はこだて国際科学祭バイオカフェ開かれる
2015年8月23日、函館市青年センターではこだて国際科学祭バイオカフェを開きました。
お話は「Food Watch Japan」編集長の齋藤訓之さんによる「土の科学と農業の不思議」でした。齋藤さんは函館出身。子どものころの思い出を交えて、楽しいバイオカフェとなりました。
齋藤訓之さん
会場風景
主なお話の内容
はじめに
函館市で育った。自宅の裏はジャガイモ畑で、畑に入ると農家の人にひどく叱られた思い出がある。今、思うと、ジャガイモの生産に著しく害を与えるシスト線虫が人の靴によって、畑に持ち込まれることを防ぐためだったのだとわかる。
私は国文学を専攻した文系だが、今日は全国の生産者や研究者のお話を聞いてまとめた土をめぐる農業の話をしたい。
宮沢賢治は童話作家と思っている人が多いと思うが、今でいう農業コンサルタントで肥料商でもあった。具体的には炭酸カルシウムを利用して収量を向上させることなどを解いて歩いていた。今日それがあまり知られていないのは、出版社に「メルヘン作家」のイメージを前面に出したい意図があったためらしい。
炭酸カルシウムというと、化学物質を畑に入れることだと感じて抵抗を示す人がいる。なぜ炭酸石灰を入れる必要があるか。
土の性質
土には主に4つの要素がある。①造岩鉱物(岩石の破片)、②粘土鉱物(①が化学変化を起こして性質も変わったもの)、③腐植(植物、動物など生物の死骸が分解して出来たいろいろ種類の化学物質)、④生物(生きている虫、ミミズ、微生物など)の4つがそろって、「土」になる。これらの中でキーになるのは粘土。
粘土には、アルミニウムとケイ酸の板が1枚ずつくっついたようなもの(カオリナイト族)と、アルミニウムをケイ酸の板がサンドしているようなもの(モンモリロナイト族)とがある。モンモリロナイト族はロシア黒土地帯の土として有名でチェルノーゼムと呼ばれる。ほかに、アメリカ中西部プレーリー、南米パンパにある。
土は水に溶かすとイオン化し、電子を授受が起こる。ケイ酸側は負に帯電し、アルミニウム側は正に帯電する。植物が必要とするミネラル(カルシウム、カリウム、マグネシウムなど)は正に帯電してケイ酸に電気的にくっつくため、ミネラルはしっかりとどまる。つまり、モンモリロナイト族の土には、理論的にはカオリナイト族の2倍のミネラルがくっつく。しかも腐植もくっつきやすくなるため、結果的にもっと多くの肥料成分が豊かに留まる。
粘土にくっつくことができる陰イオンには限りがあるので、そこに水素の陽イオンがくっついてしまうと土壌は酸性になる。
植物には水素は不要であるのに、ミネラルがくっつく部分を水素が占めてしまうため、土が蓄えるミネラルの量も減る。
また、リン酸の陰イオンが土のアルミニウムや鉄についてしまうと、植物は利用できなくなる(リン酸の無効化という)。土壌の酸性化はこうした不都合とも関係がある。
これらのことから、石灰をまく意味がある。
日本の土壌
ドイツの医師で農学の研究も行ったテーアは植物に有機化合物が必要(有機栄養説)だと主張したが、有機化学の確立に貢献した化学者リービッヒは、畑の植物は有機物なしに育つことを実証した。
よく植物の三大栄養素と言われるのは窒素・リン酸・カリウムだが、圃場の土を健康に保つ上でより重要なのはカルシウム、カリウム、マグネシウム。しかし、肥料として量が売れるのは窒素、リン酸、カリウムであるためにこれが強調される。カルシウム、カリウム、マグネシウムは少量だが、不可欠。ほかに、ホウ素、マンガン、モリブデンなども大事だが、ごく微量。これらは圃場の土のpHが適正に保たれていれば不足になることはあまりない。
日本は降水量が多い島国で、年間を通じると世界でもトップレベルに降水量が多い。しかも気温が高い。また、日本は火山灰が多い。火山灰にはアルミニウムが大量に含まれている。これらの条件から、日本の畑では、カルシウムとマグネシウムが流亡しやすい。日本の多くの畑で、耕作を始める前に苦土石灰(クドセッカイ:マグネシウムとカルシウム)を初めに入れるのはこのため。
戦後、火山灰土壌でススキしか生えなかったようなところでも、マグネシウム、カルシウムを補って、腐植を増やすための材料となる堆肥も入れていけば畑として利用できることがわかり、開墾が広がった。たとえば、群馬県に昭和村という野菜産地があるが、ここも戦後そのような努力で開拓された地域である。
会場の美馬のゆりさんも説明に加わって
スピーカーの著書のお土産希望者によるジャンケン大会
おいしい巨峰
大井上康さんは静岡県で、「石原センテニアル」というブドウを作ったが、品種登録できなかった。理由は花ぶるい(実がなる前に花が落ちる)を起こすケースが多く、一般農家には栽培しにくいから。
しかし、大井上さんは難しいブドウでもうまく栽培できる方法をみんなに教えていた。
人が育つ間に母乳、離乳食、子供の好きなもの、大人の好きなものというように食事内容は変わる。植物にも生長段階によって必要な成分は変わるので、タイムリーに肥料を与えるとうまく育つという「栄養週期理論」がある。この方法を採ると、肥料を使う量が少なくてすむので、かつては肥料を作る化学メーカー、それを売る農協、それらを監督する農林水産省から非常に嫌がられたと言われている。
栄養週期では、まず、土に栄養がない状態で種をまく。すると植物は栄養を求めて長い根を張る。
根がはったら、窒素を与える。すると植物はアミノ酸を合成して体を作る。茎葉が十分育ち、花がつくタイミングでリン酸とカリウムを与える。すると植物は大人になるときが来たと思って花芽をつける。
花が終わって実を太らせる段階ではカルシウムを与える。
梅を漬ける前に灰汁につけると、植物のペクチンにカルシウムが反応してカリカリになる。
ペクチンと牛乳のカルシウムで混ぜるだけでできるデザートも同じ原理。
上手に作った巨峰はカルシウムが十分だから。食べた時にパキッとする。
今は、農業の教科書にも栄養週期理論に基づく内容が書かれるようになった。
肥料には14-14-14などと書かれている。それは100g中にそれらが14gずつ含んでいて、それらの成分のすべてをそのバランスで効かせられることを示している。これに対して、単肥と呼ばれるものがある。単肥は一つの成分を効かせることを狙った肥料である。
栄養週期理論に従って適切に肥料を施すには、毎日観察していなくてはならない。ところが、現在の日本の大部分は兼業農家だから、毎日は観ていられない。それでは、栄養週期理論を実践できない。
しかし、これからは日本でも専業農家や農業を専門に行う会社が増えていく。
堆肥(積み上げておく肥料)は木の板で囲んだ中に植物の茎や葉や動物の排泄物の混じった藁などを1.5mくらい積み上げて、時々天地を交換して、発酵させて作る。堆肥は、腐植の材料になる。
日本の古くからの農業は
有機JASでは、基準をクリアした生産者等をに対して認証を与える。
2月に、「有機野菜はウソをつく」という本を出した。過激なタイトルだが、有機農業を批判するのではなく、農業生産の善し悪しは有機農業かそれ以外の農業かで決まるものではないという趣旨。有機野菜だからいいのではないし、有機農業以外が全部だめなわけではない。大事なのは栽培が上手か下手かということ。
消費者は何を基準に選べばいいのか。もう少し農業の現実を調べてみて考えたらいいのではないか。
まとめ
函館市湯川町に黒松林がある。ここは金森倉庫を作った渡辺熊四郎という資産家が私財を投じて防砂林として黒松を植えたもの。
「白砂青松」という日本の美しい景色を表す言葉があるが、湯川町はまさにそのような景色。白い砂浜に松の青々とした姿のコントラストが美しい。
ところが今、全国各地の松林でマツクイ虫による松枯れが起っていると言われていて、対策費用もつけられている。しかし、松枯れの原因は他にあるという説もある。
一つはこういうもの。木には、陽樹(明るい場所を好む)と陰樹(暗い場所を好む)とがある。松は陽樹で、密植になったから枯れているという説明。
今一つは、栄養過多が原因というもの。松は常緑樹だが、落葉はある。昔は松の木の足もとの松葉は農家が集めて持って行って、堆肥の材料にしていた。それで砂浜は白かった。今では肥料は買うものだから、松葉の掃除はしない。ところが、松は栄養が少ない方がよく育つのだが、松葉が栄養過多の土を作り、それが松の生長の障害になっているという説明。農家の働きがあって、白砂の景色があったことがわかる。
函館や周辺の海岸では磯焼け(海の砂漠化、海の生き物が減ること)が問題となったことがあった。陸から海へ雨や地下水と一緒に流れ込む栄養が減ったことが原因らしい。
しかし、量が多ければいいというものでもない。窒素は負に帯電するので粘土にくっつかず、窒素肥料は雨で流れる。だから、窒素肥料はいくらでも畑に入れられて、いくらでも売れるということになる。そのうえ、ごみ減量で堆肥作りが奨励されると、堆肥は農家に押しつけられた。窒素過剰の畑になる。多すぎる窒素は地下から川と海に流れこむ。
窒素をたくさん吸ったお茶はカテキンが多いので、お茶畑はたい肥だらけ。それが原因で静岡県の井戸から硝酸が多く検出されて、茶畑に入れる窒素を減らすようにという指導が始まった。
リン酸も過剰に売られる肥料の一つ。これが海に流れ込めば、赤汐が発生しやすくなる。
肥料の勉強をすると、海、川への影響が見えてくる。漁獲高の安定にはどんな環境要因があるのかもわかる。
はこだて国際科学祭のグッズ
会場にははこだて国際科学祭のバナー
話し合い
- 栄養週期理論の欠点は? → 栄養週期は大正から戦時中に紹介された理論。技術は新しい知見が加わって改善していく。リービッヒの無機栄養説は今日植物の栄養の基本的な考え方となっているが、リービッヒの植物は無機成分しか利用しないというのは誤解だった。今は植物はアミノ酸も根から吸うことができることがわかっている。
- 北斗市は米を作っているが、もみがら堆肥を利用してみたい → もみがらはケイ酸を含んでいて、分解しにくい。
- 私が知っているもみがらの堆肥を使う人は、籾殻に微生物を棲ませ、それを畑に散布する媒体として使うことを狙っている。
- 14-14-14肥料はどういうものか → 14-14-14とは窒素、リン、カリウムの割合。このように複数の成分がまとまったものをいっぺんに畑に入れることは、栄養週期から見ると、大人の食事を赤ちゃんに与えることのように見える。農業の専門家がタイミングを見ながらコントロールして施肥をやるべきではないか。
- 有機だからおいしいというわけではないという情報をママ友に伝えたい。たとえば野菜の選び方のヒントになるのは、こんな話。フボナッチ数列(初めのふたつの数字を足して、3つ目の数字にはその和となる数列。0,1,1,2、3、5、8、…)というものがある。フボナッチ数は面積で表すと巻貝の形になる。他にも、ひまわりの種の並び方、木を横から見たときの枝の数(枝のはりかた、栄養のバランスの関係で栄養の多い方が枝分かれする)などにこの数列を見つけることができる。これは、動けない植物が、環境と付き合って生長した結果。
そこで、健康に育った野菜を人は美しいと感じ、美しい野菜を選ぶ。それはエレガントな形。きれいな野菜はおいしいもの。
有機で曲がっているとか、有機で虫食いがあるとかいうが、バランスがよくないものをどうだろうか。
順当に栄養を得ていたら、タマネギはぎぼうしのような形になるだろうし、栄養のバランスがくずれると形もゆがんだり、味にも影響するかもしれない。経験から「その人の選び方」を楽しむのがいい。
これはダメと決めつけたりするのはいいと思わない。野菜との対話、コミュニケーションを楽しんでもらいたい。
そこで、作り方で決めるより、できたもので評価すべきだと思う。
今、日本で買った野菜から農薬の被害を受けることはまずない。散布後に長く留まるような農薬は製造されていない。
「沈黙の春」(レーチェル・カーソン著)を読んで、「農薬はだめ」と思った人たちと、「生分解の高い農薬を開発しよう」と考えた人たちと、両方がいる。
農薬の開発と安全性試験には膨大な人手とお金がかかっている。その成果を利用しないのはもったいないと思う。日本の農家はまじめに農薬を使っているし、マーケットバスケット方式で調査もしている。
スーパーの野菜を我々が信じることは、より信頼できるスーパーや生産者になってもらうように働きかけることになるはずだ。