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「不確実性をどう伝えるか〜 遺伝子組換え作物とリスク・コミュニケーション」 |
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2006年11月8日(水)東京大学農学部2号館化学1番講義室において、ACTワークショップシリーズ(ACT10)国際シンポジウム「「不確実性をどう伝えるか〜遺伝子組換え作物とリスク・コミュニケーション」が、アグリコクーン 食の安全・安心フォーラムグループの主催により開かれました。
アグリコクーンのサイト:http://www.agc.a.u-tokyo.ac.jp/act10/act10.html
プログラム
- 「遺伝子組換え作物と社会に関する問題点整理」正木春彦(東京大学大学院農学生命科学研究科)
- 「遺伝子組換え作物に対する自治体の規制の現状」佐々義子(NPO法人「くらしとバイオプラザ21」)
- 「不確実性をめぐるリスク・コミュニケーションの課題」西澤真理子(シュトゥットガルト大学、リテラジャパン)
- 「EUでのGM作物の受容とコミュニケーション」オートウィン・レン(シュトゥットガルト大学) 代理説明:西澤真理子
- 「食をめぐるリスク分析とリスク・コミュニケーション」吉倉廣(厚生労働省食品安全部参与/コーデックス委員会、バイオテクノロジー応用食品特別部会議長)
お話の概要
正木春彦氏
遺伝子組換え技術に関するリスク
- 1970年代 アシロマ会議、NIHガイドライン 予期せぬ生物の誕生、人への直接的気合
- 1980年代 環境への影響に対して封じ込めで対応
- 1990年代 医薬品・食品に応用されるようになり、封じ込めで対応できない分、実質的同等性という考え方が登場した
- 2000年代 生物多様性条約、カルタヘナ議定書発効により人の健康へのリスクから環境へのリスクに焦点がシフトした
30年の経験から人への直接的な被害がなかったので、安心感が形成されているのではないか
日本の状況
遺伝子組換え食品は社会と科学技術の関係のシンボルになっているが、日本ではネガティブイメージがひろがっている。1)遺伝子組換え技術への不安、2)科学技術一般への不信、3)遺伝子を扱うことへの不安が考えられるが、2)と3)には時間、経験、教育が必要
○ 健康へのリスク
- たんぱく質、DNAは消化器官で分解されきっていないので、分解消化されるという説明では不十分。初乳の免疫が伝わるのがうそになってしまう。
- 細胞への取り込みはないのか。DNAを注射するDNAワクチンというのがあるのは、細胞への取り込みがありえるからという反論があるのではないか。
- 子孫への伝達。生殖細胞にまでは入らないが、化学汚染の濃縮現象から子孫への影響という間違った連想が不安を生んでいる
○ 生物多様性の掴まえにくさ
生態系、種、遺伝子の3つのレベルの多様性が整理されていない。政治的・経済的な議論もある。例えば、先進国の目論見と生物資源の確保、開発途上国の反撃と生物資源に対する主権の主張の関係など。
○ 食の安全と安心
食の安全・安心において安全性、品質保証、生物多様性が混同して議論されている。食品としての安全性は落ち着いてきているが、表示を見て消費者の判断責任がゆだねられる形になった、生物多様性の議論が大事
「不確実性をめぐるリスクコミュニケーションの課題」 |
西澤真理子氏
有効なリスクコミュニケーションの素地
欧州では全体として組換えは心理的に嫌われているが、スペインは商業栽培をしているし、ドイツも実験栽培をしている。これは、初期のマネージメント、コミュニケーションがうまくいっていないことによるところが大きい。(表示による選択の余地がなかった。利害関係者との対話ができていなかったなど)消費者の複雑なリスク認知をもっとよく理解しておくべきでなかったか。女性、こどもをもつ母親はリスクに反応しやすいという報告があるし、職業、年代、民族によってもリスク認知は異なっている。
「リスク増幅作用」といって、小さなリスクが情報伝達の中で大きくなってしまう。その仲介をするのはメディアと口コミ。インターネット情報やマスコミ報道では、ジャンクサイエンス情報が流れている。危ないと訴える本がよく売れている。
遺伝子組換え作物のリスク認知と行動のずれ
メディアの組換え報道は「フランケンシュタインフーヅ」と位置づけがち。正確な食の情報は伝わっているか。「普通のトマトに遺伝子は入っていない?」という質問で、欧米、日本も不正解やわからないは同じくらいに高かったとういデータがある。このようによく理解されていない。
イギリスではセンズベリーで組換えトマトピューレを安く売ったらよく売れたという事実があり、
日本環境省調査でも,地球温暖化を抑制するために環境税を払うかという選択肢に賛成しないという市民の実態がある。
フードファシズムの時代
自ら情報を収集し、判断するのに、怠慢になっているので、テレビの健康情報に飛びつきやすく、ゼロリスクを求める傾向もある。消費者はそういう情報にとびつくものだと、決め付けていいのか。リスク増幅とメディア報道の関係を配慮しないといけないのではないか。
これからどうする?
場の議論を広める。科学者が正確に伝える場を作ること、企業からメディアへの情報発信が大事。2005年の科学技術フォーラムでは、延べ30名の科学者と延べ120名の市民がリスクコミュニケーションの実験に参加した。
まとめ
リスクコミュニケーションの素地を初めによく調べる
リスク認知のしくみとメディアによる情報の影響の関係を考えた上で、メディアに情報を提供する。
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「欧州におけるGMOの受け取られ方とリスクコミュニケーション」 |
シュトュゥットガルト大学 オートウィン・レン教授が体調不良で来日されなかったので、西澤真理子氏がビデオを使って説明されました。
リスクには3つのカテゴリーがある
- 因果関係分析の複雑さ
- 不確実性(個別反応、測定エラー、確率論的関係、システムバウンダリー)
- 解釈のあいまいさ(生命倫理的にやっていいのかどうか)
現代のシステミックリスク(OECDの研究による)
- 特徴(複雑さ、不確実、曖昧さ、システムバウンダリーがオープンエンド)
- 問題(可能性の不確実性とダメージの可能性、波状効果、高い社会運動に広がる性質)
クロイゼルヤコブ病でなくなった方は147人だが、アロマオイルを誤飲して死んだこどもも140人。数字の上ではキャンセルできる。
遺伝子組換え作物(GMO)について
遺伝子組換え技術には特徴(健康影響の複雑さ、可能性がわからない、利益について議論が分かれる、リスクに関連ない部分での曖昧さという特徴があり、遺伝子組換えは神の領域に入ったというシンボル的な印象がある。選択の自由度のなさも働いて、社会運動が広がっている
リスク認知とは
人のリスクの捉えかたは知識というより認知である。人の認知には、4つのパターンがある。それは、戦う、逃げる、死んだふりをする、相手にゆだねるである。
GMOのリスク認知は忍び寄る、目に見えない危険のカテゴリーに入り、長期影響がある。信頼関係があるときにはリスクベネフィットで捉えられるが、信頼がないとゼロリスクを求めるようになる。信頼がなくも、あるわけでもないときは外的要素(伝える人の雰囲気など)が大きくなる。リスク管理への信頼が重要になる。
リスクコミュニケーションの目的
リスクコミュニケーションは次の4つの目的を持つ。
- 教育(リスクリテラシー)
- 行動の変化を喚起すること
- リスクコミュニケーションを通じて信頼を構築
- 論争解決のためのリスクコミュニケーション
リスクコミュニケーションの必要性
先進国における健康と安心の確保、情報と透明性の要求を満たす(行政への信頼が低いほど、透明性や政策決定への参加が要求されている)、行政への信頼の低さと参加への要求の高まりが、リスクコミュニケーションを世の中で必要なものとしており、法的にも要求されている。
考察1
- リスクコミュニケーションにはリスク管理がされていることが大事
- リスクコミュニケーションには以下の条件をクリアにしないといけない(目的、論争の度合いの状況、リスクコミュニケーションの対象の設定、リスクコミュニケーションをどんなチャンネルでどうやって行うか、リスクコミュニケーションのフォローアップ、評価の必要性)
考察2 リスクコミュニケーションは何を伝えるのか
信頼はリスクコミュニケーションを通じて得られるもので、作られるものではない。次のことが重要である。
1)リスクとハザードの違いの説明、2)リスクが予測できないのか、怠慢や失策でおきるものなのかの説明。予測できない出来事と怠慢・失敗の違いが必要となる。
過程を知ること、リスクトレードオフの考え方、基準の意味とその目的を考えること
利害関係者の参加がなぜ必要なのか
参加の倫理・価値基準は、民主主義のために必要であるが、実質的にも必要である。
知識の収集、異なる意見や価値を知ること、受容の前提条件やリスク情報とアドバイスのための必須事項の整理が重要である。
リスク管理のエスカレーター
リスクが単純だと内部だけの相談でいいが、次の段階では専門家を入れる
さらに次の段階では、専門家に利害関係者、影響を受ける人も加える
倫理など価値の異なる論争では、コミュニケーションや論争だけでなく、市民などの参加型の形が必要、例えばコンセンサス会議など
まとめ
事実(fact)ではなく,リスク認知(perception)で人が行動する.認知には一定のパターンがあり、文化で異なる場合がある。
リスク認知にはカテゴリーがあり、遺伝子組換え技術のリスクは忍び寄る危険のカテゴリーに入る。このクラスの危険には信頼が大切。
政策決定は人の認知に注目して行うべき。
リスクコミュニケーションは啓発、信頼構築、論争解決のために必要である。
リスクコミュニケーションでは、リスクが複雑で不確実で曖昧であることを伝えるべき。
リスクの性質によって異なる手法が必要(複雑なリスクには認識論、不確実性なリスクには対話、曖昧なリスクにはリスクベネフィットを伝えることが必要)。
リスクコミュニケーションはリスク評価・管理を補完するものである。
厚生労働省食品安全部参与 吉倉廣氏
1. リスク評価と管理は別物か
リスク評価は科学に基づくもので、リスク管理と分離すべきもので、リスクコミュニケーションは双方的に行われるべき。リスク評価とリスク管理は分かれるべきだが、関係しないとうまくいかない。
2. リスク分析は順々には起こらないものだ
リスク評価でパブリックコメントを求めるときになどに、市民の求めをどこまで取り入れるのかが難しい問題
論争では、貿易の話なのに、科学の不確実性などの直接関係がない問題が提起されることがあったり、リスク評価が終わってからリスク管理やコミュニケーションを始めるとなっている。それでは、アスベストのように過去に問題が発生してしまったものにはどう対応するのか
鳥インフルエンザがヒトにも影響するとわかったときに、卵の処理問題が評価の前に起きたり、評価や管理の前にクレームが来てリスクコミュニケーションが始まってしまうケースもある
3. 法令
リスク評価の末に法令ができる。法令には被害を抑える働きと不安を抑える働きがある。
例えば、BSEの被害をおさえるのに、有効な手段と、BSEの不安を抑えることができる手段。このふたつが重なっていればいいが、そうとは限らない。
法律によっては被害も抑えず、不安も抑えず、人を拘束するだけ、というものもあって、場合によっては、例外を認めず改正しにくく被害を生むものがある
米国のテロ規制法(ハイマン)は、危険回避と不安抑制に有効、人を拘束する
科学は間違えを正しながら進むもので、それを法律の中に持ち込むのは難しい。法律の中の科学の役割が米国では議論され始めている。新しいリスクに過剰規制をすると規制にならない。
4.問題
- 声の大きい人によって規制ができると黙っている人にリスクがいく
- 多量の情報を公開をすると人は読まなくなる
- 独立した局は外圧に押されて、結局は独立していないことになってしまう
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