くらしとバイオプラザ21

くらしとバイオニュース

ホーム
What's New

くらしとバイオニュース

バイオイベント情報

やさしいバイオ

リンク集

バイオカフェ

くらしとバイオプラザ21とは


「科学ジャーナリスト賞2007」が発表されました

2007年5月15日(火)日本プレスクラブビルで、日本科学技術ジャーナリスト会議主催による、同賞の授賞式が行われました。小出五郎会長より「この賞はジャーナリストの視点と行動をもった方を顕彰しようと始めた」というお話から始まりました。
以下は、科学ジャーナリスト賞選考委員、受賞者のスピーチです。

小出会長による開会 柴田理事の選考過程の説明


選考過程の説明
日本科学技術ジャーナリスト会議理事 柴田鉄治氏

今年は去年より10数件増えて45件37人の推薦があった。第一次選考委員会で14件13人が残り、4月17日4時間にわたる論議の末、5名の受賞者がほぼ満場一致で決定した。
候補の中には、「あるある大辞典納豆ダイエット」の捏造を扱ったものもあった。この週刊誌報道は最も話題性の高かったものだと考えられたが、本賞にはなじまないと意見が強かったが、エセ科学は一つの焦点だった。また「かまぼこはなぜ11ミリで切るとおいしいのか」、「昆虫 脅威の微小脳」、「カラスの常識」など魅力的な書籍も高く評価された。
そのような書籍、テレビ番組に、WEBなどの新しい媒体も加えた分野から、地道な粘り強い努力、長年にわたる努力をしたジャーナリストに光の当たった選考となったと思う。本賞が社会に定着し、よい仕事をみんなでほめる風潮の広がることを期待している。

受賞者と審査員のみなさん 会場風景



信濃毎日新聞文化部記者   山口裕之 氏

地域の医療支援団体の活動を通じてチェルノブイリ原発事故を追跡した報道の取材班の代表として 

プレゼンターのことば  科学技術振興機構理事 北澤宏一氏
チェルノブイリという史上最悪の事故から20年がたって風化してきたときに、信州大学の医師がボランティアとして、甲状腺がんなどの子供たちの治療を行っている。山口さんは1年半、現地に留学する形で留まり、取材し発信した。山口さんの連載から、信濃毎日新聞社は長野県の文化連帯活動として「日本チェルノブイリ連帯基金」をコーディネートするに至った。

受賞者のことば
1991年から信濃毎日はチェルノブイリの問題に取り組んでいた。私は、初任地の松本にある「日本チェルノブイリ連帯基金」という支援団体の事務所を取材するようになり、チェルノブイリと関わるようになった。
ベラルーシは小さい国で事故後に移住が必要になった地域が国土の4分の1に上った。取材のために留学したという紹介があったが、実際は仕事に行き詰まり、大学時代に学んだロシア語の勉強をチェルノブイリで続けようと気持ちもあったので、休職し現地を見ることにした。
ベラルーシにはベラルーシ人、ロシア人、ウクライナ人がいる。いすに釘が出ていたら、ロシア人は拳で釘をたたきつぶして座り、ウクライナ人はやっとこで釘を抜いて持ち帰り、ベラルーシ人は気づきつつもじもじ座るという笑い話があるように、彼らは忍耐強いおとなしい人達。
事故後、航空路もなくなり、独裁だと非難されて外国資本が入らず、産業もふるわず、滞在していた町は寂れた。現地の友人は放射能の不安を抱いて暮らしている。外国の医師が来ると早朝から子供の甲状腺がんを調べてほしいと集まって来る。人々の給料は少なく、物資も不十分で、汚染に怯えて暮らしていた。
留学して彼らを見ることがなければ、この企画はしなかったと思う。公式な報告書では、低線量による被爆の影響ははっきりしない。大きな不安といえるほどのものはなく、住民たちが症状を訴えても「放射能恐怖症」と決め付けられるてしまう。しかし、そこに暮らす人々の不安に科学が蓋をするのは傲慢ではないだろうか。
最後に日本の支援者の取材して印象に残ったことばを伝えたい。「チェルノブイリの事故に対して、科学がアプローチできるのは限られている。なぜなら、移住を余儀なくされた人、職業を失った人の苦しみは科学ではかれないから」「水面に何かが落ちたときに波紋が広がるように、自分の行動が他の人の刺激になって多くの人の医療協力につながればいい」
地方紙の連載は小さいが、皆さんの目にとまり話をする機会を得て、記者冥利につきる。



新潟大学名誉教授   藤田恒夫 氏

ユニークな科学誌『ミクロスコピア』を新潟から発信をつづけている功績に対して 

プレゼンターのことば 日本科学技術ジャーナリスト会議理事 高木靭生氏

ミクロスコピアは科学雑誌なのに、旅行記やエッセイなどが、科学の話題の他に扱われている。私も含め、日本では科学雑誌が売れず皆苦労している。購売数は5000部だそうで、健闘しているといえる。科学を身近に伝えようとする研究者の努力がすばらしく、編集者の藤田先生が一番楽しんでおられる。これは科学の原点、来年は25周年。頑張って欲しい。

受賞者のことば
晴れがましい賞をいただき、自分がジャーナリストのはしくれかと思うだけで嬉しくなる。
私は日本で顕微解剖学の英文雑誌を40年近く作っていた。論文は、自分の興味のある小さな世界ではわくわくするが、領域が少し違うともう理解できず、無味乾燥な文章だと思う。美しい顕微鏡や電子顕微鏡の世界を人々に知ってほしい、細胞を見つけた研究者が電子顕微鏡の周りを踊りまわって喜ぶ姿や、失敗を繰り返して失意に陥ることを、母国語でわかりあえたらどんなに楽しいだろう。そんな思いから外国語の論文を書くより意味があろうとミクロスコピアを創刊した。第一印刷所という新潟の会社が光学顕微鏡や電子顕微鏡のよい写真を作ってくれる。販売してくれる会社がある。すべて新潟から発信している。丁寧に書き、よい写真を載せると、どんな人もよく理解できることもわかった。
同じ大学でも隣の研究室が何をしているかわからないことがあるが、ミクロスコピアに書くと、仕事の内容だけでなく研究者の人柄までよくわかるようになる。そのせいかミクロスコピアに執筆して教授になった人が何人もおり、本誌に執筆すると出世すると評価してくれる人もあり、嬉しい限りだ。



東京大学理学系研究科准教授   横山広美 氏

Web作品 Nikon『光と人の物語〜見るということ〜』に対して
http://www.nikon.co.jp/main/jpn/feelnikon/discovery/light/index.htm

プレゼンターのことば  ノーベル賞受賞者 白川英樹氏
横山さんとは政府の委員会などで一緒になることはあったが、執筆活動をしていたことを知らなかった。対象作品はニコンのWEBの見つけにくいところにあり、光を切り口にした5部作で、ある。無機質で難解に思える科学を市民に有機的につなげている。構成に工夫があり、3つの階層になっている。読む人がどこを読んでいるかがわかりやすく、説明もわかりやすい。サイエンスコミュニケーションを研究しているからだと思う。

受賞者のことば
私はカトリックの学校で毎日お祈りをしてのんびり育ってきた。中学で自分はどこから来たのか疑問に思うようになった。その頃、友人の母親から、ニュートンの「初期宇宙論」をあなたにも読めるからと薦められて読み、感銘をうけた。学生時代は、スーパーカミオカンデでニュートリノの研究をしていたが、いつかは書く人になりたいと思っていた。就職はテレビか新聞かと迷ったが、大学院に進み、研究者の立場で書いていくことにした。フリーランスで活動してきたので、「書く教育」を受けていなかったが、編集者に育てて頂いた。スーパーカミオカンデの事故後の報道ではメディアの方に励まされたことも印象的だった。これからもご指導いただきながら、文化とサイエンスが奥深いところでつながっていることを伝えていきたい。



前・科学技術文明研究所長   米本昌平氏

『バイオポリティクス』(中公新書)の執筆など、生命科学の諸問題を考察した長年の活動に対して

プレゼンターのことば 前・日本学術会議会長、内閣特別顧問 黒川清氏
試験管ベービーが生まれたときは話題になったが、今は何もいわれなくなった。倫理の規範は時代の文化とともに変化し、立場によっても異なるようにみえる。人工授精や中絶についても、倫理学者と医師では発言が異なっている。米本さんはそのような複雑な問題について情緒に流されず、各国の状況を非常に詳しく調べ、長年、勉強してきた。このように学術的、政治的に優れた本がまとめられたことは大変意味が深い。その姿勢は、科学ジャーナリズムそのものである。 一方、ジャーナリストは科学のテーマについて取材して記事を作るプロだが、研究者がすばらしいエッセイ等を書くこともあり、科学ジャーナリストのあり方も問われている気がした。

受賞者のことば

私は、登校拒否ということばもないころ、学校に行けない生徒だった。山登りをしたくて、京都大学山岳部を目指し、入学した。反権力・反中央だと思った京大はそうでもなく、卒論を書かず、指導教官なしで卒業し、地元の証券会社で4年働きながら、論文を書いた。30歳になったとき、三菱化学生命研究所の中村桂子室長が採用してくれ、研究者になった。それから30年、比較政策研究をしてきた。実証主義に徹し、資料を読み込んできた。マイナーな存在だが、現物を読み込んできた視点がジャーナリスティックだと評価され、光栄に思う。



<科学ジャーナリスト大賞>
NHK科学・環境番組部 専任ディレクター 村松 秀 氏

『論文捏造』(中公新書ラクレ)の執筆とそれに関連したNHK特別番組の制作に対して

プレゼンターのことば 慶大名誉教授 米澤冨美子氏
私も物理学者で、この本を読んだときに、頭を殴られたようなショックを受けた。どうしてこんな大きなことが起こり、誰も見抜けなかったのだろう。ベル研究所の事件をこれほど、徹底的に読み解いたものは世界でも初めてだと思う。
考えてみるといろいろな理由がある。超伝導が起こる温度を高めたいとすべての物理学者が思っているとき、シェーンは才能がありどうすれば注目を浴びるのかがよくわかっていた。共同研究者は高温超伝導でノーベル賞候補になるほど信用された人だった。ベル研究所はノーベル賞受賞者を多く輩出し信用されていた。また、ベル研究所はIT不況の中で、シェーンを看板にしようとした。確証バイアスといって、人には一度、信用してしまうと疑わなくなる傾向がある。ある科学者を告発することは相手も自分も科学者生命を脅かされるので難しい。サイエンス、ネイチャーのような最高峰の雑誌に16編ずつ掲載され信用された。
特にサイエンス、ネイチャーが不正を見抜けなかったことについて考えると、両誌は幅広い科学を扱っており、専門誌といえない側面もあるのではないか。ここで、日本の科学ジャーナリストにお願いしたいのは、新聞の科学記事の最後にいつも、サイエンスやはネイチャーに載ったと書かれているが、日本物理学会にも立派な英語の学会誌があり、すばらしい論文がある。新聞の影響もあって若い人もサイエンス、ネイチャーばかりに投稿する。日本の学会誌の論文も新聞でとりあげ、日本の英文学会誌を育てるのにも協力してほしい。
この本はぜひ、英訳して出版して欲しい。

受賞者のことば
若い私に大賞ということで、びっくりしており、感謝もしている。多くの国内外の方からもお祝いのメールを受け取った。
ベル研究所以外にもソウル大学、東大などの科学論文の捏造を、私はNHKの番組で扱ってきた。捏造という科学者に耳の痛いテーマにこのような賞。捏造を追放しようとする科学ジャーナリズムの強い決意を感じている。
取材では犯人探しが目的でなく、番組作りが問題解決につながればと思っていることを伝えて、協力を頼んだ。現場に近い研究者が取材に協力的であったのは、研究者が捏造問題を真剣に捉えているからだろう。研究者の世界は細分化、先鋭化して、アインシュタインの時代から大きく変容してきており、捏造もそういう変化の中の負の側面ではないだろうか。似非科学、非科学的に語られる環境問題、非公式な所で語られている「科学」などに対し、「科学がなめられている」と感じている。メディアとして、科学とどう関わるのかを襟を正し考えていきたい。
捏造問題で撮影できるものは、インタビュー、論文接写、建物しかないテレビ泣かせのテーマだが、カメラ、編集、美術、アナウンサーなど多くのスタッフの工夫があったことを伝え、御礼をいいたい。中公新書の編集者が声をかけてくれたことで出版にもつながった。NHKに就職が決まったときに、恩師から「今一番大事な仕事は科学と社会の架け橋だ」という言葉を貰った。そのような恩師、テーマがテーマだけに取材中、暗くなりがちな自分を支えてくれた家族にも感謝する。


copyright © 2006 Life Bio Plaza 21 all rights reserved.
アンケート投票 ご意見・お問い合せ