2010年5月22日(土)、ルネこだいらにおいて世界脳週間2010公開講座の一環として、(独)国立精神・神経医療研究センター主催により講演会が開かれました。同センターでは、神経・筋疾患、精神疾患、小児発達障害に関する医療活動と研究活動が行われており、研究室の他に病院、リハビリ施設もあります。ここでしか治療できないという難病の患者さんも訪れています。
高坂新一所長 | 公開講座会場 |
(独)国立精神・医療神経研究センター神経研究所 所長 高坂新一氏
体性幹細胞とは
増える能力と分化する能力を持っている細胞で再生医療に重要なもの。
再生医療の歴史は古く、造血幹細胞を骨髄に戻す骨髄移植がそのひとつ。
パーキンソン病は、一般に50歳代後半から発症し、震えたり、姿勢が傾いたりする。これは、脳の黒質部位から線状体という部位に連絡している神経細胞(ドーパミンという神経伝達物質を持つ)が徐々に死ぬ病気で、線状体と黒質の神経回路がこわれて運動障害が起きる。
どんな治療法があるのか-パーキンソン病を例に
薬剤による症状の緩和:ドーパミンを持った細胞減少に、Lドーパをとりいれ症状緩和。
1.ドーパミン受容体を刺激する
神経細胞栄養因子の投与:栄養因子を与え細胞を死ななくする。開発段階である。
細胞補充療法:新しい治療方法。ドーパミンを作る細胞を脳に入れる。胎児の脳の黒質をばらばらにしてヒトの脳に入れると症状が改善し、治療効果が見られた。フリードの研究によると、19人の患者に治療を行ったが、1人の患者に2人分の胎児の黒質を使っていた。胎児黒質を使うことへの倫理問題と患者さんの拒絶反応の問題がある。そのうえ、黒質は量が少ない。
2.神経幹細胞を線状体に入れる方法:神経幹細胞(脳の深いところ(脳室の周囲)に存在する)が、神経細胞になるのだから、幹細胞を入れたらよいのではないか。神経幹細胞は増殖させることができるので、増やしてから神経細胞に分化させるといい。そのようにして十分な量を外から入れることが可能になる。
ES細胞やiPS細胞を使ってはどうか
ヒトES細胞は、不妊治療の余剰受精卵が分裂して胚盤胞になったときの細胞から作られる。ES細胞はよく増えて分化もする。一方、ES細胞から分化させた細胞を移植する場合、他人の細胞を移植することになるので拒絶反応があり、また、ヒトの萌芽である胚を使う倫理問題、移植細胞の安全性の問題(テラトーム(奇形腫)になる可能性がある)が存在する。
iPS細胞は京大の山中先生が開発した技術で、皮膚の線維芽細胞に4種類の遺伝子をレトロウイルスを使って組み込んでつくられた。この操作により、皮膚細胞が未熟な細胞に戻った(リプログラミング)。iPS細胞の利点は、胚を用いる倫理問題がなく、自分の細胞からiPS細胞をつくれば、拒絶反応が起らないこと。
これからの問題
・細胞の安全性
・染色体に組み込まれないベクターの探索
・未分化細胞と分化細胞の完全な分離ができないと、移植細胞から腫瘍ができる可能性がある
・移植の有効性の検討がまだ不十分
・高額な医療費
・社会的合意
私は、全国4拠点研究施設で行っているiPS細胞の研究をしている4つのチームの総括をしており、皆さんの理解も得ながら進めていきたいと考えている。
会場からの質問:iPS細胞がES細胞様である、と話されたがこれはどういう意味か→iPS細胞はよく増えて、よく分化するような性質を持っている点はES細胞と同じだが、詳細に検討すると同じとはいえない。皮膚からとった細胞から作られたiPS細胞と、胚から作られたES細胞とでは、由来が違い、遺伝子レベルで異なっている。
(独)国立精神・神経医療研究センター神経研究所 室長 岡田尚巳氏
筋ジストロフィーとは
ジストロフィン遺伝子の変異によって起こる。ほとんどが遺伝性である。デュシャンヌ型と呼ばれる典型的な筋ジストロフィーでは、就学年齢ごろに転びやすくなったりする症状が現れ、やがて、歩行困難、呼吸困難と進む。
治療法は現在のところないが、異常な遺伝子を修正する方法、幹細胞を使う方法が研究されている。
幹細胞を使う方法というのは、患者の細胞から幹細胞を作り、欠損を補うように患者に戻すという方法である。
筋肉は、幹細胞→ 筋前駆細胞→ 筋芽細胞→ 筋管→ 筋線維と分化が進んでできるが、その間にいろんな遺伝子がオンオフになる、オンオフの組み合わせの中でできる。
筋肉の表面の筋衛星細胞という小さな細胞があり、筋再生の元になる細胞としてのはたらきがある。筋衛星細胞や筋芽細胞は眠っていて必要なときに筋肉になっていくことがわかっており、この細胞を移植しようとしたが、うまく分化しなかった。
間葉系幹細胞を使う方法
間葉系幹細胞は骨髄の間にある細胞で、これに誘導因子を働かせると筋肉ができる。筋ジストロフィーの犬を使って、間葉系幹細胞を使った治療の研究をしている。ジストロフィンは筋肉の細胞膜の裏側にあるたんぱく質で、ジストロフィンがうまく作られない犬に間葉系幹細胞を移植したところ、8-12週間で筋肉に分化しかけている細胞が観察できた。
クローン技術を使う方法〜ドリーからiPS細胞へ〜
間葉系幹細胞は骨髄からとるが、iPS細胞は皮膚からできるので骨髄よりやりやすい。米国では、ES細胞の研究に対し、2001年にブッシュ大統領が反対して政府助成を禁止し、2009年オバマ大統領になって再開された。ヒトの余剰受精卵を使うための、倫理的な問題はある。
体細胞から多能性細胞を初めて作ってできたのが、羊のドリーで、細胞のプログラムのリセットが行われた。未受精卵に体細胞の核を移植してクローン細胞を作った。
細胞を完全にリセットすることは難しいので、このような方法の成功率は低い。
iPS細胞は4つの遺伝子を組み込んで体細胞をリセットする方法である。iPS細胞を自分の細胞でつくれば免疫の問題がなく倫理問題もない。皮膚だけでなく、歯茎の細胞でうまくいった例も出てきた。
筋ジストロフィーモデルマウスからiPS細胞をつくれたので、ヒトのiPS細胞づくりを研究中。筋ジストロフィーの患者さんから預かった細胞を、承諾を得て利用し、iPS細胞を作る研究をしている。
今後の問題
・iPS細胞を使って作った筋細胞が移植してうまく定着するようにするには、どこからとった細胞でiPS細胞を作ればいいのか検討している。
・リセットに使う4つの遺伝子のうち二つはがん遺伝子に変化する可能性がある。また、遺伝子の運び屋として使うレトロウィルス自身が細胞のがん化を促進したり、眠っていたがん遺伝子を起こしたりする可能性がある。がんのリスクを避けるために遺伝子を入れる別な方法を研究中。
・低分子化合物を使って遺伝子をオンオフしながらiPS細胞から筋肉にすることはできないかについての研究も行っている。2種の化合物を使って、中胚葉細胞(筋細胞の前駆体)までにすることに成功。
・大人の細胞を赤ちゃんの細胞に戻し、更に大人の細胞にして移植するので、患者さんに戻すときにがんになりそうな細胞を確実に除去しておく必要がある。
患者にどうやって細胞を移植するのがいいのか、そのコスト、法律の枠組みの調整が必要。
会場からの質問)
○iPS細胞を作る、皮膚細胞を使う理由→実際には皮膚の裏にある線維芽細胞という細胞を用いる。皮膚は採取しやすく、線維芽細胞はよく増殖し、レトロウィルスに感染しやすい。線維芽細胞には様々な細胞に分化できる性質があることが以前から知られているため。
(独)国立精神・神経医療研究センター 神経研究所 部長 荒木敏之氏
はじめに
脳血管障害(脳梗塞など)、外傷(脊髄損傷など)、神経変性疾患(パーキンソン病など)にかかると、脳・脊髄の細胞が死んでしまう。
神経細胞は、中心にある細胞体から突起が伸びている形をしている。突起が切れたり細胞が死ぬと再生がほとんど起らないというのが神経細胞の特徴である。神経細胞や神経の突起は一度失われると元に戻らない。
従来の治療は、この「治らない」ことを前提にしたものである。リハビリテーションでは、失われた細胞や突起が再生するのでなく、病気などで失われなかった身体機能をのばす。対症療法として、薬物などで病気の症状を緩和する方法もある。
本来の治療はどうあるべきか
・病気のメカニズムを知ることで、神経を保護したり病気の進行を抑えることにつなげる。
・失われた神経系の細胞を外から補うことにより、失われた機能を担わせる→再生医療
神経の病気に対する取り組み〜ALSを例に〜
ALS(筋萎縮性側索硬化症) は、発症から約5年で全身のほとんどの随意筋の萎縮と麻痺が起る。筋肉がやせてくるが、ALSは神経の病気。米国では、この病気で亡くなった野球選手の名からルー・ゲーリック病ともいわれる。
脊髄(手足を動かす神経細胞がある)や脳幹(口やのどなどの筋肉とつながる細胞がある)にある運動神経細胞と、これらの神経細胞とつながっている大脳の運動神経細胞の両方が死んでしまうのがALSである。ALSの発症の多くは中年以降で、10万人に2〜7人程度。側索(運動神経の通り道)に本来あるべき神経突起がなくなり、側索が萎縮。その一方で、感覚神経への障害はないため、感覚は衰えない。
原因がわからない病気に対する従来の取り組み方
1.統計的解析を行ってみる
性差(男性患者は女性の2.1倍)、地域差(グアム島、紀伊半島の一部に発生の多い地域がある)、遺伝性(患者の5-10%に遺伝性が認められる)がある。
2.家族性ALSの原因遺伝子を見つける
どの遺伝子が変化すると発症するのかを見つけることで、ALSの原因となる蛋白質の特徴を知り、病気の細胞モデル、動物モデルをつくることができるようになる。そして、このようなモデルを使って病気のおこり方の研究や治療の研究を行うことができる。
3.家族性ALSの研究を突破口に
遺伝性でも、そうでなくてもALSは同じような症状が表れる。遺伝性ALSの病気のメカニズムがわかれば、原因によらずALSの治療に役立つ可能性がある。遺伝性ALSの研究がALS全体の治療法の開発につながることが期待されている。
再生医療によるアプローチ
再生医療とは、失われた神経細胞を外から補うことによる治療。
再生とは、失われた体の一部が完全に元に戻ること。たとえば、プラナリアは切断されたあと、切断によってできた断片それぞれがすべて完全なプラナリアになる。切られたプラナリアは、尻尾が切られた場合、その断片は頭と目が足りないと気づいてひとつのプラナリアになる。再生のすごさは、失われた部分を認識して補うように生物体になるところ。
ヒトでは髪、爪、血は再生されるが、細胞が何にでもなれるのは受精から短い間だけ。
漫画「ブラックジャック」に登場するピノコはこのような「何にでもなれる細胞」からできた腫瘍(奇形腫)から生まれたことになっている。奇形腫(テラトーマ)には様々な組織に分化した細胞がある。
多能性幹細胞とは、このような何にでもなれる性質(多能性)を保ったまま増殖できる細胞のことで、通常は受精して間もない時期しかこの性質がない。受精して間もない時期から取った多能性幹細胞をES細胞という。
ES細胞をつくるときには 胚を壊す倫理問題と移植時の拒絶反応が生じる。一方、iPS細胞は体細胞に4つの遺伝子を導入することにより作られる。これによって、体細胞は何にでもなれる能力を取り戻す。
複雑な中枢神経系など、多能性幹細胞からいろいろな細胞を作れるようになってきている。
マウスでは、多能性幹細胞から脳に存在する様々な種類の神経細胞も作れる。
多能性幹細胞から作った細胞の塊をうまく培養すると、培養皿で脳の立体構造の再現もできるようになった。
再生医療のゴールは患者の細胞からiPS細胞をつくって正常な神経細胞にしてもどすこと。
奇形腫ができたり、がんができる可能性があったり、難しい課題が多い。
現在の状況とこれから
・再生医療を用いた病気の治療で最も早く実現できそうなのは、網膜色素細胞をiPS細胞からつくることによる黄斑変性症という病気の治療。それ以外の病気についてはまだ何年も先のことになりそう。
・病気の直接の治療につかうよりももっと早く実用化が期待できるのが、薬剤の開発への利用。新規薬剤の開発にiPS細胞からつくった心筋細胞が使えるようになっており、薬剤の効き方を調べられる。
・病気のメカニズムの研究への利用も期待されている。健常者と患者さんからつくったiPS細胞を作り、そこから神経細胞をつくり、両者を比べることによって、病気のメカニズムの研究を行うことができる。
・今後、iPS細胞技術が個人に合った薬と治療法の開発に応用できる可能性があるが、この開発過程には、病気に罹っている方々や一般の方のご理解とご協力が不可欠と考えている。
会場質問からの質問
○iPS細胞を用いることは多能性という点で利点があるが、腫瘍化の問題が大きければ、多機能をめざさないで、ひとつの機能を持つ幹細胞を利用するといいのではないか→多能性幹細胞を用いないとすると、奇形腫ができる危険はないが別の問題があり一長一短である。
○iPS細胞による治療の実用化の進み具合は→講演者の専門は研究中心なので、臨床のことを明確には答えられない。再生医療に関する研究の中で行われる「患者さんへの幹細胞治療」の第1例目が生まれるのは7-8年後かもしれないが、みんなが保険で再生医療の恩恵を享受できるようになるのはいつになるのか現時点ではわからない。費用負担の問題もあり、これは国民みんなで議論していくことも必要だと思う。
「iPS細胞の発見で再生医療が進むと思ったが、ES細胞と似ていても違うところがあり、いつ、どういう方法でiPS細胞を作ったらいいのか。皮膚からiPS細胞を作ってばらばらにしたら性質が異なる細胞だったことがわかるなど、まだまだ基礎研究が必要だということがわかってきた。
iPS細胞から作った網膜色素細胞に関しては4-5年で臨床での治験段階に進むかもしれないが、例えば奇形腫が1例でもでたら社会的反響が大きく、研究を続けられなくなる可能性もあると考えている。患者さんにの早く治療法という切実な思いを受け止めて早く進めたいが、だから慎重に取り組んでいることも理解して頂きたい。私たちは、数の少ない神経難病を標的にして、厚生労働省と文部科学省とオールジャパンで進めていきます。ご支援ください。神経センターでは地道な研究活動、医療活動をしており、見学も受け付けます。応援してください。今日は、若い参加者が多く嬉しく思っています」