茅場町バイオカフェレポート「しょうゆのサイエンス」
2013年9月13日、茅場町サン茶房でバイオカフェを開きました。お話はキッコーマン㈱環境・安全分析センター長 半谷吉識(はんやよしき)さんの「しょうゆのサイエンス」でした。初めに田島朗子さんによるバイオリン演奏があり、タイスの瞑想曲、チャルダッシュとおなじみの曲が演奏されました。
田島朗子さんのバイオリン演奏 | 半谷吉識さんのお話 |
お話のおもな内容
工場の環境関連、原料残留農薬分析などの確認の仕事をしています。このごろは、今回のような出前授業にもでかけています。今日はしょうゆの製造法について概要をお話した後、火入れしょうゆと生しょうゆの比較についてお話したいと思います。
1.しょうゆの製造法
原料
野田市駅前に大きな工場があります。この工場にはしょうゆをしぼる設備があるので、周辺にもしょうゆの香りがします。
本醸造しょうゆの原料は、大豆、小麦、塩、水です。
大豆は蒸して、麹菌の酵素でタンパク質を分解しやすくなるように加工します。同様に小麦は炒って、デンプンを分解しやすくしたのち、砕いて使用します。
製麹
次にこの大豆と小麦を使って麹をつくります。しょうゆ醸造に利用する麹菌としてはアスペルギルスオリゼ、アスペルギルスソーヤのふたつがあり、国としても大事な菌である「国菌」に指定されています。
加工した大豆と小麦を混ぜ、さらに麹菌を混ぜて3日間培養します(製麹)。昔は小さな木箱を用いて麹を作っていたので手で混ぜていましたが、今は大きな機械で製造しています。この機械は下が多穴板になっており、そこを通して湿度や温度を調整した風を送ることができるようになっています。そのままにしておくと麹菌は自分の発酵熱で死んでしまうので、風をあてて温度を下げたり、湿度を与えてたりして、最も生育が良いように管理してやります。麹菌は糸状なので、生育してくると原料の粒同士をひきつけていきます。これが進んで原料が固まってしまうと麹の間に隙間ができ、そこだけしか風が通らなくなり温度管理ができなくなるので、スパイラル状の装置で麹を時々混ぜてやります(手入れ)。酒は米を原料に使いますが、麹として使うのはその一部だけです。しょうゆは原料全量を麹にして使うところが特徴です。
発酵
できあがった麹に塩水にいれて発酵を開始します。
麹に食塩水を混ぜたものを諸味(もろみ)といいます。諸味中で働くのは乳酸菌と酵母です。乳酸菌も酵母も食塩濃度が16%以上もある諸味の環境中で働くものを使います。
諸味中ではまず初めに乳酸菌の発酵が起こります。乳酸菌に求められるのは主に乳酸の生産です。乳酸が生成され諸味のpHが低下し、酵母発酵に適した環境に変わっていきます。酵母にはアルコールと香りの生産が求められます。酵母が作るしょうゆの特徴的な香りはHEMFといってカラメルに似た香りです。諸味は6ヵ月ほどたつと、大豆の形はなくなり、どろどろになります。
古くからのしょうゆ蔵では、「蔵つきの酵母」を使って製造しており、その酵母の違いによってお店の特徴が出ます。キッコーマンでは「優れた乳酸菌」「優れた酵母」を選抜しており、これらを加えて発酵管理することで品質の安定したしょうゆを1年中どこでも作ることができるようになっています。野田には「御用蔵」(ごようぐら)があり宮内庁に納める「御用蔵しょうゆ」を作っています。こちらは昔ながらの醸造法で1年かけて作っています。
しょうゆを1本作るのにつかわれる、塩、大豆、麦 (写真向かって左から) |
会場風景 |
御用蔵
http://www.kikkoman.co.jp/enjoys/factory/goyougura.htmlしょうゆ製造というものは、装置が大きく、時間もかかり生産効率は決して高くないものです。
圧搾・火入れ
6か月たったら、諸味を圧搾してしょうゆをしぼります。三つ折りのナイロン布のまん中の部分に諸味を入れて、これを屏風たたみにします。その高さは2階建ての建物くらいになるので、自分の重さでしょうゆがしぼられていきます。これを「自然だれ」といいます。ビールの「一番しぼり」のようなものです。その後に機械でゆっくりと圧力をかけ、しぼり切ります。
一番初めは少しにごっているしょうゆが出てきます。中間がいちばん澄んでいます。最後に圧力をかけてしぼりきると油などの成分も出てきます。
基本的にこれらのしょうゆは、全部一緒にして次の工程に送るので、ビールの一番しぼりのような扱いはしていません。これが生しょうゆになります。
一般のしょうゆはこのあと火入れをします。火入れをする目的は微生物が生きていると品質が変化してしまうため、これを殺菌することと、香りを整えることにあります。火入れは、何枚もある板の間を通し、ヒーターに一瞬、熱をかけることで行います。
2.生しょうゆ
味の感じ方には、3段階あります。全部で20秒くらいのことですが、次のようです。
・先味(さきあじ):初めの味
・中味(なかあじ):口の中に広がってくる
・後味(後味):後に残る
どちらかというと火入れしょうゆは初めに刺激があり、生しょうゆはそれが弱く、ふわっとした印象の味です。専門的に言うと、「火入れに比べて生のかおりは穏やかで、熱をかけるとできる成分の香りが強い。しょうゆの風味が生のほうが豊かな感じで、苦味が弱く塩味がまろやかで甘く感じる」ということになります。一般に素材をいかしたいときは生しょうゆ、素材の臭いを消したいときは火入れしょうゆを使うという使い分けもあります。
生しょうゆのもうひとつの特徴は色が淡いことです。「澄んだ鮮やかな赤色」と表現しています。
しょうゆの利き味(ききみ)試験は室温で絹ごし豆腐につけて味わうことが一般的です。
岩手大学の研究では、においかぎガスクロで生しょうゆと火入れしょうゆを分析したとき、生しょうゆから感知できる香気成分の数は火入れしょうゆよりも多いことが示されています。またこれらを加熱したとき、生しょうゆの感知できる香気成分数はさらに増加しましたが、加熱した火入れしょうゆではむしろ減りました。例えば、生しょうゆを加熱すると、甘い香りが増えます。一方、火入れしょうゆには調理の際に肉の臭みをマスキングするなどの効果があるといわれています。
しょうゆには300種以上の香り成分があることが知られています。
火入れしょうゆは、1ℓで298円くらいですが、生しょうゆは200mlで200円ぐらいします。3倍以上の値段の差です。はじめは、こんなに高いしょうゆが売れると思いませんでした。しかし、お客様が品質を理解してくださっているので、高くても売れているのだろうと思っています。生しょうゆは酸化しやすいので、二重の袋の瓶になった新開発の容器を使っています。生しょうゆの価格はこの新型容器の価格としょうゆの精密ろ過の費用がかかるため、どうしても高くなってしまいます。
牛乳の低温殺菌では湯せんにし、時間をかけて風味を損なわないようにします。しかし、しょうゆでは低温殺菌では色が黒くなり、香りがとんでしまい、かえって品質を損なうことになります。
他社では、3年醸造、10年醸造などといった長期醸造のしょうゆが販売されています。これらのしょうゆの色は黒く、味はおだやかであるのが特徴です。しょうゆはその色から「むらさき」とも呼ばれますが、あまり醸造期間の長いしょうゆは「紫」の度合は減ってしまっている印象を受けます。
「しょうゆ」はJAS(日本農林規格)により5つに分類されています。こいくち(減塩しょうゆもこいくちに含まれる)、うすくち(米麹を糖化した甘酒をいれる)、たまり(原料の大部分は大豆)、再仕込みしょうゆ(食塩水の代わりにしょうゆを使う。料亭用)、しろしょうゆ(小麦を多く使う)、の5種類です。昆布しょうゆなどのしょうゆは「しょうゆ加工品」として、しょうゆとは区別されています。
利き味(ききみ)
生しょうゆと火入れしょうゆを白い容器に入れ、香り、色、味をためし、それぞれを豆腐につけて試食しました。香りの好みでは、生の香りのほうがいいといった参加者は3分の2くらい。理由は、上品な香り、味噌みたいな香り。味も生のほうが柔らかいと人気がありました。豆腐で利き味をした火入れしていないしょうゆ |
話し合い
- 乳酸菌と酵母は一緒にいれるのか→乳酸菌を入れ、乳酸発酵が進み、諸味のpHが酵母の生育環境になったら酵母を入れます。
- 丸大豆しょうゆとは→丸大豆とは丸ごと使うということ。これに対して脱脂大豆しょうゆは油を絞った後のつぶれた形の脱脂大豆を使います。脱脂大豆は油の香りは弱いが、窒素を濃く仕込みやすい。
- 発酵中に働く菌の変遷は→初めの麹菌は塩水が入ると死にます。乳酸菌は自分の生産する乳酸の影響を受け、次第に減少していきます。最後に増えた酵母も自分のつくったアルコールで最終的には減少していきます。
- 麹屋さんというのは何を売っているのか→麹屋さんのことを「もやしやさん」といいます。麹菌を育てて、麹を作る際に混ぜるための麹菌の分生子(胞子)を集めたものを売っています。酒蔵は麹菌を麹屋さんから買う場合が多いと思いますが、しょうゆ屋はそれぞれ門外不出の独自の麹菌を持っている場合が多いようです。それだけ麹菌がしょうゆの品質に影響を及ぼすということです。今日、見ていただいたシャーレの麹もキッコーマンのものではありません。
- 丸大豆しょうゆと脱脂大豆しょうゆと味は違うのか→丸大豆しょうゆはグリセリン(糖アルコール)を多く含んでいて、甘く香りがおとなしい印象です。丸大豆しょうゆと脱脂大豆しょうゆの味の差は一般の方が官能的に識別するには少し難しいかもしれません。火入れしょうゆと生しょうゆの差よりは難しいと思います。
- しょうゆは常温保存でいいか→基本的に常温で結構ですが、冷蔵庫のほうが品質は保持できます。生しょうゆの二重瓶だと開栓後常温で90日品質が保持できます。減塩しょうゆは食塩濃度8%なので冷蔵庫に入れてください。
- 食塩濃度は火入れも生も同じですか→イエス
- 関西・関東でしょうゆに味は変えているのか→変えていません。インスタントのきつねうどん・そばなどは東西で味を変えていたりしますが、しょうゆは製品が同じであれば関東でも関西でも同じ中身です。関西はうすくち系が好まれます。九州・東北は甘いしょうゆが好み。名古屋はたまりしょうゆ。関東・北海道はこいくちが主流です。好みに合わせたしょうゆを作り、それぞれ販売しています。
- しょうゆのうまみはアミノ酸発酵が起こるからできるのか→アミノ酸発酵ではありません。麹菌が酵素を出して、大豆や小麦のタンパク質・糖を分解してうまみになります。最近はジペプチドなどの成分もうまみに関係があることがわかってきています。
- てりやきをつくったのはアメリカ人ではないかと思っている。それはアメリカにしょうゆが輸入されて受け入れられたのだと思う→しょうゆの特徴は味だけでなく香りも重要で、肉のいやなにおいをしょうゆが消す「マスキング効果」が、バーベキューにあっていたのではないかと考えています。またしょうゆのこげる香りは香ばしく、食欲をそそったのではないでしょうか。
- アメリカではどんなふうにつかわれているのか→主力は業務加工用です。日本では家庭用と加工用半々ぐらいです。アメリカでの和食ブームはしょうゆ人気ともいえるのではないかと思っています。アメリカでしょうゆ製造が始まって40年になります。現在、利益の半分程度は海外から出ており、今では欧州にも市場が大きく広がっています。海外では日本の感覚に比べぜいたく品で異文化の調味料という位置づけになっているようですが、和食との組み合わせで広く普及してきました。しょうゆに近い食文化のあるアジア圏への進出は難しいという印象です。アジアでは日本のしょうゆを販売すると同時にアジア向け調味料を開発して販売しています。やはり、値段は若干高めになっています。
- 大豆の品種で味がちがうか→キッコーマンではしょうゆ用の大豆を使っています。キッコーマン独自の品質規格があります。大豆の種類が異なるとできるしょうゆは違ってきます。
- 遺伝子組み換え大豆の利用は考えられているのか→分別が始まったときは大変だったが、今は組換えでない大豆の入手経路ができあがっているので安定して供給されています。
- キッコーマンが行ったアンケートでは、購入時に見る表示は1位が価格、2位が品質、3位が遺伝子組換えかどうかの順でした。遺伝子組換え体を使用しているかどうかについて利用者の関心はまだまだ高いので、遺伝子組換え大豆はしばらく使わないだろうと思います。
- ウイスキーは麦を発芽させて使うが、しょうゆでは発芽させないのか→ビールは麦芽が酵素をだすから使いますが、しょうゆは麹菌をいれて酵素を出すので、発芽させる必要はありません。
- しょうゆアイスというのが流行しましたが→野田にあるキッコーマンの見学工場ではしょうゆソフトクリームを今も売っています。アイスには専用のしょうゆを使っています。キャラメルのような味と香りがあっておいしいのですが、なかなか市販のスイーツとして定着するまでにはいかないようです。
- なぜ、野田にあるのか→原料である大豆、小麦の産地に近いこと、人口の多い江戸に近いことが要因です。しかも江戸川を使って運搬ができたことも大きな理由のひとつだといわれています。しかし、もともとは西日本を中心にしょうゆ製造がおこなわれており、西から伝わって来たものです。これが江戸時代に関東で産業として定着したようです。
- しょうゆのアレルギー表示は→しょうゆでは、大豆も小麦も分解されており、アレルゲンはないことが知られています。しかし、アレルギーは個人差も大きく、アレルギーを起こさないと表示するにはリスクもあると考えています。海外では小麦を使っていることを気にする人が多いので、アレルギーについても気を使っています。