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バイオカフェレポート「虹と雪のバラード」

 2012年2月10日(金)、くらしとバイオプラザ21事務所会議室にて、バイオカフェを開きました。お話は、日本サイエンスコミュニケーション協会理事 渡辺政隆さんによる「虹と雪のバラード」でした。季節にピッタリのお話で初参加の方も多くみえました。

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渡辺政隆さんのお話 会場風景


お話の主な内容

虹の話
今日の話は約10年前、文系・理系の境を超えた「シームレスな文化」について企画した国際シンポジウムで披露したトピックスで、昔の思い出ついででなつかしくなって札幌オリンピックのテーマ曲のタイトルをつけました。
雪の話の前にタイトルにある虹の科学について話します。虹は詩のテーマになったり、不思議な現象でいろんな伝承にもなってきました。ところが三百数十年前にニュートンがプリズムで光を分解してみせて、虹の正体を明らかにしました。空気の層がプリズムの役目をして、光の波長によって屈折率が違うことから、虹が見られるのです。これに対して、詩人のジョン・キーツが、ニュートンが虹の原理を解明したことで、科学が夢を壊してしまったと嘆きました。
「利己的な遺伝子」で有名なドーキンスは「虹の解体」という本を書いて、その中でこの逸話を引用して、「科学が虹の正体を明らかにしたことで、虹の美しさがましたのではないか」というようなことを書いています。ぼくも同感です。
科学は自然の美を壊すものではなく、仕組みを知ることで美しさをもっと深く知ることを可能にするのです。
甲虫のタマムシの鞘羽は虹色です。鞘羽表面の微細な構造がプリズムのように働いて虹色に見せているもので、これを構造色といいます。蝶の燐粉は月日がたつと色あせますが、構造色は色があせません。螺鈿も同じで、螺鈿細工に使われています。化石を調べると、太古の生物で虹色だったものもいたのではないかという説もあります。

雪の殿様
私は子供のときに雪の多い新潟県に引っ越して、昭和38年、「サンパチ豪雪」を経験して、驚いたことを覚えています。冬は、風のないときに雪が空から落ちてくるのを教室から見ているのが好きでした。
雪の結晶が描かれた、江戸時代の狂言の衣装と、昭和9年の七五三の訪問着の写真があります。これは古河藩主の土井利位(としつら)が、雪華(せっか)ブームのきっかけをつくったことに発しています。土井利位の家老に蘭学者がいて、勉強するうちにオランダの書物で顕微鏡があることを知り、これをとりよせて、大阪城代時代に大阪城の中庭で雪を観察したようです。当時は大阪でも雪がよく降りました。毛氈に雪をうけてスケッチし、「雪華図説」という小冊子(私家版)をつくって、大名仲間の贈り物にしていました(1832年)
そのときには江戸庶民は知らなかったのですが、「北越雪譜」という本に「雪華図説」が引用され、江戸庶民の間で大人気になった。武士は印籠に雪華を描き、衣装の図柄に使われるようになりました。
空から降ってくるものの美しさを記録せずにいられなかったのだろうと思います。
そして、江戸の庶民も雪の結晶の美しさを知っていたことになります。江戸には寺子屋があり、文化も高く、識字率も高かったことも関係あると考えられます。雪の一片ひとひらが精緻な対称形をしていることを知って、雪の美しさがさらに増したのです。

雪の研究者
中谷宇吉郎(1900-1962)は、石川県片山津に生まれました。物理学者である寺田寅彦の弟子。寺田寅彦は尺八の音響学で博士号をとったり、地震、金平糖など身近なものの研究をしました。それは、ドイツで最先端のエックス線解析の研究をしていたのに、帰国して、日本に情報が来るのが半年以上も遅れることがわかり、最先端科学をやめて身の回りの科学を研究すると決めたからです。
中谷宇吉郎も北海道大学にうつるときに、身の回りに多くある「雪」の研究を始めました。中谷は、世界で初めてウサギの毛を核にして人工雪の結晶を作りました。条件をかえると結晶の形が変わることがわかりました。そこから、雪の結晶から上空の気象条件がわかるようになり、「中谷ダイヤグラム」をまとめました。「雪は天からの手紙である」という有名な言葉はそういう意味です。
中谷の生まれ故郷の片山津には「雪の科学館」があり、人工雪をつくる装置や実験の記録映画(岩波)があります。ぜひ、訪ねてください。

科学者の多才な活動
中谷は「雪は天からの手紙」という名言を残しただけでなく、随筆を書いたり、絵を描いたりしました。寺田寅彦も随筆家、俳人として有名です。
中谷は本の中で「科学的方法をそのまま伝えると、科学が特別なことでないと伝えることができる」と書いています。中谷が雪の研究をした理由は、北海道には雪がいっぱいあること、雪で上空の気象を知ることができるからといっていますが、本当は人工雪をつくってみたら面白いかもしれないと思ったからだとも語っています。
こういう心を持った人が科学を語ると、科学の敷居が低くなるのではないでしょうか。

中宇吉郎の心を受け継いだ人
1970年、大阪万博のぺプシ館の写真があります。これは、建物を霧で包んだアートです。このほかにも昭和記念公園を霧で包んだものもあります。
これを創ったのは中谷宇吉郎の次女の中谷芙二子さんです。建物を霧を包んだら面白いのではないかというアイディアとそれを支える技術がなくては実現しなかった作品です。
当時、霧の発生装置はなく、化学薬品やドライアイスを使うわけにもいかないために、水を細かくしてまいて霧を作るノズルを開発するに至りました。アメリカにあるその会社は今もそういうノズルの世界シェアの大半を握っています。アートとサイエンスのコラボが産業を興す、経済効果をもたらすよい例です。
中谷は非科学的な報道には厳しい人でもありました。中国に、春分の日には生卵が立つという説があり、これを重力の関係などを説明した新聞記事に対して、卵のでこぼこにうまく重心をあわせると、数分かければ誰でもいつでも立てられると書いています。
中谷は単身赴任でしたが、子どもに童話を作って送ったり、イグアナドンの歌をつくって歌ったり、娘たちを愛し、娘たちは彼を尊敬していました。
長女も地質学者となり、湯布院(大分)の映画祭の仕掛け人で旅館「亀の井別荘」の主人は甥にあたります。宇吉郎の思いは皆に伝わっていると思います。

サイエンスポップカルチャー
英国王立化学会はペニシリン発見75周年記念に、「カルチャーショック・コンペ」といって、研究室に放置されたマグカップに生えたアオカビの写真コンテストを行いました。文化のカルチャーとカビのカルチャーをかけた、ユーモアのあるイベントです。
日本には、「モヤシモン」という漫画があります。麹などをつくる老舗の息子が主人公で、彼は微生物を見ることができ、東京の農業大学に入り、個性的な学生や先生に出会っていくという話しです。欄外には醸造に関する薀蓄が書かれています。漫画家は醸造をネタにして漫画を描きたかったのだそうです。
国立科学博物館の「菌類のふしぎ展」では、モヤシモンとのコラボが実現。会期中にモヤシモンの作者の石川雅之さんが会場のあちこちに落書きをしたことが、ブログで広がり、これを見つけるのがブームになり入場者が後半、急増したそうです。
宇宙兄弟というまんがでは、宇宙飛行士のめざす兄弟が、火星の一番乗りをめざします。向井万起男さんがモデルになった人物が登場しています。
日本のサイエンスアニメといえばロボットものがあります。アトムやガンダムを見た人がロボット工学に進んだ例もあります。カール・セーガンの科学番組「コスモス」を見た人が天文学を専攻したという話と通じます。
「はやぶさ」もツイッターでもりあがりました。全員がポスドクのはやぶさ広報特任チームが出来て、ハヤブサが擬人化され、それをいろいろな人がユーチューブに流しました。お酒のラベルになったり、コスプレのはなぶさちゃんが活躍したりもしています。
こうしてみると、日本には科学をみんなで遊ぶという文化が昔からあったのです。


話し合い 
  • は参加者、→はスピーカーの発言

    • 科学の難しさと、科学の遊び心の間にギャップがある。
    • 雪華ブームで虫眼鏡は江戸時代に普及したのか→何台か長崎にはいってきたが、他に観察記録があるかはわからない
    • 私は電気泳動写真を美しいと思う。国際ガン学会では電気泳動のバーコードの写真を利用した。電気泳動のバンドを見て、美しいと思う人、思わない人がいる。ガン遺伝子のP53のDNA配列が載っているTシャツをアメリカの古着屋で見つけたこともある。日本では学会だけなのに、アメリカは古着屋にあって、境界、環境の違いを感じた。美しいから取り入れ、美しいものは美しいというのは、どうなのでしょうか
    • 今では、日本の理研もやっている。海外の科学館には電気泳動写真のスカーフもある。日本の科学館でもグッズが作られているし、研究機関が広報活動としてサイエンスアートを活用している。
    • 40年前、アメリカでたんぱく質の構造を立体視できる教科書を、科学者とアーティストがコラボして作っていて印象的だった→中谷宇吉郎が氷をスライスすると年輪のように見える写真をいっぱい並べて、眺めている写真がある。素直に美しいと思って見ている、美意識を感じた。
    • タンパク質の構造は美しいと思うのは変わり者だろうか、フェロセンという物質の形が美しいと思ったことがあり、今日の雪のスケッチと似ていると思った。やはり美しいと思う。
    • 水の分子モデルをつなげていくと、水素と酸素の結合の角度から、結晶が6角形にしかなりえないことがよくわかった。
    • 六角形の構造は安定なのだろうか→気象によって三角の雪の結晶など、いろいろある。
    • 新しい形の雪を見つけたら、それを認定したらどうだろうか
    • 土井利位や中谷宇吉郎が、雪の結晶のスケッチを発表したから美しいと広く認識されるようになった。実験データが対称で綺麗だとか、数学者は数式がシンプルになると美しいと思うが、それは普通は受け入れられないだろう。普通、思われないことが「美しい」ものとして世の中に広まっていく理由はなにか→雪はなんとなく観ていたが、まじまじとみたことがない。観察してそれを皆の前に示したことが、広く認識を孵るきっかけになった。例えば、今のクマムシブーム。私はダニが綺麗で研究しようかと思ったこともある。
    • 人間の中に対称を美しいと思う共通性があるように思う。
    • 広報活動によって流行したり、常識が覆ったりすることがあると思う。人の心を動かす法則があるはず。しかし、既成概念の抜けない人もいるし、すぐに変われる人もあるし、境界線があるのだろか。
    • 知ってみるとより感動することはあるとおもう。科学的に深く知るとより感動する。
    • シンプルなものと複雑なものの関係。フラクタルなど。花の形が3つの遺伝子に起因しているという「ABCモデル」を知ってがっかりするか、もっと愛しくなるか。このあたりが分かれ目ではないか。
    • ブームを起こすには、心理学的なマナーを利用するといいのかもしれない。しかし、教えられると嫌になる人もいる。知ると数式が綺麗にみえたり、愛しくなる。研究したものには愛着が出てくるもの。
    • アウトリーチ活動で何か楽しいことがあると、科学者は自分の持っている美しいものへの思いを語りだすのではないか。
    • 科学読みものの会をしている。機能的なものをかっこいいと思う子ども心を否定しないでほしいと思う。キャラクターデザインで、好きになったりする。
    • 反対に名前をつけるとイメージが決まってしまうこともある。
    • 知識がないと、ぱっとみて美しいと思う、これは一過性の美しさ、原理や法則がわかると理屈の美しさにも気づく。基礎的な知識があるともっと楽しくなる→江戸時代の雪華ブームは理屈より美しさによって起きたのだと思う。
    • 美しいとか、楽しいと気づくときに、そのチャンスの有無が大きい。外から与えられたり、自分で見つけたり、自然に触れて素直に感じる。家庭菜園の収穫は素敵だと思うが、我が家では家族はついてこない。
    • 世界旅行に行くと、写真でみるのとは異なる経験ができる。五感で知る。自分で体験して知ったことは一番信用できる情報になる。知らないと人から聞いて反応してしまう。私は、今日のお話で「人に伝える、意識を変えるきっかけ」を見つけられる気がしてきた。
    • 例えば、写真で匂いは伝わらない。いろいろなところで匂いで実感したことが自信につながっていると思う。放射性物質についても、長く扱ってきた自分には、ある感覚(「匂い」のようなもの)がある。においを共通に感じられると身近に感じたり、話し合ったりできると思う。
    • よく知っている人が説明すればいいが、よく知らない人が想像の中で、理解がばらばらになってしまう。
    • わかっていることは教えてほしい メディアの報道だけでいいのか 本質を捉えないまま、伝えられないまま、流れてしまうのが怖い。
    • インターネットの情報が世の中にはいっぱいある。
    • 年配者はインターネットをみません。だから、インターネットでアンケート調査をするのは意味がないと思っていた。
    • 筑波大学には哲学カフェをしている人もいる。哲学カフェはサイエンスカフェのモデルになっている。集まった人で話し合うことを決め、ゲストスピーカーがいないのが、パリの形式。肩書きなしで名乗った名前を呼び合う。例えば、「今日は生きるとはなにかをテーマにしましょう」など。ゲストの専門家なしで、科学の話をするのも、興味深い。科学だけが特別ではない。
    • サイエンスカフェという名前のサイエンスがバリアになっていると思う。
    • 科学を文化として楽しむと言ってきたが、歌舞伎を文化として楽しむという言い方と同じ違和感があるような気がしてきた。ただどちらも、見方、楽しみ方の作法を知ればより楽しめるという点は同じかも。その意味ではいいのか。今日をきっかけに、そのあたりも考えていきたい。