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談話会レポート「リスクとリスク認知」

2009年6月18日(木)、ベルサール八重洲で第33回談話会を開きました。お話は、(財)国際高等研究所フェロー・京都大学名誉教授 木下冨雄先生による「リスクとリスク認知」でした。木下先生は日本のリスク心理学の草分けともいえる方です。わかりやすく、リスクという概念の誕生の歴史からその意味、私達のリスクの認知について、入門編をお話いただきました。

木下冨雄先生のお話 会場風景

お話の主な内容

自己紹介
社会心理学を専攻したが、放射線リスクを遺伝だけでなく社会的な意義も研究したいという要望があり、それをきっかけにリスクの研究を始めて数年。放射線のリスクをするうちに、原子力発電、電磁波、学校、病院の医療事故などいろいろな場面でのリスクに関して声をかけられるようになり、コストを考え合わせてリスク管理、リスクに対処する制度設計、群集を安全に動かす制度設計などをしてきた。

リスクとは
市民がイメージするリスクとは、「ふりかかってくる迷惑なもの」で、日本の辞書の半分は「危険」と書いているがこれは間違い。「危険の可能性」と書いてある辞書もある。つまり、日本人にとって、リスクは不安で迷惑でやっかいなもの。
リスクの語源はriauque(フランス語)、risuko(イタリア語)、risicare(ラテン語の動詞)で、航海時代に未知の地に行って冒険して巨万の富を得て帰ってくるような、リスクには冒険の愉しみの意味も含まれている。日本人のイメージは語源から考えて間違っている。
日本人のリスクのイメージは「受動的な運命」。海外のイメージはよく言えば「挑戦的」
学問的なリスクの定義は、発生確率だけでなく、災害が発生した場合の被害の大きさを考慮し、両者の積でリスクを定義する。
例えば、蚊に刺されるリスクは高いが被害は小さい、地震は被害が大きいがめったにあわない。人命に関係しているリスクには、「被害と確率の積」という考え方があっている。これに対して、機械のリスクは積となっていない。このように、すべての領域を見渡すと、リスクということばの解釈では、合意には至っていないのが現況。
望ましいという価値観も入ってきて、経済ではリスクは変化ということになる。株では変動がリスクであって、下がったときだけがリスクではない。株が下がったから価値が下がったというのはリスクでなく価値観。「株はリスクをとってこそ楽しみがある」という言葉には、リスクの本来の意味が出ていると思う。

価値観
私達は、生命の安全・健康に価値観をおいてリスクを考えるわけだが、自爆テロリストにはミッションに失敗して生きながらえることの方がリスク(ミッション貫徹の方が自分の生命より価値がある)。例えば、特攻隊では、イデオロギーの完遂こそが生命より価値があることになる。

リスクの特徴
主観リスクはあるが客観リスクはない。服飾心理学では、「流行おくれの洋服を着ていて恥ずかしい」と感じるのはリスクだが、これは主観的なリスクで客観的なリスクではない。リスクはなく、恥ずかしいと思う本人のリスク認知でしかない。
統制可能なリスクをリスクだと考えると、地震は神のしわざで起こるのでリスクでなく、人為的に建物が倒れることだけがリスクということになる。自然現象もリスクだと考える方もあり、現在はリスクの統一理論をめざしリスクの概念の再整理をしているところ。
リスクには可能性の意味が含まれる。大数法則中での確率事象だから、全体のリスクと個別的リスクは異なる。一般の人から、「全体のリスクはわかるが、私のリスクはどうなの?」という質問を多く受けることからもわかる。
ゼロリスクはありえないが、ゼロリスク追求を賛成・反対派ともにやっていた時代もある。人間はゼロリスクに近づけたがるもので、そうするとコストがかかる。また、リスクはベネフィットと対応している。だから、自動車事故で4000人が亡くなっていても自動車反対運動はない。インターネットは便利だが、サイバーテロのリスク、プライバシー侵害のリスクが伴う。しかし、インターネット反対運動もない。
ある薬の副作用を和らげるのに別な薬をのむと、次の薬の副作用があらたに生じる。これをリスクの多重構造という。また、コストとリスク管理は切り離せない関係がある。

リスク概念の導入
リスクの概念は、経済学において最も早期に実務的に取り入れられた(1680年)。
ロンドン大火(1666年)で大きな被害を受けた人が火災に備える共済システムを考え出し、火災保険の始まりとなった。ロイド(話しあいをしていた喫茶店の名前)という損保の第一号が生まれた。
自然科学分野では、放射線生物学、食品化学のような人間とかかわる部分でリスクの概念が導入された。
モノを扱う工学の分野ではリスクの発想が遅れた。機械の保全は事後保全で、1960年になって予防保全が取り入れられ、予知保全がリスクベースで考えられるようになったのは2000年と遅い。工学でリスクが採用されるのに時間がかかったのは、大きな船の航路変更のようなもので、大きな構えの工学分野でのリスクへの転換には結果的に時間がかかってしまった。

リスク分析(リスクアナリシス)
リスク分析は、①リスクを測る(残留農薬をはかる)、②測定値の意味を評価する(動物実験の値を人間にもってくるときには安全係数をどうするのか、農薬が可食部にかかったときと非食部にかかったとき)、③リスク管理(リスクを減らすのにどんな技術があるか、住民はどこまで辛抱できるか、コストはどのくらいか、政治の圧力が加わり、経済、住民感情、政治家の力の中で妥協点をさぐる)、リスクマネジメント段階のリスクコミュニケーションが最も重要。
厚生労働省と農林水産省がリスクを測定し、食品安全委員会が評価を行い、測定と評価は独立した組織で対応。原子力行政では経済産業省と文部科学省が測定、総務省の原子力安全委員会が評価し、測定と評価は別組織になっている。運営上、独立が難しいこともある。

リスクの認知
リスクをうけとめるのは主観なので、リスクからずれており、これをリスク認知という。客観的リスク(科学)は安全に近く、主観的リスクは安心に対応する。
安全なら安心し、危険なら不安を感じる、これは正常な関係で問題は出てこない。
安全と安心が食い違うことがあり、安全なのに不安になったり、危険なのに安心したりしている状態はトラブルの元。
いつも食べているお米は安全、青酸カリは危険、これはリスコミ不要の状態。食い違いがあるときにリスコミが必要になる。
心理学者は、人間は科学的合理的に行動していないものと考えているので、客観的なリスクと主観的リスク、つまり認知と感情の関係が異常な状況はありうると考えている。
原子力は、きちんと扱えば安全でも危険だと思っている人がいる(食い違いあり)。原子力は確率的に安全であるのに、不安だと思われている。合意形成に結びつける技術としてリスコミが必要だといえる。

不安社会
凶悪犯罪の中の殺人、放火、強姦は増えていないのに、凶悪犯罪増加という体感危険が高まっている。増えているのは強盗だけ。これは、「凶器を出すと強盗で出さないと窃盗」という定義と関係している。最近は万引き・窃盗は増えているが、つかまったときに逃げ腰でナイフを出すと強盗と記録される。調書まで調べると、強盗の種類がわかり、本当に凶悪犯罪が増えたかどうかがわかる。
日本ではフランス、ドイツ、イギリス、アメリカなどに比べて殺人事件は少ないのに、日本では体感危険が高まっている。日本が危険社会になったからでなく、不安社会になった。
これは新聞報道もひとつの原因ではないか。検挙数は変わっていなくても報道件数が増え、少年の殺人事件が横行しているように我々が誤解する。ガーブナーはこれを、新聞が不安を培養していると説明している。

リスクとリスク認知の違い
牛肉のレバーは感染症の原因となることがあるのに、レバーの刺身は人気メニュー。
鳩は寄生虫などがいて危険なのに、それを知らない人にかわいい、平和のイメージを持たれる。
無知、専門性、性別などがリスクとリスク認知の違いの理由になる。
例えば、1回あたりの死亡者数が多い災害は過大視され(航空機事故は話題になるが、1回に数人しか死なない自動車事故は年間に数千人死んでもリスクは過小視される)、自分がコントロールできるリスクは過小視(食品添加物は自分で除外できないので過大視)。このようなリスクバイアスは人間の癖。人間の考え方の癖を知っていないとリスクコミュニケーションはうまくいかない。
ヘビースモーカーにとってたばこは自分でコントロールできるがやめられない。喫煙の価値は長生きよりもQOLを高めるらしい、喫煙者のガンの死亡率は3倍だが、余命でみると日本人男性平均79歳が喫煙者では76歳になり、禁煙しないという人も出てくる。こういうケースでは余命でリスクを表現するとリスクコミュニケーションに失敗する。

リスクはベクトル
リスク認知がもっとも高い人より、知識量が中ぐらいの人の方がリスク認知は低い。はじめに知識の芽があり、リスク認知はベクトル(方向と量がある)のようなもので、芽のベクトルは都合のよい知識を集めて伸びていく(選択的知覚)と考えられる。

知識の量とリスク認知
一般市民は原発にも組換えにも不安感を持つ。バイオの専門家は組換えに、原子力の専門家は原発にリスクを余り感じない。ところが、電力会社の社員は原子力の専門家ほど知識がないのに、原子力に対する安全感が高い、高すぎる。これは自社への愛、自社への誇りによる。プロは科学的に合理的判断をしているわけではないことがわかる。
原子力、自衛隊出兵、食のリスクへの不安は、日本では総じて女性の方が高い。これは、子育て中、若い夫がいる30-40代(受胎年齢)が最も高く、周囲に愛する人がいるからかと考えられていたが、中国では男女差が余りない。これは政府に対して従順で安全だと思っているためと考えられる。米国では男性の方が不安が強い、これには米国の男性は家計を預かっているケースが多いからではないかといわれている。海外でビジネスをするためには外国のリスク認知も知っている必要があるのではないか。

リスク認知はイベントで変わる
原発が始まったころ、世論は夢のエネルギーだといっていたが、スリーマイルズ、チェルノブイリが起こると賛成・反対は逆転。最近は賛成が増えて再クロスした。世論はイベントで変わり、逆転する。
機関車が初めて新橋を通ったときには、大反対が起こった。江戸時代に火災は重罪だった。政府が火をたいた車を走り回らせるとは、危険だから大反対。
電気洗濯機が初めて登場したとき、電気洗濯機は洗濯板でごしごしやりながら家族への愛情がわくのを妨げると反対された。
世論は大事だが、こんなにいいかげんなもので、おかしな世論は変えなくてはならない。世論が正しいかどうかの見極めが絶対に大事。世論で一喜一憂はナンセンスなこともある。

リスク認知の特徴

  1. 反復により不安は強化されていく:事件の後、忘却で不安は減衰するが、また事件が起こると不安は前より強化される。減衰しても下げ止まりは前よりあがる。3回目の事件が起こると減衰しても、不安は意識の下まで下がらなくなる。記憶の下にもどらなくなる。不祥事は1回は許してもらえても、2,3回となると許してもらえなくなる。
  2. 信用されない人のパフォーマンス:BSEの不安を抑えるのに、議員は牛肉を食べる会を開いたが、焼肉店の客足が激減しパフォーマンスに失敗した。これは政治家が信用されていなかったから。信用されない人のパフォーマンスは逆効果。リスクコミュニケーションは大切でも、政治家はパフォーマンス好きで失敗することが多い。
  3. リスク管理のコスト:しかし、リスク管理にはコストがかかり、どの程度のリスクなら国民ががまんするのか「許容リスク」の検討が必要になる。これを、How safe is safe enough? という。
  4. 規定値:10のマイナス4乗以上の死亡率は受容されるが、マイナス6乗(自然災害の程度)以下は気の毒だと思っても無視される。そこで、10マイナス6乗は規定値として世界で広く使われており、規制値決定の大事な概念となっている。
    10マイナス4乗より大きいと受容されない技術になる。自然災害、溺死は10マイナス6乗で水泳禁止にはならない。理由はわからないが、10マイナス6乗だと暗黙のラインとして我慢するようだ。これより大きくするとコストは安くなるが、反対運動が起きて政策が認められなくなる。これは政策担当者の腕のみせどころとなる。
    原子力、化学工業会も10マイナス6乗を下限のリスクとしているそうだ。

リスクコミュニケーターの養成
リスクコミュニケーターは講習後張り切って帰っても、守旧派の巣にもどったときにボコボコにされて、精神を病んでしまった人もいた。組織の風土も変えないとリスクコミュニケータだけを養成してもだめだとわかった。
一案として組織のトップにも一緒にリスクコミュニケーター養成講座を受けてもらう方法もあると思い、上司の受講料は無料にした。農林水産省で講座修了後に次官が証書を渡した。これは効果があったようだ。
話し方の練習ばかりなどの小手先いじりでは、守旧派に負けてしまうだろう。リスクコミュニケーターは、上手に喋れなくてもよく、誠実さが大切である。


話し合い 
  • は参加者、→はスピーカーの発言

    • カウンセラーのような精神面などの支援システムはリスクコミュニケーターにもあるのか →子どものカウンセリングでは子どもにがんばらせてはいけない。取り巻く環境を改善する。同じようにリスクマネージャーに辛抱しろといっても気の毒だから、上司にアドバイスしたりして、孤立無援にしない。
    • リスク認知でのU型構造(知識がある程度以上増えるとリスク認知はU字型に増加する)をどうすればよいか →①情報を絞る、②ベクトルを強化する方法が考えられる。合理的に攻めていっても難しいし、論争はだめ。頭から反対しない、論理をつかむこと、嫌がるものに脅迫をして事を進めない、ロジックを変えて例えば情緒に訴える(お母さんを使う)、反対の人の立場をよく理解して見極める、テクニカルタームを使わない。
    • 例えば、X線について怖がる人には、放射線を扱っている現場の人たちの報告を利用することを勧める。(大野和子 放射線診療におけるリスクコミュニケーション 2008年度放射線影響協会講演会)
    • 「牛肉を大いに食べる会」のパフォーマンスはしないほうがよかったのか →信用のできる政治家ならうまくいったかもしれない。信用性の調査によると、信用されていない上位3つは、政治家、官僚、マスコミ。信用されている裁判官や自衛隊にパフォーマンスをやってもらってもという考え方はあるが、イメージ的には合わないのではないか。
    • 信用は、能力と公正さで決まる。地道にCSR(企業の社会的貢献)などの活動を透明性を持って改革してきたこと明らかにすることで信用は高まっていく。信用はこつこつ貯金していくやりかた。
    • 規律やリスク以外に、社員の言動も大切である。当該のリスク以外のものが担保となる。組織が大きいと難しい面がある。信用を得るには時間がかかるが失うのは一瞬である。
    • 製品や技術ならば、第三者である学会や認証機関でお墨付きをもらい、風評被害を抑えるのもよい。
    • リスク認知のバイアスは、知識量が増すとあがる。このU字構造は具体的にどうしたらいいのか →中ぐらいの人には知識を与えるとよい。中ぐらいの人は人数も多いことが多い。両端の人にはベクトルを付け替える。ベクトルはアカデミックに講義し、突破できないときには感情に訴えるというウラザワもある 政治犯で戦中に牢屋で転向した人に関する研究では(イデオロギーを変えるのは大変)、教育的発想には耳を閉じている人だからお母さんを連れてきて説得してもらった。ロジックの世界や感情で反対している人には(学会の論争と同じで)、ウラワザを考えてみる。相手を認めようとしない相手がどんなロジックの上で考えているかを見極める。相手の論理にのってそれを利用する まず相手とよく話し合うこと。
    • GMOに対して生産者で反対している人、消費者で反対している人には違うアプローチが必要。正論でいけばわかってもらえると考えるのは間違い。わかりやすくいったり、安全性審査の仕方を説明してもだめ。相手のロジックを使う。
    • リスクに鈍感な腹のすわった市民を育てる方法はあるか →背後の恐怖を操作するのは困難。そこをいじるのは人間改造だから当然難しい。不安の遺伝子や不安遺伝子の民族差が見つかっている。日本人は概して怖がりで、スポーツ選手は国際試合に弱い。一方、感情の部分ではさわっていけない部分でもある。例えば、子供を勉強好きにさせるための母親の手練手管は多様。理由をすべて書き出すなど、ノウハウはいっぱいあるので具体的に問い合わせてください。
    • 信頼されている人がコミュニケーションをすれば成功するのか →背負っている信頼を調べておかないとだめ。個人の信頼ではない。まあまあ信頼されている組織なら誠意をみせるのがいい。上手なおしゃべりや聞き方だけではだめ。プロ中のプロでよく知っている人であることが大事。口先だけよりも、しゃべりが下手でも評価されることもある。上手にしゃべることは絶対条件ではない。