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コンシューマーズカフェ「不安の構造」開かれる

 2014年6月17日、くらしとバイオプラザ21事務所でコンシューマーズカフェを開きました。お話は一般公益法人食の安全安心財団理事長 唐木英明さんによる「不安の構造〜なぜリスクコミュニケーションは失敗するのか」でした。唐木さんはこれまでBSE、遺伝子組換え食品、食品中の放射性物質など食のリスクコミュニケーションに関わってこられ、これらのご経験から同じ題名の著書を出されたばかりです。

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唐木英明さんのお話 会場風景

お話のおもな内容

人間は忘れる動物
1946年、日本で水耕栽培が始まった。当時、日本では肥料の関係から、野菜は煮炊きして食べていた。米人将校が生野菜のサラダを食べるために滋賀と調布に水耕栽培の植物工場がマッカーサーによってつくられた。その後、生野菜サラダが広がり、50年前まで煮炊きして野菜をたべていたことを忘れている。人はすぐに忘れるもの。
戦後の食中毒死は1848人だった。現在では公衆衛生と医療の発達で死者は年間1-2人になった。こうして死者は減ったが、今も食中毒の患者数の届け出は3-4万人ある。しかし、届け出は5-10人が一緒に下痢症状をおこしたときに行われるので、実際の食中毒は数百万人くらいあるだろう。これも、亡くなる方が減ると食中毒の怖さを忘れるという事例。
 
人間は誤解する動物
人間は判断するとき、少ない努力で直感的に結論を求める方法(ヒューリスティック)を使う。たとえば4ケタの数字のパスワードを忘れたとき、順番に試してみれば正解にであうが、誕生日や電話番号など、あたりをつけて試みる方が速い。
ヒューリスティックには、危険情報と利益情報を無視しないという特徴がある。つまり、危険情報を無視しなかった動物だけが生き残っている。餌のありかなどの利益情報も無視しない。しかし、記憶量にも限界があるので、安全情報は無視し、記憶のエネルギーを節約する。だから、安全を謳う本は売れない。その結果、リスク情報に偏り、世の中には危険・不安を訴える本ばかりになる。
 
人間は表面的な情報を信頼する動物
人間は、信頼する人の情報は無条件に聞き入れる。危険から逃れる方法を教える知識と力のあるリーダーに従ってきた歴史があり、理屈なしに信じることが生き残り戦略だった。
アンケートによると、世論調査に答えるとき、回答者の3分の2は直感で答えている。判断の根拠はマスメディア、キャスターの発言が多い。自主性・独立性といっても、自分で勉強して比較判断することはなかなか面倒。だから、メディアの責任は重大である。
自分に利益がないと思うと、食品添加物、農薬、遺伝子組換え食品、低線量放射線のように危険情報を重視する。食品添加物のおかげで食中毒が防止されているというような利益情報はどうすればきちんと出せるのか。
食品安全委員会の食品安全モニターの8割が、農薬は不安だと言う。一方、有機JAS野菜は全生鮮食品の1.9%で、食品全体の0.36%に過ぎない。8割の人が農薬を使っていない野菜を求めているなら、この数字はおかしい。
その理由は、食品モニターが答えた「不安」は、質問で誘導された「不安」だからではないか。実際の購買行動は、売り場でみる価格や品質のバランスで決まる。
 
人間は他人の目を気にする動物
また、人は他人に馬鹿にされない答えをしようと思う。農薬を怖いと言わないと、ニュースも見ていない人だと馬鹿にされるかもしれないと思ってしまう。
デンマーク食品安全庁の方が「GMと表示された食品があったら、6-7割が非組換えを買うと回答するが、実際に調べたら6-7割は値段が安い組換え食品を買っていたという調査結果がある」といわれた。知識を調べるアンケートの結果は消費者行動とつながらない。20-30分の個別対面調査をすれば、本当にリスクを感じているかどうかがわかるだろうし、買い物した後のスーパーマーケットの出口調査で何を買ったかを聞いても、実態がわかるのではないか。
 
人間は細部を気にする動物
この写真はよくお見せするものです。妊娠中のメリッサさんは、家の前の道路工事の騒音を行政に訴えた。しかし、彼女の手には煙草がある。彼女はヒューリスティックで騒音は胎児によくないと判断するが、煙草のリスクを忘れている。
「美味しんぼ」の作者が描いたことは、うそでないだろう。きっと鼻血を出した人がいたのだろうが、それを福島の低線量放射線とつなげるのはおかしい。
私がアイソトープ総合センター長だった時、放射性物質の保管庫の前を通ると冷や汗がでるので放射性物質が漏出していると訴えてきた職員がいた。GMカウンターで調べても検出されなかった。彼女は「放射性物質管理区域」のマークを見たために冷や汗が出てしまったのだと思う。冷や汗が出た事は事実でも、それを漏出とつなげるのはおかしい。
おいしんぼの問題点は、旅館のキャンセルなどの風評被害を起こしたことで、これらの損害を起こしても、言論の自由で許されるのか。それに政治が関与していいのかという問題もある。漫画を描く人にも科学的事実を含めて、考えてほしいと思う。
目隠しをした多くの人が象に触れると、耳に触った人、足を触った人と、それぞれの人の感想は異なっていて、象の実態からは程遠いものだということわざ。一部の出来事を見ただけで、それを強調すると、真実が見えなくなる。
パンに異物がついていないか、袋詰めされたパンを袋からだして、一つひとつ調べた。しかし、確認した人が保菌者だったので、多くの食中毒が出たことがある。異物混入のリスクと食中毒対策の関係を考えさせられる。米国では同時テロ以後、自動車に乗る人が増え、交通事故が増加。同時テロの局所対策で総合対策が忘れられた例だと思う。
福島の関連死が1600人をこえ、直接死を上回ったという報道もあった。ICPIは年間100ミリシーベルトを避難基準とせざるを得ない緊急事態もあるといったのに、日本はより厳しい20ミリシーベルトを採用し、避難しなくてはならない人がぐんと増えた。避難のための心労による関連死に関係していないだろうか。
SNS情報では、事態の全容が理解できていないことがある。長期的なことを考える能力がないのは、現代の非識字者といえるのではないか。局所的なリスク情報が多いため、俯瞰的な見方ができない人が増えている。
だから、原発問題と低線量放射線問題は分けて考えなければならない。それでは、科学的なものの見方と感情的なものの見方の間にどうやって橋をかけるか。それがリスコミの課題。
 
人間は不安におちいりやすいもの
フロイトは「正体が分かっているものに人は恐怖を感じ、正体がわからないと不安になる」と言っている。怖いもの知らずのねずみは、どんな相手にも飛びかかり、殺されてしまうことがある。
生物は逃走か、闘争か(逃げるか戦うか)をいう身を守る選択をずっとしてきた。
正体不明の相手に動物はどうするのか。不安は最もきつい命に関わる危険である。その中で、どうしていいかわからない、相手の正体がわからない、これがストレスとなる。そこで不安から逃げ出したいから、安全でないものはとりあえず、すべて危険として逃げるのが生物の知恵。相手を安全でないと認識したときはすぐに逃げることでストレスを減らす。したがって、判断も逃げるかどうかの二分法になるしかない。
学者はリスクの大きさを説明するが、一般の人は安全かどうかの答えを聞きたいと思う。
生物は、敵か見方か一瞬でみわけなければならない。そうして、すべての動物はリスク管理をしてきた。リスク評価に知識と経験が必要で、リーダーが必要になる。判断は二分法で、「闘争」か「逃走」のいずれか。つまり本能的なリスク管理は科学だけで決めてはいない
 
人間は他人に頼る動物
行動決定の方法には、次の二つがある。
リーダー方式:リーダーが判断する。みんなはリーダーを信じる。
個別判断・多数決方式:多数決に従うもの。各々がリスク評価と管理ができないといけない。
多数のほうが正しい判断ができると思っている。群として判断が正しかったから、その群は生き延びていると考える。
日常的な判断では、1)幅広い情報収集能力と豊かな経験、2)総合的判断能力、3)コミュニケーション能力による信頼の確保
これがリーダーの条件となる。
知識と経験を蓄積する中で次のリーダーが育つ。
リーダーに従うことが群れのルールとなる。人に頼られる人にならないとだめ。
 
リスクコミュニケーションはなぜ失敗するのか
リスク管理はリーダーの必須条件でもある。
リスクコミュニケーションの過程で、1)知識と経験の蓄積、2)論理的な判断、3)局所対策と総合対策のバランス、4)科学と感情の調和、5)リスクコミュニケーションを通じた信頼の確保の5つのことが理解できなければならない。
リスコミの第一段階は情報伝達である。
欠如モデルというのは情報量と受容度が比例するというもの。その結果、情報量が増えてくると適切な判断になるはずが、そうならずに判断は感情的になっていく。欠如モデルに批判はあるが、リスクコミュニケーションの第一段階である情報伝達まで批判するのはおかしい。科学的な説明で存在が危うくなる人が、欠如モデルを強く批判してきた気がする。
また、情報源を信頼していなければ情報伝達があっても受け取られる情報は増えない。情報源の質は情報の質である。受け手の知識と経験と先入観も判断に影響する。
安心は、安全を信頼してくれてはじめて成立する。判断を援助するような対話による情報交流が必要。人間にとって、実体験より情報による疑似体験が多い。不正確な情報が多い中でどうやって正しい情報を流すのかが問題。
リスコミが失敗する理由を考えるときに、成功したときの背景をまず考えてみる。成功したリスクコミュニケーションは、妥協の余地があるときに、対話によって合意に至った場合。成功のカギは信頼の醸成。すなわち、リスコミュニケーターが信頼できないときはだめ。
失敗の原因は関係者の倫理感と利害。なぜならば、リスコミの失敗は情報戦争の敗戦であり、情報戦争にはお金と人手が必要だからである。
一般市民が不安になる原因は、化学物質、放射性物質、遺伝子産物など。市民は自衛のため、ゼロリスクに向かっていく。
リスク評価ができない素人は不安になる(ベックは、評価ができるのは専門家だけで、これは政府、行政、財界に管理されているからだといっている)。専門家、政府、行政のリスク評価・管理、リスクコミュニケーションを信用できない素人は不安になる。
直観で正しい判断するのには、豊かな経験が必要であり、科学的知識もまた必要である。


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全員の自己紹介から始めたコンシューマーズカフェ 活発な話し合い

話し合い 
  • は参加者、 → はスピーカーの発言

    • 研究で放射性物質を使っていた人は、低線量被ばくは気にならないと思う → ヒューリスティックの判断の基礎には知識と経験がある。知識と経験の蓄積が科学である。教育や座学の疑似体験が大事。
    • リスコミには教育が大事 → 中央教育審議会の答申によると、「生きる力」から出発して考えられているので間違いはないだろう。卒業後の体験から何を学び身につけるかが大事。自分で勉強する癖をどうつけさせるのか。
    • リスク評価は科学で答えが出ると思うが、リスク管理は民主主義の中で行われるから、たとえまちがっていても多数決で決まってしまう → 評価は科学だが、管理には感情が入る。食品安全委員会が評価しても管理には、人間の事情がはいってくる。5ミリシーベルトを1ミリにさげることが本当に民意ならいいのか。1にしたために生じたリスクまで考えたのか。5を1にしたときに安全が増えたように嘘をついたことが問題。BSEの全頭検査で安全が得られると嘘をついたことも同じ。
    • 行政の意思決定プロセスがリスコミなのに、そこを説明しないとリスクコミュニケーターの苦労は消えない → メリットの小さい嘘の弊害を隠す行政にも問題がある。
    • 食品の放射線照射で日本はリーダーシップを持っていた。中国でも食品照射をやっているのに、日本ではできない。食品安全委員会で議論し、WHOの専門家の講演をしてもらい、食品照射は危険でなく食中毒防止になるといわれた。食品安全委員会の結論はリスコミの強化という結論になった → レバーの生食は禁止されたが、食品照射も検討することになった。牛肉輸入再開では外圧と国でリスコミを一生懸命にやったことが影響した。不安をおさえることがきた。業界団体が行政と一緒になって戦略的に動けばできるはずだが、リーダーがいない。そしてお金も必要。
    • 食品照射が許可されている海外の香辛料は安くておいしい。日本はその逆。でも知られていない → 農水省の公式コメントでは、スパイス協会から正式な要望があり資料が出れば検討するそうだ。
    • 福島の食品に対して食品安全委員会は10ミリシーベルトにしたかったが、事務局が反対し5になった。もし10だったら → 一部の国民の反対と一部の政治家の反対で食品安全委員会は潰されただろう。政治の安定と景気の安定が大事。
    • ねずみにかつお節を食べさせると落ち着く → 不安の程度は、空腹か満腹かで変わる。鰹節の効果がいつまで続くかなど、まだわからないことも多い。抗欝薬で不安が減るのでアメリカで流行ったことがあるそうだ。
    • リーダーの経験と知識の他に考える力が必要だと思う。与えすぎない、考える習慣が大事ではないか → 小学校と大学では勉強の内容もやり方も違う。早期には知識を与えるのが大事。悪いことをしたが、友達を助けるためだから悪くないなどと考えられるのは中学以上。今は大学生が一番勉強しないというのが問題。15時間の講義には予習と復習を含めて、講義の3倍の時間だけ勉強するという動きがでてきている。
    • 理研のマネージメントに問題がある。日本は戦後、均等に教育を行うようになったが、リーダーとなるべき人の職業意識やプライド(エートス)が必要ではないか。 → 科学は分極して狭い分野になり専門性を高めることがいいとされたが、その結果タコつぼ型の研究者が育ってきた。他の個人を批判せず、全体を俯瞰できる人が必要。根幹からやりやおす必要があり、修士課程2年では研究倫理をしこむ。リーダーには資質がある人が大事で、そういう人に頑張ってもらいたい。