2010年2月20日(土)、三鷹ネットワーク大学において、第5回草の根バイオカフェを開きました。お話は国際基督教大学オスマー記念教授 北原和夫さんによる「熱とは何か〜温かさをカガクする」でした。一見、離れているように見える物理学の先端のお話と生物がこんな風につながっていたのかと、難しいお話を興味深く、易しい言葉でお話いただき、よく知っていた人もそうでない人も満たされた気持になった2時間でした。
北原先生 | 「それではパチンコを例に説明しましょう」 |
はじめに
生物はなぜ生きているかを熱現象として捉える動きが、私の大学院時代にありました。そこで、私はベルギーのプリゴジン先生の下に留学しました。プリゴジンが一生問い続けた問題は、「この世界の時間は一方的に動いているのはなぜか?」ということです。人は一方向に年をとり浦島太郎はありえない。これを“不可逆現象”といいます。一方、彼は「不可逆的現象に関する熱力学」という、博士論文にあたる著書の最後の章に、19世紀の論文を引用して、「植物の根が出るときの成長の速さと発熱量は比例している。生物の時間は発熱量で進行しており、物理学における時間は異なるのではないか」といっています。
物理学では、アインシュタインが考えたように、光が30万キロ進む時間が1秒と定義されて、相対論ができていますが、ニュートンの力学方程式の時間は、光が進む時間で表されています。
ニュートンの運動方程式は可逆的です。A地点からB地点に物を投げると、空気抵抗などを排除すれば、BからAにその逆の運動を作り出せる方程式になっています。けれど、宇宙の動きを見ていても、逆の動きは見えてきません。発熱にも逆向きはありません。つまり、熱湯を水に入れてしまった後で、その熱を集めて加熱することはできません。
エントロピー増大と時間
エントロピーが増える速さが「時間」であるとプリゴジンは定義しました。「ねずみの時間と象の時間」を書かれた本川先生は、「ねずみの一生の心拍数と象の一生の心拍数は同じ。つまり、動物の心拍数は動物の単位体重あたりの発熱量と心拍の速さは比例している」と述べています。これはプリゴジンの考えと同じ。ならば、生物を時間を発熱量で捉えるということは、そんなに荒唐無稽な話ではなさそうです。
パチンコの不可逆性
ニュートンの力学方程式では、ある方向の運動があれば、反対方向の運動もありえることになっていますが、これは1個の分子の場合のことで、複数の分子でできているものには不可逆がありえます。
高校の物理では、ばねの運動と天体の動きを教えます。これは規則運動という特殊な運動です。これらは元にもどる筋のはっきりした運動で、こういう運動の例は、実はこのふたつしかないのです。つまり、現実の物体と物体の運動には、筋のはっきりしていない運動がほとんどなのです。
パチンコ玉を1回はねて入ったとしても、同じようにやってもまた入るとは限りません。
パチンコ玉のぶつかる角度のちょっとした広がりが、何度もぶつかるうちにどんどん広がっていくからです。これを軌道不安定性といいます。2個のパチンコ玉でさえこれだけ複雑な運動をするのだから、空気の中の10の23乗個の分子は、ちょっとした揺らぎで大きな誤差を生じる運動をするようになります。
本当に正確に全ての分子の速度を逆転させることができるならば、元に戻れるはずですが、実際には小さい不確定性が重なり、元に戻ることはありえません。最後には広く散らばっていきます。ちょっとした狂いはどんどん広がっていくものだ、これがカオスの考え方です。だから、筋のいい運動はふたつしかないと言ったのです。
多くの粒子のグループの状態はコンピューターでしか計算できないくらい複雑で、粒子は元の状態を忘れてしまいます。これを「記憶喪失現象」といいます。
エントロピーの増大
水の中にインクを落とすと広がっていくが、広がったインクが元に戻ることはありません。これに初めて気づいたクラウジスは19世紀半ばに、エントロピーの増大の法則を見つけました。
一方、ニュートンの力学方程式からすると、外から力が働かなければ、エネルギーは同じ。位置エネルギーと運動エネルギーの和は一定である(運動エネルギー保存則)ことをマイヤーという人が見つけました。
では、コップにインクを落としたとき、コップの中のエネルギーは変わりません。けれど、広がったインクを戻すには半透膜を使って、浸透圧に対して仕事をしなくてはなりません。インクが広がるときにエネルギーを加える必要はなかったのに、半透膜で元に集めるにはエネルギーが必要になります。このように、エネルギーが同じでも、拡散現象は一方向的であり、元に戻そうとするとそれなりの仕掛けが必要となります。
不可逆現象と秩序の乱れ
インクが広がっていく、秩序、構造を持っていたものが一様に広がっていく、こうして秩序を失うことをエントロピーが増えたといいます。
ボルツマンは、1873年、エントロピーとは秩序の乱れであるとして数式を表しました。
自然現象は放っておくとエントロピーが増えるものだというのが熱力学です。クラウジスが見つけ、ボルツマンが秩序の乱れを数式にしました。
実は、ボルツマンは1906年に自殺したのですが、その背景に、世界は秩序の乱れる方向に一方的に進むという諦めの気持ちがあったのだろうか、と私は考えることがあります。
自然現象と秩序の発生
自然現象とは無秩序になっていくという考えの流れに反対したのがプリゴジンでした。
それなら、なぜ地球が始まり、生物が生まれ、構造物ができてきたのはエントロピー増大に矛盾するではないか。
パチンコ玉のように不確定さが広がり、過去の記憶が失われていくものならば、自然界には階層があり、秩序が生まれるのはおかしいというのです。
例えば、暖かい味噌汁の中で対流が起こるのは、底が熱くて表面は冷たいからです。初め、鍋を温めると、熱は、熱伝導で熱いほうから冷たいほうへ直接伝わります。それを超えると、熱いものを動かすようになる、それが対流。熱伝導は一様な物体で秩序がない状態ですが、対流が起こるときには流体の中に構造ができています。底の熱いものが上に上がり、冷えた表面に移動して熱を放出し、また底に移動してくる、こうして中に構造ができます。エネルギーが表面から出る、水蒸気という物質が出ていき、開放系になります。
生きることと開放系
エネルギーや物質の出入りがあると生き物が生き生きとしてくる。生きているということは、開放系になることです。孤立系は閉じていて、生き生きしていません。
鍋の底が温められ、表面から物が出て行くのが大事、これが生きていることなのです。成長して構造ができることは、ニュートンの力学の可逆性と矛盾しています。
また、不可逆性にはレベルがあります。複数の分子の不確定な運動の広がりが起こり、記憶喪失が生じます。これが不可逆性の基礎。
階層構造があると、システム内では不可逆過程が進行しますが、そのシステムの周りにあるものと関わり、孤立しなくなります(エネルギーや物質の出入りする状態)。こうして、生物が存在しうるのです。これは、エントロピーを外に出すことで秩序を維持する仕組みです。
地球が孤立したシステムならば、太陽から来たエネルギーを大気圏の中に呼び込むことはできません。我々が生きていることこそが、非平衡な開放系であるといえるでしょう。
会場風景 | お茶のコーナー |
- 熱とは何でしょうか→熱は入ってきたエネルギーで、物質の状態を変えることができ、状態が定まったときに決まる量、すなわち状態量です。温度を上げるには、温めたり、押たりするなどの仕事をして、エネルギーを与えればいい。
- 熱は分子が動くことではありません。けれど、熱力学で定義できる熱は、ナノレベルになるとわかっていない部分が多くなります。
- 熱を伝えるときに エネルギーのロスが断熱されていていれば、(A+B)÷2の温度になりますか→完全に断熱できていればそうなるはず。エネルギーが移動するときに仕事をさせると、それはロスになる。カルノーは18世紀終わりに効率的な温め方の研究をした。
- 熱と仕事を考えるときには人間の価値観が入ると、仕事は役に立ち、熱の移動はロスになって役に立たないと思われます。
- エネルギーにはいろいろな形があるが→電球は熱いが、蛍光灯やLEDは可視光だけを出し、効率的。白熱電球の場合はどんな振動が起こっているかの分布は温度と対応している。
- 光は励起状態(エネルギーの高められた状態)から異なるエネルギーのレベルに移るときに出すもので、熱とは違うものだと考えていいですか→イエス
- 宇宙の真空の中を太陽熱が伝わるのが不思議。何が介在しているのか→太陽の光で温められるのは、地上の分子の振動が励起されるから。高分子や大きな物質の中の分子は、励起されたエネルギーを光として出すのでなく、周りの分子にエネルギーとして受け渡して温かくなる。これを無輻射遷移という。これに対して孤立した分子はエネルギーを受け取ると、励起されやがて光を出して戻る。
- 太陽からは、仕事をしないエネルギーが出っ放しと考えていいのか→太陽のエネルギーは地球のエネルギーに変換され、広がっていくだけ。どこにも吸収されずに漂っている輻射エネルギーが宇宙に広がっていて、それが輻射同士でぶつかったりして、ある温度の平衡状態になっている。どういう波長の光がどのくらいあるかを調べると、温度が高いと青白くなり低いと赤くなるという分布図に載せることができ、絶対温度で約3度と観測されている。
- エネルギーの出入り、開放系で、生物の健康を説明できないでしょうか→バランスしていないとメタボになるかな?流体は、インプットが多すぎると対流から乱流になる。体に乱流にならないように注意しましょうということでしょうか。
- 宇宙では星が生まれたり死んだりしているが、宇宙に平衡状態は来るのか→星が生まれたり、死んだりしているのは、平衡状態ではないから。完全に膨張宇宙になると宇宙は冷えて、広がり切ると最後は絶対零度になるだろう。
- 宇宙が約3度だという根拠は→プランクは、熱で光っているものが高温だと青白く、低温だと赤い光になるという分布を調べ、光の色が温度で決まるきれいな式を作った。宇宙の電磁波の振動数を調べたら、プランクの約3度の線にぴったり合致した。
- 社会現象の中では、大家族から核家族、鉄道からマイカーと個人の生活になり、無秩序になっていくように見える。これをエントロピー増大と考えられるのではないか。日本とアジアの所得の差が貿易自由化で縮まり、経済はやがて平衡状態になっていく。つまり日本の所得が下がり、発展途上国は上がる。不可逆現象を起こさないと日本のビジネスはだめになるのだと、今日の話を聞いて思った→無秩序、均一になると、面積が大きいなど、量があるところが有利になるだろう。日本は平衡状態では生きられない小さい国だから、インプット・アウトプットの中で、周囲と仲良くして構造を保たないといけない。技術と科学力で何とかしたい。日本は自然が豊かだから、観光は非平衡開放系のいい条件だと思う。
- ダーウインのような突然変異は、均一な社会では生まれないのではないか→日本の社会は平衡、ルールの中で突然変異を許さない文化がある。そういうブレークスルーを押えこみやすいからこそ、人の交流が大事。新しいものが出てくるためには平衡状態でなく、多様なゆらぎをうまくのばす仕組みが必要。日本には勝ち組負け組みの二層分離が起こっている。様々な価値観、揺らぎの大きい社会が大事。二層分離の平衡状態は生産的でない。
- エントロピーということばが社会、経済でも使われているが→物理学者が考えているエントロピーは均一分子の中で使うことば。社会には人々の個性や歴史があるので、エントロピーということばを簡単に使うのはいかがなものか。平衡、非平衡など、定義をきちんとして使うのがいいと思う。ことばだけで考えるのは難しいですね。