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メディアとの情報交換会「不適切な報道はなぜ起きたのか」

 2010年4月28日(火)、ベルサール八重洲において食品の信頼向上をめざす会主催、メディアとの情報交換会が開かれました。AERA2010年3月10日号の記事「第6回食品安全委員会〜真実に目ふさぐ”政治的安心“機関」を題材に講演が行われました。


不適切な記事とは           食の信頼向上をめざす会 代表 唐木英明

執筆者の個人的信念から記事ができる。信念には時として不適切なものもある。
不適切な記事の条件
①偽造・捏造、誹謗・中傷→倫理欠如による。これは基準がわかりやすい
②誤解・曲解→先入観、無知 いわゆる「トンでも本」に多い
③極端な意見→近視眼的
農薬・化学物質に対する誤解・思い込み
①化学物質には安全なもの(健康食品、ビタミンなど)と危険なもの(農薬、添加物)があるという誤解:科学的には毒かどうかは量で決まる(=用量作用関係)
②「複合汚染」の恐怖→閾値より高濃度なら相互作用があるが、閾値以下なら作用はない。これも化学物質の量が問題
③天然・自然が安全という誤解。そもそも野菜・果物には天然の発がん性物質が含まれている。それに比べると、残留農薬の量はずっと少ない。何がどのくらいの量あるかを知ることが大事
食品安全の二重基準が知られていない
「食の安全は守られている」という言葉は、人工物質や新技術で作られたものは厳しく審査しているから安全ということを意味する。
「食品にゼロリスクはない」という言葉の意味は、自然の食品には発ガン性があり、食中毒を起こし、アレルギーを起こし、食べ過ぎれば生活習慣病を起こすことを指す。
このほかに窒息を起こさせる食品のリスクもある。死をもたらすリスクの源はたばこと毎日の食事で、気にされているリスク(残留農薬、遺伝子組換えなど)は実は小さい。
人間は危険情報に気をとられてしまう習性があり、それが誤解を招く。疑う視点が必要!


食品安全委員会の掲載記事(AERA 2010.3.10)
          食品安全委員会農薬専門調査会前座長 鈴木勝士

食品安全委員会専門調査会ができたが、独立させる経験がなかった。調査会では、厚生労働省医薬品食品審議会の経験から独立して運営できると期待したが。。。
科学主義とは、証拠を求めるのは心理的にはいいことばでないようだ。
公開の原則は守られていて、議事録(実名)まで含めて議論は公開されている。

食品安全委員会の掲載記事(AERA 2010.3.10、35-37ページ)
何が不適切だったか。①ゲラチェックを取材条件にしたのに反古にされたこと。②事実無根など極端な結論があること

私が提示し、記者が同意した取材条件  2008年12月
・記事が事実誤認、曲解などにゆがめられた場合、被取材者は責任がとれないことがある
・被取材記者が個人として責任を果たせ得るような発信になっているかなどゲラでチェックしないと同意できない場合がある。

時系列にふりかえってみると
被取材者は三上委員長、鈴木座長、村上前課長。ゲラが送付されてきて、事実誤認であると通知し、記事は1年近く出なかった。私は没になったと思っていた。

AERAのゲラに対して食品安全事務局から送った質問状の内容
・タイトル「農薬の人体影響から目をそらす食品安全委員会の正体」→そんな意実はない
・村上課長は農薬専門調査会に異議申し立てをしたのか→事務局は専門調査会を補佐する構造にあっていない
・村上氏が去って資料が十分提出されていない→調査会が力不足のような書き方
・バランス判断による毒性が評価されて危険性だ→科学はバランスで考えるものではない。
・三上委員長、鈴木座長は獣医で業界寄り→出身で考え方が偏っていると見るのは間違い。
・コリンエステラーゼのみで評価することが問題だ→クロルピリホスによるコリンエステラーゼの活性阻害は米国やJMPRでのADI設定根拠にされている。
・食品安全委員会が決めたADIはアメリカよりも3.3倍も甘い→間違い

2010年2月の掲載に際して
発売前に連絡があり、今回のゲラを見せるように話したが、何も変わっていないのだから見せる必要なしということだった。修正申し入れ後、修正状況を確認したかった。ゲラを見せないなら、状況によって訴訟もありえると伝えた。
食品安全委員会から抗議せず。
面会したところ、アエラ編集長は不快な思いをさせたことにお詫びはあった。ゲラを見せる約束について記者と確認したが両者の言い分はかみ合わないから誌上対談にしてはどうかという提案があった。

今回の企画と前回の企画の比較
タイトルが「人体影響から目をそらす」から「真実に目をふさぐ」となるなど、前よりもエスカレートしている。
問題点とその理由
・危険な薬剤を問題ないとしている→急性参照量設定にふれるべき
・日本の基準はアメリカと比べて3倍ゆるい→他の国との比較が必要。
・常勤職員の半数が農水出身で農業保護→独立、科学主義、公開原則を貫いている。
・獣医系の座長は無能で、有能な課長だと批判→事務局は専門調査会を補佐し支えている。
・バランス判断による毒性評価→科学性に基づいて議論している。
最終的に示された極論
・農水省出身者を除く→食品安全基本法遵守で、出身官庁は関係ない
・雇用先を全面的に研究機関、大学に求める→適任者を集められない
・リスコミをやめ科学的な健康影響評価に専心する→リスコミは関係官庁の共同作業
・バランス判断で科学評価しているなら組織自体を廃止せよ→廃止の理由なし
結果的に、思い込みに始まり、曲解→誹謗・中傷、名誉毀損、極論に達してしまい残念だ。
化学物質は毒
安全基準は真に科学的には決められない
農水出身者は公正な審議ができない


「ある自治体の講演について」          鈴鹿医療科学大学教授 長村洋一

枚方市主催講演会への安部氏招へいをめぐって
牧方市消費正確センターで、安部司氏を招いて講演会をすることが決まった。これに対して、ある人(A氏)が、講師の著書などを根拠に同センターに質問状を出した。
安部司氏の活動にあえて苦言を呈すると、話術は巧みで、彼の発言に対して信者のようなグループがいる。
バラエティー番組やある人たちの生き方なら文句は言わないが、引き起こしている影響が大きすぎる。結果として、自治体がリクルートする→国民の食添、遺伝子組換え、BSEなどに対する間違った感情助長につながっている。
 「牧方市のA氏の質問を真摯に受け止めてください」(フードサイエンス「多幸之介が斬る食の問題」)という記事を私は書いた。
一般市民向け公開講座を行ったときに市民にアンケート調査をしてみると食品にDNAが入っていないと思っている人は6割いる。これが、日本人のいわゆる科学と直接縁のない人の予備知識の状況である。そのような環境で、「食品添加物は台所にないものだから、あってはいけないものです」と主張すれば、これは、一部の一般大衆のしっかりした考えとなってくる(信念の根拠になる)。
安部氏の実演実験「添加物だけで食材なしに豚骨スープを作ってみせる」は、試薬ビンに入った、豚骨エキスパウダー、醤油粉末などを入れているという驚くべきインチキ的実験である。彼が問題としているその他の添加物も、グルタミン酸ナトリウム、5-リボヌクレオチドナトリウム、リンゴ酸などであるが、これらは我々の体の中に元々含まれており、食品添加物としての使用量において全く問題のない食品添加物である。
無意味な恐怖をあおる行為は一般人には奇妙にみえない。
例えば、ADIは1日摂取許容量といい、動物実験で定められる。動物にある化学物質を与えたとき、高濃度になれば致死量になり、それ以下だと中毒量(肝臓に障害が生じる)、さらに低いと作用量となる。さらに量を減らして作用の生じない量(最大無作用量)の100分の1がADIと決められている。しかし、安部氏は、致死量の100分の1がADIだと説明している。量の概念を欠いた科学的には極めて重大な誤りであり、食の安心・安全において極めて重要なリスク管理の概念が全くない。こうした、誤った話が一般の人には全く問題がないように捉えられて「食品添加物って怖いものだ」という考え方を定着させているのが現状である。

食品添加物の役目
食品が健康被害を起こす最大の理由は食中毒で、その9割以上は微生物に起因している。微生物による被害抑制のために添加物は安全な食生活に不可欠である。
微生物による食中毒の観点のみならず、食品を無駄にしないという点からも考えなくてはいけない。食品廃棄の理由の第1位は賞味期限切れ、2位は鮮度落ちやカビなど、3位は色やにおいの異常となっており、食料を無駄にしないために食品添加物が利用できれば、一定期間、安全に食品を保存できる。8億人が飢餓に苦しむ世界の食料事情を考えても食品添加物は必要である。
使用していない添加物を使用していないと書く義務はないが、最近は多くの食品に無添加の表示が見受けられる。これでは食品添加物の役割に人々は気付かないのではないか。
例えば、保存料ソルビン酸カリウム、で抑制できる菌をpH調整剤酢酸ナトリウムで抑える力を比べると10倍くらい開きがあり、毒性においては両社に殆ど差がないのであるから適切な保存料を使用する方が適正使用であることが分かる。
食品添加物で安全に賞味期限を延長できることは、これからの世界の食糧事情にとってすばらしいことだと私は思う。

食文化について
安部氏は調味料を使うことは手抜き料理で食文化をすたれさせるという言い方をする。
うま味調味料のグルタミン酸ナトリウムは昆布から見つけられ、おいしくないものを昆布を使わずにおいしく感じさせる科学の勝利ともいえるのではないか。
これは、食べられる物を無駄なく十分に活用する知恵にもつながっている。
調味料を使うのと、食材そのものを使うのと、両方を使い分けられることが、より豊かな食生活を形成させる。

枚方市への質問と対応
講師の著書、「食品添加物をめぐる諸問題その1(長村洋一)」と「メディアバイアス(松永和紀)」をもとに、開催趣旨、講師選定などの理由を質問したところ、牧方市は丁寧に回答したそうだ。主な内容は以下のとおりだった。
・講演実績(大阪で400人を集めた実績があり、全国での講演回数が多い)
・知名度(講演実績があり知名度がある講師を招かないと、参加者募集が難しい)
・間違ったことはいっていない(添加物を悪だとはいっていない。表示への関心を喚起している)
・環境問題には発展させない(食料を無駄なく使うために食品添加物は重要で環境負荷を小さくしているとしても、そこまで発展させる予定はない)
・参加者の予備知識(毎日10gの添加物を摂っていると聞かされたときにおかしいと気づくくらい予備知識のある人たちが聞いているのかという質問に対して、多分そこまでわかる人はいないだろうと回答)
・他の開催地での評判(今まで講演したところで問題になっていない、広く受け入れられている)
などのやりとりの末、A氏は枚方市が再度、安部氏を招聘することはないだろうと感じたそうだ。枚方市の担当者は真摯に取り組んでおられたが、このような講師を招聘してしまう社会に問題があるのではないだろうか。

まとめ
安部氏のやり方は典型的な誹謗・中傷のやり方で、①一点突破のわかりやすい攻撃を行い、②針小棒大な展開をし、③二分法でラベルをはるわかりやすい結論を導く、④さらに感覚的な問題を科学とごっちゃにして説明することによって聴衆に誤った結論を確信させてしまう。
また、行政の役割は多岐に及んでおり、食品までは対応できず、誤解を正すより誤解を広める結果になっているのが現状。
これを正すのは市民の声だが、行政はその声に耳を傾けるだろうか。安部氏的手法は、「大義名分のためには科学を多少損なってもかまわない」。
きれいなことばかけをした水はきれいな結晶になるという「水からの伝言」は小学校のテキストにもなっており、物理学会が抗議したところ、よい行動を定着させるときにこの程度のおとぎ話は許されるというのが、行政の回答だった。
「水からの伝言」と安部氏の話は科学の問題へ聴衆の感情を移入させ、誤った結論に導いている。このような論理展開が日常的に行われているとやがてガリレオの裁判のようなことが現代社会で起こりかねない。

講演終了後、関係者から取材に関する質問などの活発な質問がありました。参加者からの「クロルピリホスに関して米国のADIの基準値は低いとはどういう意味か」という質問に対し、鈴木先生から回答がありました。
「EPAは環境中からの摂取も含め基準を作っている。食安委では食物からの暴露について基準を決めている。日本の基準は緩い訳ではなく、きちんと毒性を評価して、ADIを決めている。しかし、その後の手続きの中で、薬食審が残留基準を設定できないでいる。米国のADIは厳しくても、残留基準を実態に合わせて決めているので実際は利用できている。日本は残留基準をきめるのに理論最大1日摂取量(TMDI)または推定1日摂取量(EDI)を用いて決めている。この試算では暴露実体と合わないことがある。」という回答がありました、もっと知りたい方は以下の参考文献を見てください。




残留農薬の推定摂取量に関する資料:Report of a Joint FAO/WHO Consultation on Guidelines for Predicting Dietary Intake of Pesticide Residues (Geneva 5-8 October, 1987) http://whqlibdoc.who.int/hq/1988/WHO_EHE_FOS_88.3.pdf。

 TMDI、EDI等についてはGoogleなどで調べて頂くと良いと思います。EDI試算による残留基準(MRL)は実際の残留レベルに基づいて計算されますから、TMDI試算の場合よりは残留実体に近いものが得られます。調理、加工などの工程でさらに残留レベルは低下しますから、米国ではこれらのファクターも考慮してMRLを決めるため、日本よりADIは低いのにクロルピリホスを使うことができ、かつ安全性も担保されているということになります。

情報交換会は、唐木代表の「会場に来られていた多くの食品安全委員会の方に期待したい」という言葉で結ばれました。