2010年7月9日(金)、サン茶房でバイオカフェを開きました。お話は国立精神・神経医療研究センター神経研究所 荒木敏之さんによる「認知症について」でした。始めに松本宗雄さんによるビオラの演奏がありました。無伴奏チェロ(バッハ)をバイオリンより音の太いビオラに替えての力強い演奏でした。
松本宗雄さんの演奏 | 荒木敏之先生のお話 |
はじめに
国立精神・神経医療研究センターは、傷痍軍人の病院から出発したもので、小平市にあります。精神保健研究所、神経研究所、病院から成り、厚生労働省所管のいわゆるナショナルセンターのひとつ。
対象疾患は筋疾患、精神疾患、神経疾患、発達障害で、この4つの研究と臨床をしている
私は疾病研究第5部というところにおり、神経変性(神経の細胞や長い突起がぼろぼろになったり死んだりすること)がなぜ起こるのか、どうやって防げるのか、失った細胞を元に戻せるのかについて、マイルドな方法(大量の薬や手術など苦しい思いをしなくてすむ方法)を使えないか研究している。私のめざすはるかなゴールは、高齢者が良好な神経機能を保った状態で暮らせること。
認知症とは
認知症が何かを知ることはとても大事。私も含めて、年をとると物忘れが始まる。
さっき置いたものを忘れるのは病気か、これは普通。本当に病気の人は丸ごと忘れる。例えば、病院に来た理由がわからないなど。病気の自覚がないのも特徴。忘れていることを自覚できない。やがて徘徊や妄想などの異常な行動が始まる。
まぎらわしい状態
症状が似ていても認知症でないものもある。
抑うつ状態(うつ病):年をとると起こりやすい。適応能力が減ることも一つの要因。例えば、引っ越し先に対応できず、ひきこもる、話しかけに対応しなくなる。認知症と紛らわしい状態だが、うつには浮き沈みがあるのが特徴。これは専門医でないと見極められない。
せん妄:たとえば年をとって入院すると不安になりやすく、幻覚をみたり暴れたりすることがあるが、このような症状は一過性で、また元に戻る。年をとると、暑い日に脱水症状を起こし易いが、脱水もせん妄を誘発することがある。
その他:パーキンソン病の薬の副作用でも認知症と似た症状が出ることがある。代謝を調節する甲状腺のホルモンが減るとうつのようになり無気力になり、認知症と紛らわしいことがある。
これらは専門医でないと見極められない。似た症状があっても直ちに認知症とすべきでない。認知症様の症状を引き起こす別の疾患がある場合に、それを見逃さないことが重要である。
認知症の種類
血管性認知症:高血圧や高脂血症がもとになり、脳の血管が詰まったり出血を起こしたりすることによっておきる。大きな脳梗塞で半身不随にならなくても、小さい血管が詰まったりしているとそれの積み重なりで認知症になる。
典型的症状として、意欲低下と無関心。妄想、徘徊は少ない。歩行障害、言語障害、感情失禁など。
アルツハイマー病:遺伝性で若くて発症するのもあるが、典型的には高齢期に発症。
場所、時間の感覚の喪失 順序だった行動(買い物、料理が典型)ができなくなる 話ができなくなる、書けなくなる、物取られ妄想、うつ状態でひきこもるなど。
レビー小体型認知症:亡くなった方の脳細胞を顕微鏡で見るとレビー小体と呼ばれる異常な構造物が観察されることが特徴。認知症患者の1割くらい。パーキンソン病(運動の病気)のような症状を伴う。
幻覚がみえたり、歩くのが遅く、時々転ぶ、よくなったり悪くなったり症状に波がある。記憶障害は小さいが、幻覚や妄想が多い。
前頭側頭葉変性症:大脳のなかでも前頭葉、側頭葉という部分が萎縮するのが特徴。比較的若年で発症。無関心、意欲低下、常動行動(同じ動作の繰り返し:同じコースの散歩を続ける。同じものばかり食べる、など)、反社会的行動、異常行動、漢字やことばの意味を忘れる、などを特徴的症状とする。
認知症の治療と予防
治療としては、保険適用の薬では「アリセプト」があるだけ。これは、アセチルコリン分解酵素阻害剤(神経の連絡を担う物質であるアセチルコリンの分解を抑えることで、存在量を高めることにつながる)で、アルツハイマー病の比較的初期の症状を一時的に改善する。この他に、妄想には統合失調症の薬、不安を抑える薬、昼起きて夜寝るようなリズムをつくるために睡眠薬を与えるなどの対応を行うことが有効である場合がある。
正しく病気を理解すること、どんな病気の種類があり、何が起こるかを知っておくことが大事。本当はお医者さんが対話の中で治療や介護にあたることが大事(だが、お医者さんもそこまで対応できていない)。
脳血管障害の予防として、高血圧、糖尿病、脂質異常症(高脂血症)、虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞など)のコントロール、 飲酒、喫煙、運動不足などの生活習慣の改善につとめることが重要である。
脳トレーニング
脳トレといわれる,簡単な計算やそれらを用いたゲームで脳の機能を高めることができるのだろうか?
簡単な計算問題を早く解くとfMRIを見ると頭の血流が盛んになっていることがわかる。簡単な計算で血液がよく流れるのは事実だが、いわゆる脳トレによって脳機能が向上するかどうかはわからない。計算が効くのか、目や手を動かすことなどがいいのかの区別もできていない。
根拠になっている論文のひとつでは、アルツハイマー症患者で、音読、計算したグループとしないグループの2グループでそれぞれ6ヶ月後の脳の機能を調べていて、学習療法を行ったグループの方が前頭葉機能テストの成績や自立的生活能力があがったとされている。しかし、この研究では問題を解くために介護の人とのコミュニケーションやスタッフとのおしゃべりをしたのがよかったのか、学習そのものの効果の区別はできていなかった。また、データ解析における統計処理上の問題も指摘されている。総合的に考えて、脳の研究者には、今のところ脳トレの効果はないと思っている人が多い。
脳の迷信
1960年代、「味の素を食べると頭がよくなる」といわれていたことがある。
味の素の主成分であるグルタミン酸ナトリウムはアセチルコリンと同じ興奮性伝達物質(この物質を受け取った細胞の興奮が高まる)であるが、食べても頭に働くわけではない。
最近ではまた、あるチョコレートが抑制性伝達物質(受け取ると興奮が小さくなる)が含まれていてストレスが癒される、脳細胞保護効果がある、学習効果が上がるという宣伝文句で売られている。根拠になっている実験をみると、ラットやマウスを用いた研究であって、この際に用いられた抑制性伝達物質の摂取量を体重あたりに換算すると、人間ではチョコレート商品から摂取し得ない量であることがわかる。
物を売るために多少の誇張は認められるかもしれないが、怪しいことに目をつぶる人がいる。わずかの差がすべて効くようにマーケティングを進められているようだ。テレビに登場する脳科学者は、本当に科学の発展に貢献しているのだろうかと感じることもある。
食べた物は消化されて吸収されるが、特定のものを食べることが直接脳の活動を高めたり、脳を保護したりすることはない。
まとめ
脳を元気にする安易な方法はないのが現実。簡単なゲームや食べ物だけではよくならない。生活習慣改善で老化を防ぐのが大事!!!
老化のひとつの現象として計算能力が低下するので、計算だけをすればいいのではない。
世の中には、藁をもつかもうとする人に藁を差し出す人がいる。冷静に考え、うまい健康話はないと考えていただきたい。適度な運動、バランスのよい食事が大事です。
会場風景1 | 会場風景2 |
- 認知症の治療の可能性は→アルツハイマー症は難しい。
- 脳血管性の見分け方のポイントは→総合的検査が必要で、CTだけでは必ずしも診断できない。アルツハイマー症の方には、ものわすれや異常行動がある。血管性は無気力が特徴。脳ドックが流行しているが、特になにも症状のない人にはあまり積極的に勧めない。血圧管理や生活習慣の改善のほうが大事だと思っている。
- 遺伝性の認知症はどのくらいあるのか→ごく一部であるが、研究対象としては重要視される。研究者は治療法の研究のためのとっかかりがほしいという考えから遺伝性の認知症の研究を行う。遺伝性なら遺伝的な変化があるはずだから、それを見つけてそれがどのように認知症を引き起こしているのかがわかるはず。遺伝性の認知症のメカニズムの少なくとも一部は、遺伝とは関係なく起こる認知症のメカニズムとも共通している可能性があることから、認知症全体の理解につながる。
- ハンチントン氏病などは原因遺伝子がわかっているというが、アルツハイマー病の原因たんぱく質は→レビー小体にたまるものがなにかはよく研究されている。アルツハイマー病でベータアミロイドがたまるのはわかっている。 例えばベータアミロイドを切る酵素(セクレターゼ)が変化すると発症することまではわかっているが、治療に生かすところまではいっていない。認知症モデルマウスはできていて、遺伝子を変化させると学習、情動に変化がでることもわかっている。
- アリセプトには副作用はあるのか→副作用はすくないが、時折経験されるのは、食欲不振や、興奮・不眠など。
- 母が認知症外来に行き、MRIをとりに行くことになっている。そうすると、年相応か、認知症かの区別がわかるのか→診察を行い、MRIなどの画像検査や脳の血流の状態がわかると、認知症かどうか、認知症である場合どのような種類かはわかる。
- 以前は認知症でなく痴呆症と言われた気がするが→痴呆症ということばは使わなくなった。イメージが悪いことばの置き換えが行われている。病気であることイコールネガティブな印象を与えるのはよくない。分裂症は統合失調症となったのも同じ理由
- 認知症と年相応の変化に違いは→正常と異常の差がわかりにくいこともある。神経細胞の突起が縮んでなくなることが神経の変性だが、天寿をまっとうされた方の脳を解剖すると神経細胞の死は観察できる。ただし病気の人だと細胞変性が異常に多い。症状を見た場合にも、判りにくい場合がないとは言えないが、常識のなさや異常行動・妄想などは病気かどうかひとつの境目になる。
- 高血圧は降圧剤で抑えると、血管性認知症を防げるのか。降圧剤が効かなくなるなどの心配があるだろうが→現在の状況では、効かなくなる心配より降圧剤で血圧をコントロールしている方がはるかに大事。
- 脳トレの効果はコミュニケーション効果かもしれないということだったが 施設で話し相手が必要というのと同じだろうか→薬の効果をみるときにはコミュニケーション効果との区別ができないと、薬の効果だけを確認するのが難しくなる。たとえば、精神科の病気ではプラセボ(偽役)効果が大きいことがよく知られている。治験コーディネーターが世話をするだけで精神病が改善される例があるので、薬で病気が改善されているかどうかはなかなかわからない。 高齢者が介護施設などに入所してもかまってもらえないとよくないという人がいるが、認知症がその在所で発症したり進行したりする原因になるかどうかについては明確な証拠はない。
- 生活習慣改善が予防になるのは、血管性だけですか→はい。アルツハイマー症の予防はわかっていない。
- 認知症は増えているのか→認知症になる人の数は確かに増えているかもしれないが、それは社会全体が高齢化し、また寿命が延びたことによって認知症になる高齢期まで生きられるようになっただけかもしれない。これはがんなどに関しても同じ状況であるといえる。
- 認知症の人の発言を否定してはいけないというが→例えば、腰ひもが蛇に見える人に「蛇でない」というより「退治したから大丈夫」といったりして、大きな喧嘩をしない方がいい場合もある。その一方で、介護する人もそのような冷静な対応がよいと思っていてもいつもできるとは限らないし、一般論として片づけにくい。
- 自分の将来を考えるとグループホームに入るのがいいのだろうか→病状の進行度、本人の家庭の状態、病気の種類でグループホームがあうとはいえないこともある。高齢者は新しい環境に適応することが難しくなっていることも多い。総合的判断が大事。
- 脳トレについて、専門家が声をあげて適当なことを言うなとはいえないのか。だまされたと感じている人もいると思う→注意して見ていると、批判意見を言っている人や団体もかなり存在すると思うが、マーケティングの力は大きい。商売をしている人を批判するには覚悟が必要。裁判になるかもしれない。研究者の本務は研究をすることなので、よい研究をしていれば誉められるが、他者の批判をしても業績になるわけではないのでわざわざリスクを背負って批判をしないものです。私は個人的には気になるので言っています。