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バイオカフェレポート「東大ハチ公物語」

 2015年6月12日、茅場町バイオカフェを開きました。お話は東京大学大学院農学生命科学研究科教授 正木春彦さんによる「東大ハチ公物語」でした。
 正木さんは今年3月8日に除幕式を行った東京大学弥生キャンパスにある上野教授にハチ公がとびついている銅像建立の仕掛け人です。
 はじめに、品川かおりさんのラテンハープ演奏がありました。ラテンハープは指の腹でなく爪ではじく中型(それでもずいぶん大きい)のハープです。





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品川かおりさんの演奏 正木春彦先生のお話 夜のハチ公像
写真提供:東京大学大学院農学生命科学研究科教授 正木春彦さん

主なお話の内容
 ハチ公の飼い主は上野英三郎教授という、農業土木学の祖といわれる方。当時、土木工学と農学しかなかったが、農村の在り方と密接な関係をもって集約的農業のための農地開発を進める学問として農業土木学を打ち立て、日本にしかない。同時に上野先生は全国の耕地整理も行い、明治38年、33歳で「耕地整理講義」の教科書を書いている。1冊は図書館に1冊は私の手元にあります。
 農業の近代化は土地生産性と労働生産性を高めることにあり、入り組んだ耕地を大きい長方形に区画整理して、灌漑・排水を整え牛馬を使えるようにしようとした。戦前は地主制が障害だったが農地解放で耕地整理は一気に進んだ。まさに、先見の明あり。上野先生の研究室は、v研究室として続いている。
なお当時は、東京帝国大学農学部は駒場にあったが、今は弥生の農学部となっている。(ハチの死んだ年の7月に旧制一高とキャンパス交換して弥生に移りました)

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上野先生が書かれた教科書
写真提供:東京大学大学院農学生命科学研究科教授 正木春彦さん

秋田犬
 秋田県の犬という意味ではないので、「あきたいぬ」と読む。1924年、上野先生は教え子の世話で、ハチ公を迎えた。20円だった。11月生まれのハチ公は生後50日で貨車に乗せられて、20時間かけて大舘からやってきた。生後間もない子犬にとって寒い1月の旅は過酷だったろう。
しかし、上野先生はハチ公がやってきて1年半後、53歳で急逝してしまう。
7年後 「いとしや老犬物語」という朝日の記事が、日本犬保存会 初代会長 齋藤弘吉氏によって書かれた。日本犬には現在6種類の犬種があるが、当時は血統が乱れていた。その後、進駐軍が日本犬を本国に連れ帰り、雑種がつくられたりする。秋田のまたぎ犬に由来する秋田犬は日本犬の象徴で、大型のハチはその保存を訴えるのに、格好の題材でもあった。 
 
1934年 初代ハチ公 銅像が渋谷にできる(安藤照 作)。
1935年 尋常小学校2年の修身の教科書に「恩を忘れるな」という章が載り、ハチ公を見習い、人から受けた恩を忘れてはいけないという内容。同年、ハチ公死亡。(教科書は挿絵付というだけで新聞記事とは別です)
1944年 第二次世界大戦の金属供出でハチ公像撤去される。
1948年 安藤照さんの息子の安藤士(たけし)さんが二代目ハチ公像を制作。
1971年 農業土木学の優れた研究成果にたいして上野賞がつくられ授与された。
 私の父も(団体代表として)上野賞を頂いており、縁を感じている。(佐賀県農林部ですが)
 
いろいろなハチ公像
 国立科学博物館にハチ公の剥製があるが、石膏に毛皮を貼った珍しい構造になっているらしい。
大舘は秋田犬ブリーディングのメッカ。戦前、初代ハチ公像のレプリカがあったが、これも金属供出させられた。
1964年には、秋田犬親子の群像ができた、1987年に大舘駅前に忠犬ハチ公像ができた。ハチ公は穏やかな性格だったのに、他の犬にかまれて左耳がたれていた。大舘のハチ公は若く両耳が立っている。2004年には秋田犬会館前広場に「望郷のハチ公」ができた。これは耳がたれて年老いたハチ公になっている。
鶴岡市藤島町では雛人形が飾られる2-3月だけ駅舎から、支庁舎に2代目のハチ公の石膏の試作品が戻ってくる。「1947年 安藤士」というサインがある。(元藤島町役場現支庁)
鶴岡にはハチ公広場という場所もあり、ここでもハチ公は人気がある。 
上野先生の故郷、津市でも2012年10月に地元の偉人を知ってもらいたいということで像ができ除幕式が行われた。
映画では、日本で「ハチ公物語」(1987年)と、「HACHI 約束の犬」(2004年)がある。両方見比べてみて、後者はリチャード・ギアが主演でアメリカの大学の美術の先生という設定に変わっているが、犬の演技、捉えかたはこの方が優れているのではないかと感じた。
 
東大ハチ公物語
多分野交流演習として、2011年に「生命をめぐる科学と倫理研究」ゼミを行った。そのときに哲学の一之瀬正樹教授から、農学部はハチ公をもっと大事にすべきだといわれた。現在の農地環境工学の塩沢昌教授と一緒になって、ハチ公死後80年を記念して、銅像をつくることになった。コンセプトは人間と動物の交流のシンボル。関係者で一之瀬教授の話を聞き、ハチ公のストーリーには悪人がいなくて前向きでいい話だということになり、2011年にハチ公像をつくる会が全学有志によって発足した。「東大ハチ公物語」というのは私のネーミング。
塩沢教授らはいろんな展覧会にいって、動物を表現できる作家を探した。2013年、若い植田努氏に内定した。
2014年にハチ公募金開始、3月のシンポジウムは盛会だった。一般以外に農業工学の卒業生や関係団体の支援もあり、募金は1000万円をこえた。
3月8日に開催したシンポジウムでは、獣医学の中山裕之教授が「ハチ公はフィラリアの線虫が心臓につまって死んだと思われていたが、保存されている臓器のホルマリン入れ替えの時にMRIにかけたところ、心臓がんと肺がんをもっていたことがわかった」という話をした。
一之瀬教授はこれまでの思いのたけを語った。新島典子准教授(ヤマザキ学園大学)は秋田犬のブリーディングについて話した。動物行動学の森裕司教授が体調をくずされたので、武内ゆかり准教授が犬の行動遺伝学について話された。
これらの内容を「東大ハチ公物語」という本にし、3月8日に上梓。学問の枠をはずし、犬に重点をおいた自由な本となった。
3か月で3刷は、東大出版会では、驚くべきヒット。
 
東大ハチ公像の誕生
東大農学部正門横の農学資料館に上野英三郎博士の胸像がある。これは北村西望作。
上野先生は急逝したので、ハチ公とは1年半足らずのつきあいだった。
上野先生は久居の名家の出で、久居に親が決めた婚約者がいたため、東京で出会った八重子夫人は籍を入れられなかった。先生の死後、八重子さんは日本橋の親戚に身を寄せ、やがて先生を慕う弟子たちが世田谷に用意した家に住んだ。ハチ公は出入りの植木職人(富ヶ谷)に預けられたが、そこからなつかしい渋谷に出かけていっていた。
上野先生は、渋谷の家から駒場の東大農学部には徒歩で通っていた。西ヶ原の農事試験場に行く時は渋谷駅を経由した。3-4匹の犬が見送りをしていて、ハチ公もその1匹。先生の帰りにハチ公が一人で渋谷駅改札で待っていて、やきとりを先生から分けてもらった楽しい思い出があったようで、先生のいない時は駅で待つようになったらしい。これが、恩を忘れぬ忠犬として朝日新聞でとりあげられ、初代ハチ公の除幕式は盛大に行われ、ハチ公も参加した。
 
東大ハチ公像によせて
 シンポジウムの2-3日後に我が家の犬の鼻腔腺がんが見つかった。
人間は自分勝手なかわいがり方をする。今のイヌは8割が純血種だがそれは人間の勝手。近親交配だと病弱なイヌ犬になる。丈夫なのは雑種。人間の都合に合わない犬は殺されていた現実がある。
イヌは人間がオオカミからつくった家畜。ドミトリー・ベリャーエフ(遺伝学者)は1950年代から40年かけてキツネを家畜化する実験をした。
 野生のギンギツネのうち人に攻撃的でないキツネ同士をかけあわせていった。イヌッぽい行動が6代目くらいででてきた。対照実験として、攻撃的なキツネ同士のかけあわせも行われた。
イヌやネコは人に都合よく育種されてきた。イヌは人間の欠如感を埋めペアで完成するのではないかと思っている。 
ペット協会のアンケートによるとペットを飼いたくない第一の理由は死に別れだった。長寿命化している中で新しく飼う人は減っている。(要はバブリーなブームは過ぎて新しく飼い始められる犬は減少気味、なのは問題ということ。長寿命化は人のことではなく、犬の寿命が延びているので犬の総頭数だけ見ていると飼い始め数の減少傾向が見えにくい)
2012年 動物愛護管理法で、「命を預かる責任」、とくに終生飼養の確保といって、飼った動物が生命を終えるまで責任をもつべきことが決められた。殺してくれと持ち込まれるのを保健所は拒否できる。ただし、飼い主の判断と責任による安楽死は黙認されている点は隠れた重要な点。。(ここは要確認点ですが、私が喋っていて間違いだとはまだ言われていない。「生命を終えるまで殺してはいけない」というのは一種の循環論法に見える。飼い主の所有権を根拠に生殺与奪は可能だが、保健所は殺しに協力しませんよ、業者の都合による依頼も受け付けませんよ、という意味で、飼い主が自分で(多くは獣医に頼んで有料で)飼い犬を殺すことは黙認されているのだ思います。現在、迷子になった犬や猫の4分の1が、飼い主に戻る。4分の1は新しい飼い主へ。殺処分は半分。
 これからの生命倫理について、農学部の場合、「人間はヒト以外の生物を食べる宿命。
人の生命倫理以前に微生物・植物・動物の多様な生命に支えられている」と認識している。
食は人が他の生命を食べて生きていることの証。農業はそれの持続的技術と営み。他の生物の命の範囲と重さと質を常に考慮しておかねばならない。
星野富弘の詩に、私たちはいろいろな生物の生命を食べることで生きているという詩がある。これは私の生命倫理観とよく似ていると思った。そういう意味で、生命倫理は深く広い考え方であり、「もったいない」も生命倫理に根差した発想なのだろうと私は思っている。






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会場風景1 「東大ハチ公物語」表紙
写真提供:東京大学大学院農学生命科学研究科
教授 正木春彦さん