2009年9月11日(金)、茅場町サン茶房でバイオカフェを開きました。お話は(独)農業・食品産業技術総合研究機構作物研究所大島正弘さんによる「遺伝子組換え研究者からみた21世紀の作物育種技術」でした。 はじめは池澤卓朗さんのバイオリン演奏がありました。澄んだ音色と目にも留まらぬ弓の動きに会場参加者はうっとりと見入り、聞き入りました。
池澤さんのバイオリン演奏 | 大島先生のお話 |
はじめに
江戸時代から、ごく最近まで、稲の品種改良は、良い株を見つけては交配と選抜を繰り返す、気の長い、泥臭い仕事だった。私も研究を始めたとき、育種は体力がないとできないだろうと思っていたが、育種の研究者とつきあううちに、現代の育種は精密でとても進歩していることを知った。
遺伝子組換え系統自体は有用な遺伝子を入れるとできるかもしれないが、実際に利用できる品種として確立するには、育種家の力が必要。例えば、遺伝子組換えダイズの栽培が世界のダイズの7割などといわれると、遺伝子組換えダイズというひとつの品種が広く栽培され、生物多様性が失われると誤解している人がいるようだが、実際には、それぞれの土地や気候にあった多様な目的の除草剤耐性を付与したダイズが3000-4000品種類くらい作られている、と聞いている。
私は、現在、育種の人たちと一緒に、収量が多く、除草剤耐性で、病気に強く、しかも、普通のイネとは交雑しない、市民に受け入れて頂けそうな飼料用(食味をよくする必要はない、休耕田で手をかけずに栽培できコストが安い)米の研究・開発をしている。今日はそこで得た経験から、最近の育種技術について紹介したい。
交雑しにくいイネとは
私たちは、世の中に受け入れて頂けるような組換え飼料稲を開発するため、一般の稲との交雑を避けるために、花の咲く時期が極端に遅く、しかも花が開かずに自分の中で受粉してしまう性質を持った稲を作っている。そのために、飼料用品種の「たちすがた」に、インドのイネ「ノナボクラ」(花が遅い)と台中65(花が開かない)をかけあわせている。
交配をしても欲しい性質だけが子孫に残るとは限らないので、今までは交配を繰り返して、育種家が観察を続け、多数の項目を調査し、長年の経験と勘で選び出してきた。例えば、コシヒカリは1945年に生まれたが、品種登録(1965年)まで20年かかっている。
交配したものから望ましいものを選び出す選抜の過程では、病気に強いものがほしい場合は田畑で病原菌をかけて枯れたものを除外して選抜する。味は食味検査を行い、ひたすら食べ続けて評価をするなど、これまでは非常に手間がかかった。(途方もなくまずい米もあり、苦しい実験。複数のモニターが食べて平均値をとる)。
ちなみに、収量は、主食用で400-500Kg、飼料は600-800Kg取れる品種がある。
「ゲノムを調べる育種」へ
選抜のための評価について、今までは遺伝子を直接見ることはできなかったので、遺伝子のもたらす形質を観察してきた。しかし、最近の「PCR技術の発明」と「イネの全ゲノム情報の解明(日本が世界に大きく貢献し、私達の誇り)」が、稲ではゲノムを直接見ていく育種を躍進させた。
PCR(polymerase chain reaction)とは、特定のDNA配列を増やす技術。DNAは熱をかければ2本の鎖が1本ずつにはがれ、低温になると戻る性質がある。高温(94度くらい)ではがれたところを55度くらいに冷やすとプライマー(増やしたい断片のきっかけになる部分)が、自分とあう配列の位置にくっつく。これを、酵素が働く72度にすると、DNAをつなげる耐熱性の酵素(ポリメラーゼ)が働きDNAが伸びる。増やしたいDNAの断片(鋳型)、ポリメラーゼ、プライマー、基質などを装置にセットし、温度の上げ下げを繰り返すと、目的のDNA断片を大量に調製できる。
この技術を使って、例えば両親それぞれの遺伝子に青や白といった、色がついているとすると、交配した結果出来た子供について、あたかも、どちらから遺伝子をもらっているかを色を見て判断することが出来るようになった。つまり、どの子供が、親から良い性質を受け継いだかを、直接DNAを調べることで、効率よく調べることが可能になった。これまではできた個体を栽培して観察し続けたるしかなかったので、大きな進歩である。このプロセスを関係者はマーカー育種、またはデザイン育種と呼んでいる。
ヒトでも、個人間でDNA配列は僅かに異なるが、イネの品種内では近親で交配をくりかえしてきているため、DNAの配列はほぼ同じ。一方、品種が異なると、塩基配列の違ったところが出てくる。イネのDNAの配列がプライマーのものと違うと、PCR反応で、プライマーがくっつかず、PCRで増えない。こういう目的に使うプライマーをマーカーという。コーネル大学では稲のマーカーを1万種以上、公開している。
こうした方法で、目的の遺伝子が入ったかどうかを、水田で栽培して観察したり、収穫して食味検査をしたりせずに、確かめられる。食味試験や観察だけでは、間違えて、いいものを捨てたり、不要なものを捨てられなかったりするが、PCRで増やして調べると間違えずに取捨選択できる。
このようにマーカーを使うと、10年以上かかった選抜が早ければ4年くらいできるようになった。遺伝子組換え技術を使うと品種がすぐにできるといわれるが、ほ場試験に5-6年かかるため、実際には品種ができるまでの期間をさほど短縮できるわけではない事を考えても、この技術のすごさがうかがえる。
デザイン育種
このように、栽培してみないでも、できた植物のDNAを調べて、品種改良するやり方をデザイン育種またはマーカー育種という。例えば、味はこしひかりだが、さめても美味しいという性質も遺伝子が分かっているため、比較的簡単に(実際に食べてみなくても)選び出せることができる。食味試験は収穫しないと出来ないので、1年かかるが、食味をよくするマーカーの確認は、発芽した芽の先端からDNAを取ってPCRにかければいいので、早ければ10日くらいでわかってしまう。また、稲と近縁の野生種と交配し、子供に出てくる性質と、野生種から来たゲノムの情報とを突き合わせることで、野生種の持つ優れた性質を利用することも可能になってきている。
別の応用として、コシヒカリの花の咲く時期を10日程度早くしたり、遅くしたりすることが、デザイン育種では可能になる。もし、普通のコシヒカリを2倍量栽培すると、収穫時期が忙しくなったり、乾燥設備や収穫機械が2倍必要になる。設備や機械を2倍にしないでも、コシヒカリの良い性質を受け継ぎながら、開花期のずれたイネを育てればと、設備を使いまわしながら栽培規模を拡大できる。
遺伝子組換え技術とデザイン育種
遺伝子組換え技術は、ある問題を解決する「1点突破」する技術。今後は遺伝子組換え体に対し、デザイン育種を駆使し複数の優れた性質を併せ持たせることができるようになるだろう。今日はイネの話をしたが、ダイズゲノムの研究も進み、ダイズのデザイン育種研究も発展中。
育種家がデザイン育種という強力なツールを手に入れたことにより、イネが持っている性質を使うときはデザイン育種、イネが持っていない性質も利用するときには遺伝子組換え技術を利用していくことになると思う。かつては作った品種100万本の1本が実用化すればいいと考えられていたが、今は数1000本の1本まで効率化したと聞いている。
会場風景1 | 会場風景2 |
- 全国にイネの研究をしている所は何箇所あるのか→イネの研究をしているのは北海道(札幌)、東北(盛岡・大曲)、中国(福山)、四国(善通寺)、北陸(上越)、関東(つくば)、九州(熊本)の各拠点と各県の試験場。
- デザイン育種では、遺伝子の切り貼りはしないのか→デザイン育種は組遺伝子組換えではないので、遺伝子そのものの人為的な切り貼りはしない。これまでは交配で両親の性質がどう入り混じるかはわからなかったが、マーカー育種では遺伝子に色をつけて見渡せ、選抜が早くできる。
- 遺伝子組換え技術による1点突破を何度も繰り返せば、デザイン育種と同じような効率化ができるのではないか→それも出来る。ケースバイケースだが、よいとわかっているものと、よいとわかっているものをかけあわせると予測がつきやすい。
- 食味試験は1株では出来ないと思うが→確かに1株できただけでは食味試験はできないので、同じ性質を持った集団ができた時、食味試験を行う。デザイン育種の方が早い。
- PCRをもう一度説明して下さい→プライマーが短すぎると結合が不安定。55度でくっつくのは18-25塩基対くらい。くっつく位置はプライマーが見つける。
- ポリメラーゼとは何か→部分的に2本鎖になったところをみつけて、そこからDNAの配列を伸長させる酵素。鋳型の端まで進むと伸長はとまる。
- DNAの大きさはどのくらい?光学顕微鏡で見えるのか→光学顕微鏡では見えない。PCRで温度の上下を20回行うと、100万倍に増やせる。これを電気泳動で確認する。
- 遺伝子を組み換える方法は顕微鏡下で操作するのか→写真でご覧になった顕微鏡下の操作はマイクロインジェクションといって核に細い針で遺伝子を入れる方法。植物の多くはアグロバクテリウム法といって、植物に感染し、自分の遺伝子を送り込む特殊な能力を持った細菌の感染を介して起す。
- 感染で遺伝子がうつるのか→バラが根頭癌種病になると、コブができる。菌はコブの中で自分たちの餌になる物質を植物に作らせる。私達は、イネの種とアグロバクテリウムを培地の上に一緒において感染させる。
- プライマーは自分で作るのか→今は業者にプライマーの設計図を渡し、作ってもらう。
- いくつの遺伝子が関与しているのかはわかるのか→開花、食味などは複数の遺伝子が協働している場合がある。QTL(量的形質に関する遺伝子の解析)の場所さえわかれば、デザイン育種によって必要な遺伝子をセットで扱えるので、複数の遺伝子でも扱える。
- 食味を良くする遺伝子は1つとは限らないと思って取り組むのか→味、香り、食べた感じ(テクスチャー)に影響する遺伝子にはわかっているものもある。陸稲の病気の強い遺伝子と悪い味の遺伝子の一つがセットで動いてしまうが、このふたつの連鎖をデザイン育種で切ることができたという報告があった。
- 品種改良では遺伝子、染色体、細胞とそれぞれのレベルで扱う方法があると思うが、マーカー育種は早期診断できる方法なのだと思った。
- 染色体のほしいところの切り貼りはできないのか→それと同じことが、結果としてデザイン育種によってできていると思う。これから育種はスピードが速くなるだろう。
- 世界の中で日本の技術はどのくらいか→世界トップです。マーカー育種には遺伝子組換え技術に反対のグループも寛大なので、進めやすくなるのではないかと期待している。
- コシヒカリを作ったときと同じ方法が加速していく技術は自然と調和している技術ですばらしいと感じた。マーカーは果樹や野菜でもすごく進んでいくのではないか
- デザイン育種の研究は費用がかかるのか、国の支援は必要なのか→マーカー育種では隔離施設などが不要で、遺伝子組換えより費用はかからない。プライマー調製しかお金がかからないし、普通の水田で栽培試験ができるが、やはりそれなりのお金はかかるので支援は必要。
- 勘や経験は今も生かされているのか→育種家には、マーカーを見ないでも植物体をぱっと見ただけで分かってしまう人もいる。勿論、遺伝子はきちんと調べるが、見ただけで何番の染色体が入っていると言い当ててしまうほどの経験を持つ、彼ら(育種家)への尊敬の気持ちを表したい、彼らの技術と先端技術が融和されて、すごくなってきていることを伝えたいと思って、今日のスピーカーをお受けしました。