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「病とくすり〜古から未来へ」開かれる

 2013年10月25日、SMBCパーク栄(名古屋)であいちサイエンスフェスティバル実行委員会と共催でバイオカフェを開きました。お話は内藤くすり博物館長森田宏さんによる「病とくすり〜古から未来へ」でした。台風直撃の予報で参加者は多くありませんでしたが、スピーカーからのクイズに参加者が回答したりして、なごやかで充実した一時となりました。
内藤くすり博物館 http://www.eisai.co.jp/museum/information/

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森田宏館長のお話 会場風景

お話の概要

はじめに
 病とくすりの歴史を振り返ると、私たちは衛生的で医療が充実し恵まれた時代に生きていることを実感します。内藤くすり博物館は1971年に開設され、総合的なくすり博物館としては一番歴史が古いです。くすり博物館は珍しく、他には九州に中冨記念くすり博物館(久光製薬)があります。最近、朝日新聞の企業博物館評価においては(全国で500-600)の中で5位と評価されています。標本は65,000点あり、そのうちの2000点が常設展示されています。図書資料は62,000点、薬草・薬木は600種が栽培されています。
 
くすりの始まり
 古代4大文明をみると、それぞれにくすりに関する記述がある。メソポタミアにはクレイタブレットという粘土板に記されたナツメヤシ、ハチミツ等の滋養強壮の処方があり、これが最古の処方といえる。インドではアーユルヴェーダ、エジプトではパピルス・エーベルス、中国には「神農本草経」に記載されている。
 中国の医療のバイブルは「黄帝内経」、「神農本草経」、「傷寒論」である。鍼灸は「黄帝内経」で記載されている。黄河流域の寒くてあまり薬草の育たない地域で、鍼灸技術は発達したようである。温暖な揚子江流域では、「神農本草経」という薬草・薬本に関する書物が書かれた。内科学の基礎を記した「傷寒論」もある。
 中国は、これらの書物が日本の邪馬台国の興るころにつくられていて、漢方処方をするなど、とても進んでいたことがわかる。生薬とは天然物由来の薬草などのことで、漢方薬は生薬を組み合わせて処方されている。
 ヨーロッパではヒポクラテスが紀元前5世紀に100数十種類のハーブや天然物を活用して治療とおこなっている。そのずっと後、顕微鏡が発明されたり、イギリスの産業革命で化学が薬学に入り込んできて薬学が発達した。具体的には、薬効成分が解明され、主薬効が合成されるようになってきた。ケシからモルヒネが、キナの木からキニーネが抽出され、薬効成分を同定する技術もできた。これがくすりの基礎となり、化学は19世紀には薬学のブレークスルーを起す。
もうひとつ、ヨーロッパの歴史の中で注目すべきは観察!例えば、18世紀、種痘にかかる人とかからない人がいることに観察を通じて気付き、原因を究明し天然痘ワクチンを開発した。
【クイズ】「20世紀から21世紀の薬学に影響を与えた革新的な科学はなんでしょうか」
答えはIT。情報をどのようにくすり作りに生かすか?が課題になった。
 
日本のくすり歴史
 神農の木像をみると、草を噛みながら体によいかどうかを自分の体で実験していることがわかる。神農本草経の著者は不明だが、365種類の薬草について書かれている。
薬草は上薬、中薬、下薬がある。
・上薬:不老長寿。滋養強壮のためによく使い、長期間使用される生薬。チョウセンニンジン、カンゾウ、ニッケイなど。
・中薬:薬膳料理の材料。
・下薬:効果がはっきりしていて、長期間使うと副作用が出ることもある。キキョウの根(咳)、ダイオウ(ルバーブ、下剤)、トリカブト(麻酔作用、鎮痛。)など。
 日本のくすりの神様というと、「少彦名命(すくなひこのみこと)」で、祭っているところでは、10月にお祭りがある。
 日本では遣隋使と遣唐使が300年の間、13回、往来しながら、長安などから日本に中国医薬を導入された。神農本草経も仏教のお経と一緒にもらったり、買ったりした。日本からは銅や硫黄をもっていった。正倉院には当時の買ってきたもの、交換してきたものが今も残っている。
薬草を集めるのは女性の仕事で、日本書紀では、推古天皇が奈良の山で薬草狩をした記録がある。男性は鹿の角をとりにいったりしたのだろう。中国からはいろいろなもの、一角獣の角、マンモスの角が日本に来ていた。聖徳太子の時代から漢方や生薬をつかった治療が上流階級では行われていた。日本のくすりは中国の影響を受けて、日本独自にアレンジしてきたもの。
 生薬とは、植物、動物、鉱物を加工・調製した漢方薬の原料のこと。生薬のクマノイはクマの胆のう(ゆうたん)で、胆汁の流れが悪い人には効果があった。重さあたりの値段は金と同じくらい高くて、貴重品。北海道の松前藩はゆうたんの販売で藩の財政を賄っていたといわれたくらい。
 日本人は病気を穢れ(先祖が悪いことをしたので病気にとりつかれる)と考え、お祓いをした。平安時代は陰陽師が来たり、お坊さんが護摩をたいたりして病気を治そうとしたことが源氏物語にも出てくる。
その背景に、穢れだと思うような考え方を根付かせた病気があった。それは天然痘。
伊達政宗は天然痘で失明している。20年周期で流行し多くの人がかかったり、死んだりした恐ろしい病気だった。平安時代には猛威をふるっていた。
ハクタクは中国の神獣でハクタクのお守りを持つとコレラ・痘瘡が逃げると信じられていた。
【クイズ】「源為朝は痘瘡の神様といわれて、痘瘡の疫病神を追い払っている浮世絵がある。なぜか」
参加者はクリッカーを使って選択肢を選びました。回答数の少ない順で次のような回答が得られました。
 3位 為朝は薬用植物の知識があり、自分で予防していた。
 2位 島流しで、痘瘡が流行したときに京都にいなかった。
 1位 痘瘡にすでにかかっていて免疫があった。
正解は島流しだったため。薬用植物はウイルスには力はない。源為朝は強い武将だから追い払ってもらおう!という気持ちもあって浮世絵がつくられ、人々はお守りにした。その天然痘も、1980年 WHO(世界保健機構)は天然痘絶滅宣言をした。大正時代には日本にもかかった人がいたはず。
 
江戸時代のくすり
 漢方医はくすりが命だから、薬屋は繁盛した。それで、盗賊にねらわれたりもした。医者や一般の人に薬屋が薬を売っていた。同時に中国からたくさん、薬を買っていた。当時の日本の貿易赤字のトップクラスに薬(チョウセンニンジン、鉱物)が入っていた。
 富山の配置売薬の起りは、江戸城に参勤交代で来ていた富山の殿様が、反魂丹(はんこんたん)を江戸城で病気の殿様に譲ったことに始まる。それがよく効いて、日本中で人気になった。富山の殿様は藩主導でくすりを作らせた。国内を移動するための藩札ももらいやすかったので、富山の薬屋は全国的に散らばっていった。配置売薬は使ったものの代金しかとらなかったのも受け入れられた。売掛・買掛制度を利用したことになる。
反魂丹の主成分はゆうたん(くまの胆のう)とダイオウなので、消化器系に効いたはずだと思われる。印籠(いんろう)は薬の入れ物で、高価なものだったので武士や豪商しか持てなかった。江戸時代には庶民にも旅行が定着し、道中くすり入れという簡単な容れものに入れて薬を持って出かけた。
 江戸時代のカタカナの薬第一号は「ウルユス」という商品だった。ダイオウがはいっていて効果がある下剤で、江戸時代に人気のあるくすりだった。「ウルユ」とは「空」という漢字を分解したもので、お腹を空にするという意味。
 明治維新になり、明治政府は西洋医学を採用し、医師、薬剤師が養成されるようになった。
 
蘭方医学
○杉田玄白
 1774年 解体新書を著わす。杉田玄白は腑分けに立ち会った時に、オランダのターヘルアナトミアの方が中国の解剖書よりも圧倒的に一致していたので解体新書を著した。中国は五臓六腑だけで頭に関する記載はなかった。だから、江戸時代までは、人の体の認識に頭は含まれていない。「頭にきた」などのことばができたのは明治以降で、江戸時代には「腹が立つ」と表現している。
○華岡青洲
 1804年 麻酔薬「通仙散(ツウセンサン)」をつくった。これは画期的なことだった。アメリカのエーテル麻酔は1844年だから、その40年前ということになる。通仙散があったから、世界で最初の乳がんの手術ができた。しかし、通仙散は副作用が強いので普及されなかった。
 
日本でも青カビからくすりができていた
 昔の戦争の歴史では、怪我で戦えなくなった人よりも、感染症や栄養失調で動けなくなった方も大変多かった。日清戦争で陸軍の兵士はビタミンB1不足による脚気で47000人が罹患した。海軍はパン食を採用して脚気にならなかった。14代将軍の死因も脚気。お見舞いの甘いものが病気を悪化させた。
第二次大戦中に、青カビから抗生物質ができるという情報を得た日本陸軍はわずかな情報から「碧素」というペニシリンとほぼ同じものを作り上げた。非常に優れた技術があったと考えられる。
 
薬草とくすり
 現在は合成されてつくられている医薬品でも原料の8割は天然物。その中で植物由来ものは多い。薬草が身近にあっても、効果は大きいので自分で煎じてのんだりしては危険。
キハダ:ベルベリン。抗菌、抗炎症の作用。
シナマオウ:ぜんそく
ジキタリス:心不全に効く。強壮剤。副作用も強いので煎じて飲んだりしないでください。
ニチニチソウ:白血病の抗がん剤で、シャープな薬効あり。副作用も強い。


話し合い 
  • は参加者、→はスピーカーの発言

    • 病気は中毒、感染症、欠乏症に分けられると思う。病気と症状の関係は
       →症状は病気の現れ。
    • 漢方薬と西洋医薬の違いは
        →漢方処方は症状をみてきめるので、精通した漢方医しか扱えない。天然物を用いる場合、成分がいつも同じではないので薬効も安定しない。その点、西洋医学は再現性が高くて扱いやすい。
    • 鍼灸は症状を治すのか、病気を治すのか
       →鍼灸は血流を改善して症状を改善する。たとえば、腎臓病や糖尿病は鍼灸では治りにくい。きっと坐骨神経痛のようなものに効くのだろうと思う。
    • 病気を中毒、感染症、欠乏症とわけると血管がつまるというのはどう分類されるのか
       →老化(動脈硬化)、生活習慣病の部類で中毒でも感染症でもない。