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  • サイエンスカフェみたか「ダーウィンの教えー進化は爆発!?」

     2016年1月14日、三鷹ネットワーク大学でサイエンスカフェみたかを開きました。お話は筑波大学教授 渡辺政隆さんによる「ダーウィンの教え―進化は爆発!?」でした。12月に参加申し込みキャンセル待ちとなり、今回のカフェの人気の高さがうかがえます。


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    渡辺政隆さん
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    会場風景

    主な内容

    はじめに
    これまで編著12冊、訳書57冊ほどを出版してきたが、その大半は進化がらみ。
    ダーウィンの伝記(上下)の翻訳には版権をとってもらってから7年かかった。ダーウィンが1809年生まれで種の起源の出版が 1859年であることから、2009年は生誕200年、種の起源150年のダーウィン年だったので、「種の起源」(上下)の新訳を1年で仕上げた。このほか「ダーウィンの夢」、昨年「ダーウィンの遺産」を書いたので、自分ではそれらをダーウィン4部作と呼んでいる。特に「ダーウィンの遺産」は種の起源の中でダーウィンが提示した問いかけがどのように受け継がれてきたかを人物伝として書いた。読んでみて下さい。
    ちなみに我が家の16歳の愛犬の名前は「サッフォー」。古代ギリシャの情熱的な女性詩人の名前で、ダーウィンがケンブリッジ大学寮で飼っていた犬の名前。
    ダーウィン年には、イギリスでは記念切手や記念コインが発行された。2月12日(誕生日)はダーウィンデーとして世界で記念イベントが開催されている。日本ではこれまで開催されていなかったが、今年初めて、日本サイエンスコミュニケーション協会の主催のダーウィンデーイベントを下北沢で3日間やります。
    ダーウィンプロジェクトといって、ケンブリッジ大学が本や書簡などをすべて公開している。一方、考え抜いて書く彼の文章は読みにくいといわれ、生物学者でも読んでいない人は多い。それでも知名度も人気も高い。  
     
    ダーウィンの出発点
    地球誕生46億年で、生命誕生38億年。
    スカイツリー(634m)でみると、生命誕生は地上から約123m、多細胞生物の誕生は5.4億年で展望台をこえる。アンテナ部分は137mあり、避雷針の先端が2m。その先端の2.8cmが人類誕生となる。
    その歴史の中でなぜこんなにいろいろな生物がいるのか?これがダーウィンのなぞの出発点。
    ダーウィンはヴィクトリア朝の「すべての生物には神様の創造の目的がある」と考えられていた時代の人だが、彼はそこに疑問を抱いた。
     
    ダーウインの慧眼
    ダーウィンと言うと進化。ヒトの祖先はチンパンジーだとして、チンパンジーが猿人になり、だんだんに立ち上がって歩いている絵が出てくるが、これは間違い。ダーウィンの慧眼は進化は枝分かれだと見抜いたこと!進歩と進化は同じではない。下等から高等になるような進歩ならば、下等なものは消滅しているはず。
    チンパンジーとヒトの共通祖先がある時点で、今のヒトと今のチンパンジーの系統に枝分かれした。分岐の結果、多様な生物がいる。
    このように遡って実験できないことをいろいろな傍証を集めて比較分析する、新しい科学をダーウィンは造った。仮説をたて、化石を集め、仮説にあわなかったら仮説を変更する。再現実験ができるものだけが科学ではない。
     
    ダーウィンの進化論の魅力
    どうしてこんなに生物は多様なのかという問いは、ヒトはどこからきて、どこにいくのかに続く。自分で歴史科学という新しい学問をつくってまで生物の多様性の答えを求めたのに、ヒトの進化にはふれていない。
    ダーウィンの文章は読みにくいというは考え抜いて書かれているからで、味がある。洞察力が深く、世界の見方を変えた。だから、人間の祖先はサル!と読者皆が思い至った。
    オーエンという人がサウスケンジントンに化石を収容する自然史博物館を設立。
    ダーウィンの集めた化石をオーエンが分析し、研究した。後にオーエンと考えが合わなくなり、二人は決裂。
    英国の自然史科学館正面にあったダーウィンの像は一時、食堂に置かれていたが、2009年の生誕200年に正面に返り咲いている。
     
    ダーウィンの生涯
    職業は、大学の先生ではなく、カントリージェントルマン(地方の名士)。財産があるので働いたことがない。本は出版した。種の起源の初版本(1859年11月24日)は1250部つくり、1170部が流通した。今でいうと予約販売で売り切れたことになる。初版本は東京大学、遺伝学研究所など日本に10冊くらいあるらしい。
    シュルーズベリー(ウェールズとの国境近く)生まれ。父と祖父は医師。シュルーズベリーの図書館前には年老いたダーウィンの銅像があるが、母校の前にはガラパゴスの海岸に立つ若いダーウィンの像がある。
    マウント屋敷で生まれ育った。ここは現在、税務関係の出張所になっている。屋敷の裏の河岸段丘で虫をとって遊んでいた。大学時代は昆虫採集に夢中で勉強せず、ビートルマニアと言われた。初めはエジンバラ大学医学部に行き、親の職業を継ごうとしたが血が苦手で退学。
    ケンブリッジ大学で植物学のヘンズロー先生のもとで博物学を勉強。
     
    ビーグル号
    大学卒業後、ヘンズロー先生に紹介されてビーグル号にのり5年かけて世界一周した。
    舩には食客(船長の話し相手)としてのり、180㎝もあるダーウィンは天井に頭がつくような場所にハンモックをかけて寝ていた。当時の海軍の船長は名家の出で、孤独な長い船旅でうつ病になり自殺した人もいて、それを恐れて食客が募集された。
    そこで父親から500万円もらって、銃や顕微鏡を買って持ちこんだ。行く先々の港でお金がなくなったと手紙を書くと、次の港に親からお金が届いていた。
    世界一周といってもイギリスを出た船は、南米(ブラジル、アルゼンチン)東岸を往復して南米東岸の海図制作のため海岸線の調査をしていた。ダーウィンはその間、陸にあがって化石をみつけたり動物を見たりしていた。南米南端のフェゴ島の原住民4人をイギリスで文明開化して、現地に戻すという実験が行われていて、宣教師を送り込んだが、これには失敗。それでもイギリスに来たことのあるフェゴ島の人が旅立つダーウィン達に手を振って見送ってくれたことが嬉しかったと書かれている。そこで、裸で暮らしていても同じ人間だということを強く感じたようだ。
    このために白人が黒人を搾取していいというフィッツロイ艦長と奴隷解放論者だったダーウィンは意見が合わなくなってくる。
    やがてイギリスから世界一周の許可が出て、南米南端を回ると、南米西岸で噴火や地震を体験する。そこで、地球が変化するなら生物も変わるはずと思う
    ガラパゴス島、タヒチ、オーストラリア、喜望峰につき、またブラジルによってイギリスに帰ってくる。
    ガラパゴス島のイグアナは肉食だと思われていたが、ダーウィンが解剖して藻類食だとわかった。赤道直下なので昼間は暖かく、暑くなると海に入って海藻を食べる。彼らは冷血動物だが、私がこっそりさわってみたところ、昼間は日光に暖められて暖かかった。  
    島ごとにゾウガメの甲羅の形が違うとダーウィンは聞かされていたが、現地ではそれに気付かなかった。首があがらなくても、下草だけ食べていればいい島の亀の甲羅は首が上がらないような形で、溶岩地でサボテンを食べる亀の甲羅は首を上に伸ばせる形になっている。
    ガラパゴスフィンチという鳥のくちばしの重要性にもダーウィンは気づいていなかった。帰国後、鳥類画家としても有名なジョン・グールドが標本を調べ同じグループであることに気づいた。地上で種子を食べる種類の嘴は太い。木の上に住む、サボテンの蜜や樹皮の虫をほじくり出して食べる種類の嘴は細いというように、形態が異なっていた。環境にあった形になっていた。
    帰国して、ビーグル号航海の報告書の中の動物学と地学の部分を分担執筆したのだが、好評だったのでその部分だけを別に出版したのが「ビーグル号航海記」。無職だがサイエンスライターだと私は思っている。売れ行きを気にしていたようだ。
    帰国後、サロンで歓迎され、心では進化論を考えているのに、生物は神の創造物という人々にビーグル号での経験の話をしていた。その軋轢で神経を病んだようで、死ぬまで吐き気や下痢に悩まされることになる。
    そこで、健康にために結婚するのがいいということになり、結婚の利点と不利点を書き出して分析。母方のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚した。彼女はウエッジウッド創業者の孫。ダーウィンが5歳のときに亡くなった母の旧姓もウェッジウッド。マザコンで姉たちが育てられたダーウィンは、母の実家によく遊びにいっていて、エマは 幼馴染。
    結婚後、労働争議のロンドンを離れダウンの旧牧師館に引っ越し、死ぬまでここで暮らした。郊外への旅行はしてもイギリスを離れなかったが、世界中の人と文通をした。ダウンハウスは現在、博物館になっていて、彼の書斎が残されている。進化の大著を書こう一章ごとに原稿を入れていた棚やキャスターをつけて移動して研究をしていた椅子が残っている。
    エマはピアノがうまく、ショパンのレッスンを受けたこともあったほどだった。
    生涯の研究材料であるミミズにオーボエを聞かせたり、植木鉢に入れてピアノの上にのせたりして実験もしている。ミミズはオーボエには反応しないが、ピアノの上ではびっくりしたようなので、振動に反応すると本に書いている。最後に出された本は、「ミミズと土」。
    子どもは10人いて2人が病死している。ダーウィンは体が弱くエマに頼って暮らした。生涯、苦しんだ吐気や下痢は異端説を唱えることの重圧せいと考えられてきたが、最近、乳糖不耐症だったのではないかという論文が出た。エマがミルクを使った食事を毎日出していたことが逆効果だったのかもしれない。
    ダウンの墓地には兄やエマのお墓がある。そばにビーグル号以来の侍従パースロー(ずっとダーウィンに使える)の墓があった。私はこれを見た時に、ダーウィン家の人たちの優しさにふれた気がした。
    しかし、ダーウィンのお墓はロンドンのウエストミンスター大会堂の中で、ニュートンたちのそばに葬られている。彼自身はダウンに土葬されてエマたち家族とミミズのそばにいたかったのではないかと私は思っている。
    ダーウィンが亡くなったとき、周囲の人たちが国葬にしてウエストミンスター大会堂に祀られるように働きかけたようだ。
     
    進化
    ダーウィンは化石の記録は不完全なものだが、欠けた部分が埋められれば進化が連続していることがわかるはずだと考えていた。しかし、生命進化の歴史をみると5回の大量絶滅があったことがわかっている、初めの4回は海の生物しかいなかった時代に起こった。有名なのは5回目(6500万年前、白亜紀末)の恐竜絶滅。隕石が原因で76%が絶滅したと考えられている。
    エディアカラ動物群の化石がオーストラリアで見つかった。5億5000万〜6億年前の化石で柔組織(固い殻がない)をもつ大きい生物の化石が多い。この後のカンブリア紀(5億3400万年前)にはアノマロカリスなどの堅い殻をもつ生物がたくさん出現した。
    進化はダーウィンが考えたように徐々に起こるよりも、爆発的な変化があるようだ。「生態劇場の進化劇」とは言い得て妙で、登場人物は変わるが行われる進化劇は同じ。
    化石の新事実が見つかるたびに 復元研究で描かれる生物の形も変わっていく。
     
    むすび
    種の起源の中には、「endless forms most beautiful and most wonderful have been, and are being, evolved.」というところがある。この文章からわかるように、ダーウィンはevolution(進化)ということばは使っていない。私はこれを、「きわめて美しくきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ」と訳した。生物の多様性の素晴らしさを表していると思う。


    話し合い

  • は参加者、 → はスピーカーの発言

    • ウォレスとダーウィンの関係は → ウォーレスはコレクターに標本を売る人で自然淘汰説を唱えていたが、科学的に整理して証拠を示したりはしていない。ウォレスがダーウィニズムということばを使った。ダーウィンはそれ以前から種の起源を書き始めていた。進化について思いついていた人は何人もいたが、科学として証拠をそろえて説明したのはダーウィンだけ。
    • グールドの断続平衡説はダーウインの考えと対立していると思う → 変わる時のきっかけはいろいろ。グールドのアンチダーウィニズムが目立ちすぎていると思う。化石をみると、徐々に変わった証拠も急に変わった証拠もある。
    • マルサスの人口論は進化論に影響を与えたのか → 進化論は共通祖先から変わってきたという考えで、ダーウィンはマルサスを読んで自然淘汰のヒントを得た。ウォレスもマルサスの人口論の影響を受けている。
    • 進化は環境適応のために起きるのか → 適応するために変化があったのか、変化が結果的に環境適応に役立ったのかの区別は難しい。飛ぶために翼は進化したというが、大きな翼になる前段階では、翼に何に使われていたのか。虫をはたきおとすため、体をあおぐためなどと言われている。
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