康は国が援助してくれるのを待つのでなく、コミュニティが頑張らないといけないとヘルスボランティアのリーダーが言っていたことが印象的です。
日本の母子健康手帳は、母子保健法で定められ市区町村ごとに発行されています。母子の健康、予防接種と発育の記録が一緒に書かれます。1948年、世界で最初の母子手帳が日本で誕生しました。アメリカは子ども手帳。フランスは母子の記録が別々。日本の母子手帳は、妊娠中は妊婦が、出産後は子どもが使う。妊娠中から母子共通で継続的に使うのは、日本の世界的な発明!実際には当時の厚生省がつくりGHQが許可して母子手帳ができました。
日本の乳児死亡率は1950年は1000人中60人。アメリカはその時、日本の半分でしたが、1964年にこれが逆転しました。乳児死亡率は重要な国ごとの保健指標のひとつ。当時の日本は新幹線建設のお金の一部を世界銀行から借りるような貧乏国。それなのに乳児死亡率がアメリカより低くなるなんて、不思議なことだと思われました。
そこで、日米共同研究として行われた、日本の乳児死亡率が米国より低い理由の調査研究に私は参加しました。その理由として、①国民皆保険の普及、②妊産婦と乳児健診、③子育ての社会的価値が高く認められている、④社会経済的格差が小さい、⑤母子健康手帳、が考えられました。確かにアメリカの母子健診の質は高いですが費用は約3万円です。日本は無料ですから、この方が広く普及します。
母子健康手帳の役割
母子手帳のコンセプトは継続ケアです。妊娠中は、妊婦健診、母親学級などがあり、出産では医師や助産師が関わり、赤ちゃんが生まれると乳児健診や保健師の新生児訪問と続きます。このようにいろいろな場所、いろいろな時期に、いろいろな専門家が関わります。包括的な情報把握を母子手帳は実現します。世界はこの点に注目しました。
母子手帳をめぐるエピソード
2011年3月11日、東日本大震災後、津波で母子手帳を失った被災者から母子手帳を再発行してほしいという声が多く届きました。HANDSがお手伝いし市役所から母子手帳を無償配布しました。このことから、母子手帳が単なる記録だけでない、子どもの生命の証、親子の絆でもあることがわかりました。
昭和23年、日本で母子手帳を導入したとき、それは物資の配給手帳としての意味がありました。ミルク、砂糖を妊婦や子どもに多く配給することが目的で、科学的意味を検証する前に普及しました。今の母子手帳に科学的意義があることは確かですが、全員に一斉に導入してしまったので、対照群がなく比較することができません。これから導入する地域なら、導入時期をずらしたりして、母子手帳を配布しない地域を対照群として試験することができるかもしれません。
海外の母子手帳
海外ではいろいろな母子手帳が作られています。
・インドネシア:健康カードをまとめたもの
・ベトナム:最後に、多くの人がその子ども生育に関わってきたかを知り、国造りに貢献する人になってほしいというメッセージが書かれている。
・米国ユタ州:親から子どもへの思い出のアルバム
・ケニア:親からのエイズ感染防止が目的で、日本で学んだケニア人医師が提案して作りました。HIV陽性の記録を書くことへの賛否があったそうですが、陽性と書かれても差別しない社会をめざすことにしてHIVの記録が書かれた母子手帳が配布されています。
・オランダ:7分冊で、ホームページやアプリを用い、双方向の発信ができるようになっています。たとえば、ダウン症や低出生体重児には、その子どもにあった発育曲線にのせられるようなアプリを使います。
母子手帳は現地の言語でつくることが大事。日本語版を翻訳するのはだめ。今では私たちが世界の母子手帳から学んでいます。私たちは母子手帳のHPの英語版もつくりました。
母子手帳には、価格、識字能力などの課題はありますが、母子手帳国際会議がカメルーンで開催されたとき、母子手帳の価値や、広める活動の意義を再確認させられました。
アフリカの希望の星といわれるミリアム・ウェレ博士(75歳 野口英世アフリカ賞を受賞)が母子手帳の意義について述べられたのです。発展途上国では出産で産婦が亡くなることがあります。そういう地域における母子手帳には、出産で妊婦が死なず、子育てをし、社会復帰してほしいという願いがこめられているのです
日本の母子手帳への期待
健康の継続的な記録が最も大きな意義。
一方、健康情報はだれのものかという問題があります。昭和23年、本人に健康情報を渡したことは注目に値することです。それまで情報は医療機関のものだったからです。
記録のデジタル化、災害のセーフティネット、デジタル母子手帳など、新しい発展が期待されています。途上国では字が読めなくても携帯は使える人がいるので、デジタル化で利用が拡大するかもしれません。
話し合い
- 母子手帳の情報はビッグデータとしての意味を持つようになるでしょうか。 → 日本の中で母子手帳を研究に使う人がいなかった。妊娠中の健康と胎児、その後の健康や病気との関係の研究には有効なデータになるでしょう。母子手帳の情報を電子化してビッグデータ化するのは新しい方向性を生みだすと思います。
- 自分の場合、保健所で母子手帳が発行されてからは保険証とともに持ち歩き、子どもを待つ気持ちが育てられたと思います。今、孫が生まれて、お嫁さんが親子2代の母子手帳をあわせてみせてくれた。日本は識字率が高く、子どもを宝だと考える文化はすばらしいことだと思います。 → 日本では2世代母子手帳もできる環境が整っています。
- 東ティモールにいったときに、半分くらいが母子手帳を紛失してしまっていました。配布後の扱いの難しさもあるのだと思いました。 → 日本でも母子手帳が普及するには時間がかかっています。最初は配給のページがスペースを占めていました。昭和23年、母子手帳の中に配給記録欄がありました。ミルク7ポンドなどと書いてありアメリカからの物資だったことがわかる。昭和27年くらいまで配給記録欄がついていました。日本でも母子手帳の普及率がほぼ100%になるには10年かかっています。途上国では、普及に10年かかるので10年は頑張って下さいといっています。ケニアの普及率は8-9割になりました。インドネシアでは400万冊つくっています。ちなみに日本は約100万冊です。
会場風景
2016年度も頑張ります!
参考サイト
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs.htmlhttp://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/sdg/mdgoverview/mdgs.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/kiroku/s_mori/arc_00/m_summit/sengen.html