2014年9月12日、茅場町サン茶房でバイオカフェをひらきました。お話は武田薬品工業(株)医薬研究本部本部長室主席部員 百瀬祐さんによる「(余話)歴史からみた糖尿病とくすり」でした。はじめに、弘田久美子さんのバイオリン演奏がありました。「G線上のアリア」、「タイスの瞑想曲」の調べにうっとりした参加者でしたが、糖尿病は身近な話題でもあり、お話の後は「糖質ゼロ食の是非」をめぐって活発な話し合いとなりました。
弘田久美子さんのバイオリン演奏 | 百瀬佑さんのお話 |
糖尿病ってどんな病気
糖尿病とは、膵臓のランゲルハンス島のβ細胞から分泌されるインスリンというホルモンがあまり働かずに血糖値が高くなる病気である。血糖値が高くても自覚症状はほとんどないが、その状態が長く続くとまず末梢の細い血管が傷害され、神経障害(末梢の血管の血のめぐりが悪化して痛みを感じにくくなったり、逆に不随意な痛みを感じたりする。また足の怪我が化膿して治癒せず壊疽になることがある。日本では、1年に3,500人が糖尿病が原因で足を切断している)、腎症(人工透析を受けなくてはならない人が年に13,000人増えている)、網膜症(1年に3,000人が糖尿病が原因で失明している)などの合併症を発症する。さらに太い血管が傷害されると動脈硬化から脳梗塞、心筋梗塞となり、最悪の場合死に至る。年間14,000人が糖尿病と関係する病気が原因で亡くなっているといわれている。
日本の糖尿病患者数は平成9年には690万人で、糖尿病予備軍(もうすぐ糖尿病になる可能性が高い人)は680万人だったが、平成24年には患者数は950万人、予備軍は1100万人まで増加している。これは世界的な傾向で、最近はアジア、特に中国での増加が目立っている。アジアに欧米型の食習慣が広まってきたことや、車社会となって運動不足になってきたことが原因と考えられる。中国では一人っ子政策実施後、親の過保護により肥満が増えていることも遠因と考えられている。
糖尿病のくすり
人間の体には血糖を上げるホルモンは何種類もあるのに、下げるホルモンはインスリンしかない。これは人類の飢餓との戦いの歴史において、食事が取れず血糖値が下がって生命の危機に瀕したとき、緊急に血糖をあげる必要は度々あったが、血糖をわざわざ下げる機会はたまの食事以外めったになかったからだと考えられている。
糖尿病には大きく分けて2つの型がある。1型糖尿病は糖尿病全体のの5-6%程度で、インスリン注射が必須である。インスリン依存型と呼ばれている。一方、全体の90%以上を占める2型糖尿病はインスリン非依存型で、インスリンの分泌が悪かったり、インスリンが十分分泌されていても働きが悪くなっている状態である。まずは食事療法、運動療法で対応するが、経口の糖尿病治療薬で治療することができる。
2型糖尿病でインスリンの出方が悪い場合を「インスリン分泌不全」、インスリンはあるが効かないケースを「インスリン抵抗性」という。
日本の歴史からみる
宇治の平等院鳳凰堂を建立した藤原頼通は、かの有名な藤原道長の長男である。道長の父、藤原兼家を含め、この時期は藤原氏の絶頂期であった。当時、藤原氏の中でどういう人がいわゆる「氏の長者」になれたかを検証してみると、藤原総本家の正妻の長男で、能力的に優秀であり、父親が長生きでその存命中に権力を継承できることが重要だった。逆に長男であっても出来が悪かったり、正妻の子でなかったり、幼いうちに父親が亡くなってしまったりすると長男以外の優秀な男子に権力が移ってしまう場合も間々あった。さらに絶対的な権力者になるには、美しい女子を持つことも重要であった。娘を天皇の妃とし、産まれた男子を幼くして天皇にすることにより、父親は外戚として絶対的な権力を手にすることができた。
さて、絶対権力者で有名な道長は実は兼家の長男ではなく末っ子である。兼家の正妻の長男は道隆といい、眉目秀麗かつ優秀な男子であったが、43歳で亡くなってしまい、自分の子・伊周に権力を継承させることができなかった。また、娘の定子は時の一条天皇に嫁ぎ敦康親王を産んだが、最大の後援者である道隆の死によって敦康親王が天皇になる道は閉ざされた。その後、紆余曲折はあったが、末子であった道長が氏の長者となり、娘の彰子を一条天皇に嫁がせて2人の男子(敦成親王、敦良親王)を産ませ、自身は63歳まで生きて彼らを後援した。2人はそれぞれ後一条天皇、後朱雀天皇として相次いで即位し、後朱雀天皇の皇統が現在まで続いている。
さて、文献では藤原道隆は「飲水病」で死んだことになっている。飲水病とは当時の貴族にはよく知られた病気で、多量の水を飲み、頻尿で激痩せして死亡するとあるので、道隆は2型糖尿病で死んだと考えられる。兄道隆の死により思いがけなく末子の道長が権力を得、彼の娘の子が皇統を継いだことを考えると、糖尿病は日本の歴史にも影響を与えたといってもよいであろう。
世界最古の糖尿病と記述
世界的に見ると、糖尿病の症状は古代から知られていた。紀元前1500年、エジプトのパピルスに多飲・多尿という症状が書かれている。紀元前400年、インドの文献(ススルタ大医典)には尿が蜜のように甘くなるという記述がある。150年、カッパドキア(現トルコ)では、この病気になると「手足が尿に溶け出して死に至る」とある。このように、病態自体は早くから気付かれていながら、解明が始まったのはずっと近世のことである。
1776年、モリス(英国)は糖尿病患者の尿が甘いことに気づき、1776年、ドブソン(英国)は尿を煮詰めて糖になることを確認した。1797年には英国で、糖尿病患者に1ヶ月間肉だけ、あるいは穀物だけを食べさせるという実験で、穀物だけを食べさせたときに尿に糖分がより多く出ることがわかった。
1869年、ベルリンの医学生ランゲルハンスは膵臓に新しい形の細胞を発見した。当時、膵臓は外分泌器官として知られており、その研究の途中で彼は小さい島のようにかたまった細胞(現在のランゲルハンス島β細胞)を見つけて論文に発表した。彼は40歳の若さでこの世を去るが、彼の存命中にこの論文が注目されることはなかった。
1889年、膵臓を摘出した犬が高血糖になったこと、また膵臓の一部を再移植すると高血糖が改善することから、血糖値と膵臓は関係あるらしいことがわかり、膵臓中の血糖を下げる原因分子の研究が始まったが、インスリンが見つかるまでさらに30年の年月がかかった。1921年、トロントの外科医バンディングとベストは高血糖を改善する物質(インスリン)を膵臓から抽出することに始めて成功した。翌年、14歳の患者にインスリンを投与して命を助けることができた。バンティングと彼を指導した教授マックロードはこの成果でノーベル賞を与えられた。しかし、この陰にはベストという学生の働きがあったのにと、受賞者選考に関しては後々まで議論の的となった。
当初はブタの膵臓からインスリンを抽出して患者に投与していたが、抽出したままのインスリンは分解しやすく品質が安定しなかった。1936年、プロタミンという魚の精子のタンパク質を混ぜることで沈殿物として比較的安定に入手することが可能になった。1955年、英国の化学者サンガーはインスリンのアミノ酸配列を決定した。これが天然のタンパク質のアミノ酸配列を決定した最初の例で、これによりサンガーはノーベル化学賞を受賞した。
1979年、ブタのインスリンの最後のひとつのアミノ酸を化学的に変換すること(半合成)によりヒトインスリンができ、アレルギー反応などの副作用が軽減できたが、これでも1人の患者1年分のヒトインスリンを得るのにブタ70頭が必要だった。1983年、ついに遺伝子組換え法を用いてヒトインスリンが生産できるようになり、ブタに頼らないヒトインスリンの大量供給が可能となった。
1988年、ペン型のインスリン注射器ができ、痛くなくインスリンが投与できるようになった。
多様な治療薬
食事をすると血糖値が上がりインスリンが分泌される。注射するインスリンはまずはすぐ効くことが重要だったが、今では効く時間が異なる種々のインスリンが開発され、血糖を正確にコントロールできるようになった。インスリンの研究は主に海外の製薬会社で進められたが、経口の糖尿病治療薬の分野では日本の製薬企業ががんばっている。
- SU剤:1955年、インスリンの分泌を促すことにより血糖値を下げる経口治療薬が初めて登場した。
- ビグアナイド剤:フレンチライラックという植物は昔から糖尿病に効くことが中世から知られていた。その成分であるグアニジンは毒であり、そのまま薬にはできなかったが、構造を少し変えることで安全な薬とすることができた。
- インスリン抵抗性改善薬:1997年、インスリンの分泌を促すのではなく、インスリンの効きを良くすることでインスリン抵抗性の糖尿病に効く画期的な薬が世に出た。
- GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)作動薬:食事をすると腸から出てくるGLP-1が膵臓からインスリンを分泌させるが、GLP-1は血中ですぐに分解してしまう。GLP-1に構造が似ていて且つ分解しにくいものをつくろう!という発想から研究が始まった。1992年、アメリカで毒のある動物に噛まれると膵臓炎になるという情報から始まった別の研究の中で、アリゾナの砂漠に住むヒーラ・モンスターという毒トカゲの唾液にGLP-1と同じ効果があることがたまたまわかった。その成分が今では2型糖尿病患者の治療薬として使われている。
- DPP4(ジペプチジルペプチダーゼ4)阻害薬:GLP-1がヒトの血中ですぐに分解してしまうのはDPP4という酵素があるから。であればこのDPP4が働かなくなるようにすれば、GLP-1の働きが持続するのではないかと考え、新しい経口の治療薬ができた。
- SGLT2(ナトリウム・グルコース共輸送体2)阻害薬:SGLT2は腎臓にあってグルコースの再吸収に関与している。グルコースを再吸収することはヒトにとって重要だが、糖尿病患者では敢えてSGLT2の働きを抑えて、糖を尿に積極的に出して血糖を減らしてやれば良いのでは?という逆転の発想から新しい治療薬が誕生した。
藤原家の歴史に、みんな聞き入る |
- 贅沢をすると糖尿病になるといわれるが、野菜好きな自分が経過観察といわれてしまった → 私は医者ではないので明確な答えはできないが、2型糖尿病には環境要因が大きく影響するが遺伝の影響があることも確か。不摂生をしていても元気な人がいる一方、節制をしていても発症する人もいることは理不尽なことながら現実である。環境要因としては食事だけではなく、ストレス、喫煙などがある。まずはストレスのない規則正しい生活、お酒を飲み過ぎない、太らないようにすることが大事で、特に過度の肥満には要注意である(但し、過度のダイエットにより糖を消費する器官である筋肉を減らしてしまうことは逆効果である)。もし不幸にも発症してしまったら、糖尿病の専門医に相談することがとても重要である。専門医はその人にあう治療法、治療薬を選んでくださいます。
- アジア系の人はかかりやすいのか → 遺伝的にはなりやすい体質らしい。アジア系の人はもともと米や小麦が主食で高カロリー食ではなかったことから、太らなくて糖尿病になる機会が少なかった。環境要因により体重が増えてきたところに、遺伝的にはなりやすかったこともあり今、爆発的に増えている。
- 海外で薬を申請するときは → これまでは患者数が多い欧米でデータを取ることが多かった。そんな中でも臨床試験を欧米人ばかりではなく、アジア人の協力を得ることで様々な人種に効くのか、あるいは一部の人種に特によく効くのかが分かるようになってきている。
- 先に野菜、次に肉、最後にご飯を食べると、血糖上昇が緩やかだというので、そのように食べている。こういう食べ方は意味があるのか → 推奨する医者は多い。はじめに穀類を食べて血糖が急に上がるより、繊維質と一緒に取って血糖がゆっくりあがるのがいい。満腹感から主食の量が減り、総摂取カロリーも少なくすることができて一石二鳥といえる。
- 去年からお米を最後まで食べないように努力して14キロやせた。 → すばらしい!!
- 「炭水化物は人類を滅ぼす」という本を読み、米、小麦、砂糖、そばを食べなかったら、9か月で12-3キロをやせた。醸造酒はやめて、糖質ゼロのお酒やお菓子を食べている。
- 血糖は血管を傷めるので、予防している。脳出血で父を亡くした。
- 私は低カロリーに心がけ10キロやせた。人によって糖質ダイエットが合う人とそうでない人がいるのではないか。 → ヒトは遺伝的に不均一な生物(個人差が大きい生き物)なので、万人に合う治療法はない。もちろん「我慢強さ」なども関係する。
- 歴史上の有名人で糖尿病といわれている人は2型が多いように思う。一般の人にも糖尿病はあったのだろうか → 先ほど話に出たカッパドキアの臨床医はいろんな病気の記録をとっていて、それは一般人をも対象にしていたので、糖尿病は一般人にもいたことがわかる。1型は遺伝的に膵臓がやられるわけで、あまり環境によらず、ある程度貧富を問わずに患者がいたであろう。一方、先ほど話題にした道長の時代、飲水病は貴族の病気と認識されており、当時から富裕層に2型糖尿病患者が多かったことも事実と思われる。
- 冠動脈狭窄で、食事療法を行った。初め、糖質ゼロにしたら体重は15キロ減ったが、脳の働きが悪くなったように感じた。痴呆と糖質ゼロは相関があることはわかっているので、今は厳密に糖質ゼロにはしていない → 脳はエネルギーとしてグルコースしか使えないし、糖尿病による低血糖で昏睡に至ることもわかっている。過度の血糖コントロールが脳に何らかの影響を及ぼすことはあり得るかもしれない。一方、血糖値が高いと老化が早く進むわけで、その人にあった適度なやり方が大事だと思う。
- 私は糖質ゼロにしたら、睡眠が短くても頭がすっきりするようになった。 → 対処法が同じでも結果が異なることはよくある話であり、結果のみから対処法の是非は問えないと思う。
- 糖尿病の薬が多様化しているというがこれからの傾向は → 弊社でもまだまだ研究中である。糖尿病患者も多様だから同じ薬が万人に効くわけではない。一つの薬が効く人と効かない人がいる。効き方の違う糖尿病薬をつくれれば、より多くの患者さんに効く可能性が高くなる。SGLT2阻害薬のように初めて腎臓で働く薬ができてきたことは患者さんにとって福音かと思う。
- 患者数がふえると研究費がふえますか → たくさん患者さんがいると儲かるというものではない。確かに多くの患者さんに使ってもらえれば投資は回収できるが、多様な患者さんを対象にする薬はこれまでも述べてきたように研究開発は非常に難しく、失敗する確率も高い。一方、患者数が少ない疾患は多様度が低いので、研究開発がし易い面もある。