2010年6月11日(金)、茅場町サン茶房にてバイオカフェを開きました。
お話は日本食品油脂検査協会理事長丸山武紀さんによる「トランス脂肪酸の素性とは・・・」でした。トランス脂肪酸はマーガリンなどに含まれており、私たちの食生活となじみがあるものですが、昨秋から、消費者庁で表示の検討が始まり注目されています。
始めに福田徳子さんによるフルートの演奏があり、ショパン生誕200年を記念して、ピアノ曲をフルートに直してくださったノクターンが演奏されました。
福田徳子さんのフルート | 丸山武紀先生のお話 |
硬化油の誕生
油に水素を添加して油を硬化する技術は、1906年に鯨の油に水素添加してろうそくを作ったのが始まり。その後、固まった脂(脂肪)を食に用いる文化をもつ米国では、液体油である綿実油の処理に困り、1910年に水素添加して固体脂肪とし,クリスコという商品名を付けたショートニングを市場に送りだした。当時,お菓子作りに使うラードが品不足だったので,クリスコは歓迎され、またたく間にアメリカ全土に広がった。
油の栄養の話になると脂肪酸のことになる。私たちは脂肪酸を直接食べているのではない。油を食べると体内で分解されて脂肪酸となる。肉などのタンパク質はアミノ酸に、でんぷんは体内でグルコース(ブドウ糖)になるのと同様である。従って、トランス脂肪酸を直接食べているのではなく,トランス脂肪酸が結合している油を食べているのである。
トランス脂肪酸の構造
不飽和脂肪酸にはシス型(炭素の鎖の同じ側に水素がつく)とトランス型(反対側に水素がつく)がある。トランス脂肪酸は、水素添加でできる他に、反芻動物の第1胃に住む微生物(植物のリノール酸、リノレン酸の二重結合にトランス型に水素をつける働きをする)によって作られ、乳や脂肪組織に移行する。また、油を高温で処理してもできる。油をつくるとき,匂いを除くために240度で1時間、真空で脱臭処理をする。このときにトランス脂肪酸ができる。
てんぷらは170-180度で揚げるのでトランス脂肪酸はできない。油を長く使いまわすとトランス脂肪酸ができる可能性はあるが,それよりも油が酸化したり重合したりする。酸化や重合した油は下痢,嘔吐等を引き起こすので注意した方がいい。水素添加すると二重結合のところに水素がトランス化して結合するので酸化されにくくなり,油の酸化や劣化を防ぐという利点が生じる。
水素添加すると、融解範囲が広くなり融点も上昇して物理的性質が改善される。この油を使用した食品は食感が向上し製造もしやすくなる。脂肪の融点は種類によって異なる。例えばチョコレートのカカオ脂は室温では手で割れるほど硬く,口の中ではシャープに融解する。液体油に水素添加すると硬くなるが,水素との反応時間を長くすると、70℃位にならないと融解しない,“ろう”のような脂肪になる。水素添加は反応時間を調整することで融点を人為的に変えられる,優れた技術である。これを利用してパンに練り込むのにちょうどよい硬さの脂肪や空気を抱き込みやすいホイップクリーム用の脂肪がつくられる。すなわち、反応条件を調整することにより、目的とする硬化油をつくれるが、トランス脂肪酸の割合も増える。
トランス酸を含む食品
大豆油やナタネの油から作った硬化油はショートニングやマーガリンの原料になるが、ヤシやパーム油は二重結合が少ないので、マーガリンやショートニング用の硬化油になりにくい。ヤシ油の硬化油はクリームサンドビスケットの白いクリームやチョコレートでコーティングしたアイスクリームのチョコレートに使われる。
マーガリンは油脂の含量が80%以上のものをいい、80%以下はファットスプレッド。現在、スーパー等でバター風味マーガリンと呼ばれている製品がマーガリンで、ソフトタイプはファットスプレッド。日本ではファットスプレッドの生産量がマーガリンよりも圧倒的に多い。油の摂取量を減らすためにファットスプレッドを使っても,物足りなくて何回もパンに塗ったらマーガリンと同じカロリーになってしまう。
ショートニングは業務用として製菓,製パンに広く使用されている。しかし,家庭ではケーキ作りに使う程度であり、また,あまり市販されていないので,なじみのない人も多いだろう。
食用調合油とはサラダ油のこと。ダイズとナタネ油をブレンドしたもの。ダイズやナタネの穀物相場を見ながらダイズ油とナタネ油の調合割合を変えて製品化する。
菓子類にもトランス脂肪酸が含まれている。これらには硬化油を原料とするマーガリンやショートニングが使われているからである。
マヨネーズ、油揚げにもトランス脂肪酸が含まれている。使用するサラダ油や揚げ油を製造するときの,脱臭工程でトランス脂肪酸ができるからである。
ゴマ油は香りが命なので脱臭されないはずだが、ゴマの香ばしさを出すために,ゴマを煎る。このときにトランス脂肪酸ができる。
肉、チーズなどは、反芻動物の体内でできたトランス脂肪酸によるものである。
人工的につくったトランス脂肪酸と牛の体内でできるトランス脂肪酸は違うのだろうか?牛の体内で作られるトランス脂肪酸の主成分はバクセン酸と呼ばれ,炭素鎖の11番目と12番目のCに結合しているHがトランス化している。これに対して人工的にできるトランス脂肪酸は,炭素鎖の9番目と10番目のCに結合しているHがトランス化していて,エライジン酸と呼ばれている。乳は太古の時代からヒトが食べてきて平気なのだから,バクセン酸は大丈夫だという人もいる。
会場風景 | 輸入食品にはトランス脂肪酸の表示がある(矢印) |
トランス脂肪酸の含有量
2010年1月の都内スーパーの製品で調べたところ、
マーガリンに含まれるトランス脂肪酸 100グラム中 平均 1.8g 最大4.4g
ファットスプレッド 〃 100グラム中 平均 1.8g 最大3.6g
我が国では2005-6年からマーガリンをつくる会社はトランス脂肪酸を減らしてきた。その結果、今では100グラム中2-3gにまで下がってきた。これ以上、下げてもベネフイットは得られず,製造コストは上昇するのであまり意味はないだろう。バターのトランス脂肪酸は2.2gで、今のマーガリンのトランス脂肪酸と同じ位の量である。
ポテトチップについて国産品と外国産品の違いを調べた。外国産のポテトチップの調査は、職員が海外出張したときに現地で買い集めてきたものである。その結果,世界のポテトチップのトランス脂肪酸はほぼ同程度で少ない。トランス脂肪酸の多いポテトチップを食べてコーラばかりを飲んでいるとブクブク太るとよく言われるが、これはポテトチップに含まれているトランス脂肪酸ではなく,4割近く含まれている油のためであろう。
しかし、一般に加工食品では,油脂に含まれるトランス脂肪酸を減らすと飽和脂肪酸が増える。例えば,マーガリンにある程度の硬さを付与させるためには,トランス脂肪酸か飽和脂肪酸がなくてはならない,そのためトランス酸と飽和脂肪酸の総和は国が違ってもほぼ等しい。
2006年の調査によると、トランス脂肪酸の摂取量は世界的に減ってきている。摂取量の減少は、マーガリンやショートニングを供給するメーカーの努力によるもので,消費者が減らす努力したためとは思えない。
en%とは、エネルギー%のことで,総エネルギー摂取量に占めるある食品のエネルギーの割合を表している。日本人の総摂取エネルギーは約2000kcalなので,それぞれの食品が何%を占めるという意味(油1gは9kcal)。2007年の食品安全委員会の積み上げ調査によると、トランス脂肪酸からくるエネルギーは2000kcalのうち0.3en%(摂取量は0.7g)と算出した。これに対して、生産量から計算するトランス脂肪酸は,積み上げ方式より多めに見積もられて0.6en%(1.3g)。世界では、アイスランドの人はトランス脂肪酸を多く摂っていて、男性で6.7g、女性で4.1g。日本の4都市で男女,年齢別にトランス脂肪酸摂取量を調査した結果が最近発表され、女性の方が多く摂取していた。これは女性がおやつに甘味を好むから。男性は甘味よりもアルコールを好むためらしい。
トランス脂肪酸の健康影響
トランス脂肪酸を多く摂取すると心疾患になるといわれ、トランス脂肪酸が総摂取エネルギーの2en%に達するとリスクが高まる。心疾患のリスクは飽和脂肪酸よりもトランス脂肪酸の方が大きい。また、心疾患の最大のリスクは食塩、タバコ、ストレス。心疾患のリスク要因は200ほどあり、トランス脂肪酸の強度は低いほう。一方、硬化油のトランス脂肪酸のリスクは、EPA、DHLなどのn-3系脂肪酸で防止できるという説もある。
英国食品基準庁は世界の主要な文献を調査した結果、トランス脂肪酸の肥満、がん、糖尿、失明、肝臓などへの影響は現段階ではまだわからない,乳児や胎児への影響については報告例が少ないのでよくわからないが、大人と同じ基準で判定することはできないと結論した。
トランス脂肪酸の摂取量について,米国農務省は当初(1998年)、総エネルギーの2en%以下にするように奨励していたが、最近では総エネルギーの1en%以下にするように勧告している。WHO/FAOも1en%以下を目指すように勧告している。平均的な日本人のトランス脂肪酸の摂取量は総エネルギーの0.3en%なので,今の食生活で何ら心配することはない。
海外の基準値
デンマーク、スイスでは販売する油脂中のトランス脂肪酸量は2%未満と決められている。ただし、牛脂や牛乳に含まれる天然トランス脂肪酸は対象外。デンマークは酪農国なので、バターを政策的に除外しているとしか思えない(バターのトランス脂肪酸量は2〜2.5g/100g)。
カナダ、韓国は、1サービング当たり0.2g以下はゼロとして表示してよろしいとしている。しかし、1サービング当たりの表示で0.2g以下をゼロとするのはいかがなものか。1回に1サービング以上食べる人もいるだろう,ゼロ表示なので何サービング食べてもトランス脂肪酸を摂っていないと思っていたら,1日に1en%以上食べていたということにもなりかねない。
日本人における摂取量,健康に対する影響などの知見は少ないので,データの蓄積が大事。とりあえず,日本では、すべての年齢層でのトランス脂肪酸摂取量を少なくすることを目指している。
まとめ
固体の油脂がないと美味しい食パンが焼けない。トランス脂肪酸を減らすと,飽和脂肪酸を増やさなくてはならない。飽和脂肪酸を供給できるのはパーム油だけなので世界的に人気だが,食用だけでなくディーゼルエンジンの燃料としても注目されている。パーム油の生産国はマレーシアとインドネシアに集中していて生産量に限りがある。世界的に見て食べ物は不足しているのだから、限りある油脂をそれぞれの民族に合った食生活のために,工夫して有効に利用するのは大事なことだと思う。
- 水素を添加するとなぜトランス脂肪酸ができるのか→二重結合が3つあるリノレン酸、2つあるリノール酸に化学反応で水素を結合させると2個の水素が同じ向きにつくもの,反対につくものもが自然にできる。反対側に水素がつくとトランス型になる。
- トランス脂肪酸が心疾患に影響を与える根拠は→主に疫学調査の結果。バターのトランス脂肪酸は心疾患に影響しないといわれるが,理由がよくわからない。ラットやマウスでバクセン酸から誘導される共役リノール酸が心疾患を抑えたという報告もあるが、ヒトへの有効性は証明されていない。バターに含まれているトランス脂肪酸は少ないので効果を確かめにくい。そこで牛にひまわり油をいっぱい食べさせて牛乳中にバクセン酸を多くし,その牛乳でバターを作ってフランス人に食べさせた実験がある。フランス人男性には何ら影響がなかったが、女性ではバター組にLDLが少し増えたと報告された。しかし,実験食のバターの量は日常食べる量よりはるかに多いので,日常食に外挿すればバクセン酸は問題なしとされている。今のところ生化学的には、バクセン酸とエライジン酸は同じように心疾患のリスクを高めると考えられている。
- トランス脂肪酸は体によいという論文はないですか→アトピーになりやすいマウスにトランス脂肪酸を食べさせたら、アトピーになりにくかったという研究が今年日本人から報告された。アトピーとの関係に関する報告は少ないが,影響がないというのが2報、その他の論文では少し影響があるようだと報告されている。
- トランス型脂肪酸が心疾患を起こすメカニズムは→細胞のリン脂質の膜はリノール酸から成り、そこに誤ってトランス酸が入り込むとフレキシブルでなくなり、心疾患につながるらしい。
- フレキシブルでなくなるのは融点が高いせい?→バクセン酸もエライジン酸も融点は44℃。融点よりもトランス脂肪酸分子の立体構造によるものであろう。(会場での回答は不適切でしたのでこのように訂正します)
- 魚の油は体にいいというが→理論的には,魚の油は体内で活性酸素により酸化されやすい。しかし、日本人は摂った魚油の酸化を心配するほど魚をそんなに多く食べない。米国や欧州では週に3回は肉を魚に変えろとさえいわれて,魚油の摂取を奨励している。
- 魚の油の食べ過ぎでがんになるというデータはあるのか→極端に大量摂取すると健康障害を招くことが懸念されるが,人におけエビデンスは十分ではない。いわしの油の3割はEPAだ。酸化された油が体内で悪さをするという論文は多いが、実験ではとんでもない大量に摂取させるし、酸化するのは魚油だけではない。
- エネルギーが高い油はどれか→油のエネルギーはどれも9kcal/gであるが,消化されエネルギーになるのは炭素が18個の(C18)ステアリン酸が限界らしい。炭素数がこれ以上になると消化率が下がるようである。
- 1サービングの定義は→アメリカやカナダではバターやマーガリンの1サービングは14g。サービングという単位は1人前あるいは1食当たりのことで,世界の共通単位ではない。トランス脂肪酸の1サービング当たりのゼロ表示はカナダでは0.2g、アメリカでは0.5g以下となっている。
- 日本ではトランス脂肪酸ゼロの表示を認めるのだろうか→1サービングあたり0.2gか、0.5gかの議論になると根拠を問われるから大変だろう。日本で仮に1サービング10gとし、0.2g以下はゼロと表示する場合,サービング量や0.2gをゼロとする根拠になるデータは,なにもない。100g当たりの含有量にしても同じ。
- 1サービングの定義は→(先ほどの質問と重複)1回、1食,1人前ともいう。サラダ油なら中さじ1杯。アメリカ、カナダの1サーヴはバターやマーガリン14g。トランス脂肪酸には1日当たりの摂取許容量は設定されていないが,飽和脂肪酸には設定されている。手に持っているアメリカ産のビスケットには,これを3枚食べると,あなたが1日に食べていい脂肪酸量のうちの15%を食べてしまいましたよということが書かれている。このビスケットの1サービングは26gだが,すべてのビスケットに共通ではなく,メーカーによってサービングサイズの設定が違うようである。
- 選挙の後、消費者庁の作業部会はどうなるのでしょう→アメリカ等多くの国がすでに表示を実施しているので,消費者庁は簡単に表示ができると思っていたようだが、日本の食生活ではそう簡単に決められないだろう。とはいえ,前大臣の肝いりで設置した作業部会を簡単には廃止できないので,何らかの形で表示のガイドラインができると思う。