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ゲノムひろば2006in 東京「ゲノム談議」開かれる |
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平成18年11月4日(土)、5日(日)、ゲノムひろば2006 in東京が開かれました。(ゲノムひろば2006 in京都、11月18−19日開催)。5日に行われた「ゲノム談議」を傍聴したので、報告します。
特定領域研究ゲノム4領域が主催するゲノムひろばは、展示発表や対話の場を持つことで、ゲノム研究と社会との接点を意識しながら研究者と市民が交流する試みです。この特定領域研究ゲノム4領域は、2000年度から2004年度まで行われたミレニアムプロジェクトに引き続き、2005年度より新たに始まった5年プロジェクトで、「生命システム情報」、「比較ゲノム」、「応用ゲノム」、「基盤ゲノム」からなっており、全国の大学研究機関から約160の研究室が参加しています。
参考サイト:http://genome-sci.jp/
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はじめに |
司会:加藤和人氏(京都大学 人文科学研究所/大学院生命科学研究科 助教授)
2003年春は、ヒトゲノムプロジェクトが終了した華やかな時期だったが、3年たって社会からゲノム研究が見えにくくなってきているかもしれない。
現在、ヒトゲノムの研究は、普通の人のゲノムが調べられる時代になり、ゲノムの個人差のどの部分が病気のなりやすさと関係しているのかを研究している。英国のUKバンクでは50万人、日本は30万人のヒトゲノム情報のデータベースが作られている。
一方、ヒト以外の生物のゲノム研究は、動物・植物から微生物まで、多数の生物のゲノムが研究されている。終了したものが300種以上で、進行中のものが1000種以上。より広い分野にゲノムの研究が広がっている。
第一部 ゲノム研究全体と社会との関わり、余暇分野との関わりについて |
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「ゲノムをリベラルに考える」 |
朝日新聞東京本社科学医療部部長 尾関章氏
1990年代にゲノムの解読が進んだが、科学報道・医療報道は脳死・臓器移植の取材に追われ、ゲノム解読に無関心だったという反省がある。この間、刑事捜査でDNA鑑定が行われたり、米保健研究所(NIH)の遺伝子治療があったりして記事にしてきたが、系統的でなかった。それから今日までの間に、DNA鑑定などは社会に浸透してしまった。
戦後、ルイセンコ学説(生物のありようは、遺伝よりも環境要因で変わる)の影響が日本にもあった。1980年代まで、教育などを遺伝要因で語ることはタブー視されていたように思う。遺伝要因重視の極限に優生思想があり、それへの警戒もあったわけだが……。今は逆に、遺伝要因の方が次第に強く認識されている時代かもしれない。
病気は、遺伝要因と環境要因が相俟って起こることがもっと知られるべきだろう。個々人の才能を伸ばすという意味では、遺伝要因をポジティブに捉えて、環境要因と合わせて考えていくことがこれからは大事ではないか。
新しい生命科学を考えるとき、それを技術として取り込んでいくのか、できうる限り自然な状態を尊重するのか、というあたりが、これからの論点になる。憲法論議にも生命倫理はかかわってくるだろう。
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「有用性から非日常性へ〜生物学の“タニマチ”をつくる」 |
立命館大学大学院先端総合学術研究科教授 松原洋子
お相撲さんなら無料で治療する医者が大阪谷町筋に住んでいたことが、タニマチの語源だそうです。自然科学は非日常的な方法、概念を使って、現実の見え方をかえてくれるもの。世界観を変えることもある。私たちは、自然科学の世界観を自然の中で確かめることができ、小さい存在としての人間を思い知らされることもある。
社会の中の科学、研究費を拠出する納税者への説明責任という立場から科学を捉えると、科学の有用性や将来性が強調される傾向があり、科学への夢、過剰な期待をあおることになりがち。また、素人にわかりやすくしようとすると、遺伝子決定論的、要素還元主義、本質主義的な説明に流れやすい。しかし、実際のゲノム学の研究成果は、セントラルドグマに収まらないNC(ノン・コーディング)−RNAなどに広がりつつある。
ゲノム研究に対する社会の理解を得ようとすると、役に立つという観点でゲノム医学、ゲノム疫学の話が中心になりがちだが、「モデル生物との比較対象となるヒト」という人間をとらえるセンスを伝えることも必要ではないか。自分の治療に関係ないバイオバンクの理解は、主観を離れた生物としてのヒトの不思議の感動から生まれるのではないか。私自身、妊娠している時には、生物としての自分の発見に興味を覚えた経験がある。ゲノムへの理解は役に立つだけでなく、見かたを変えてくれる科学や生命の面白さを教えてくれる側面もある。
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「線虫」 |
名古屋大学大学院理学研究科教授 森郁恵
私は、行動はどういう神経回路でどのようにプログラムされているかを線虫を用いて研究しています。
線虫は体長1ミリで、995の遺伝子を持ち、302個の神経細胞を持っている。雌雄同体。たまに精子しか持たない個体が出て、遺伝学に従って増えるので、実験材料として優れている。多細胞生物として初めてゲノム解読がされた(2002年ノーベル賞受賞)
個体レベルで突然変異体をとれる(ある刺激にある行動を起こす、起こさない)ので、その神経回路を突き止めることができ、対応する遺伝子を調べることができる
突然変異体を単離できるので、順遺伝学的アプローチができ、また、遺伝子ノックアウトができるので、逆遺伝学的アプローチができる。
私自身は線虫の温度走性の研究をしている。餌は大腸菌で、15−25度の間で、4時間飼育すると、その後も同じ温度の場所にとどまろうとする(温度の記憶があるに違いない)→温度受容、行動可塑性、記憶・学習のしくみの研究につながる
飼育温度を記憶できない突然変異体の線虫が現れたとき、その理由を調べるのに、ゲノムの研究成果が私の研究に貢献してくれているのは、この時間が短縮したこと。2年かかったものが、20日間くらいに短縮できるようになった。
純粋の科学の歴史があり、ゲノムの構造を求めていた時代があって、ゲノム研究が進んできたが、科学研究の流行はメディアやトップジャーナルの編集事務局が流行をつくっている印象がある。作られた研究の流行は否定しないし、大型予算が研究を進めるときもあるが、現象をとことん見つめながら、ゲノムをツールとして使っていく方法もあると思う。
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パネルディスカッション |
司会:これからの10年、何を話題にしていくことになるのだろうか
尾関:科学ジャーナリズムは、有用性に固執しすぎてきたが、臨床的な部分だけでなく、基礎的な生命科学の視点をもった方向にこれからは向いていくはず。
松原:科学者、研究者が疲れている時代だと感じており、初心に戻って考えたい。科学研究が大掛かりになり、政策の一部となってきている。市民の関心動向をさぐるリサーチばかりしていないで、わかりにくい科学の概念そのものを市民にぶつけてみてもいい。『博士の愛した数式』(小川洋子著)の人気は、数論の非日常的世界の美が魅力的だったこともあると思う。有用性や、市民の意識調査にばかり注目しないで、科学の非日常性の魅力を提示してはどうか。
尾関:科学ジャーナリズムへの期待のひとつに子供に夢を与えるというのがある。メディアにとって、科学の非日常性は、子供向けの「夢とロマン」と思われがちだ。だが、実は大人向けの「怖さを含めた驚き」、知的発見ではないか、と私は考えている。
司会:こどもに夢とロマンを伝えるのがサイエンスコミュケーションだという考えがあるが、私は違和感を持っています。夢とロマンを与えることに加えて、もっと深いことを伝え、議論する必要がある。
辻:知的驚きを、今の科学ジャーナリズムは純粋を伝えられていないと思う。
尾関:表面的な有用性から科学研究を持ち上げ、その一方で副作用としての社会的害悪を非難することが科学ジャーナリズムの務めであるように思っている人が多いようだが、科学の知的探究という側面を伝える仕事もある。そこには知ることの怖さもある。
森:知る権利、知らずにいる権利について発言します。名古屋大学では、全学部の1年生は前期に15名のセミナーでDNA鑑定などの勉強をする。自分の遺伝情報を知りたくない、知りたい、を半々の学生が答え、彼らはそれぞれ裏づけを持っていた。
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「ゲノム上の塩基配列の多様性で、どうして病気が起こるのでしょう」 |
東京大学大学院医学系研究科教授 辻省次
ゴーシェ病という病気は、1塩基の違いで、古くなった細胞の処理がうまくいかなくなる病気で、日本人には少ないが、ユダヤ人には多い。治療法として、酵素補充療法(酵素を静脈から入れると、症状がよくなる)ができ、今では、組換えDNA技術を使って酵素を作れるようになり、保険も適用されるようになった。
病気には遺伝要因と遺伝要因がある。この20年に病気の原因になるDNA配列を見つける技術は非常に向上してきている。ゲノム上の目印とでも言うべき多型パターンを調べて,疾患に関連する遺伝子の存在する場所を絞っていく。具体的にはDNAチップを使って数十万の多型を1日で調べられるようになっている。
ゲノム解析から治療法確立へのロードマップをつくる(大規模ゲノム解析→ゲノム解析データの検証→臨床的意義の検証→治療法の開発→診療への導入)道程では、ゲノム研究は一部分でしかない。しかし、これからの医学の発展の基盤となる大切研究.精度の高い臨床情報とゲノム資料の蓄積が大切。将来の夢として、個人の血液から個人の病気のなりやすさや治療の仕方がDNAチップから決定できるようになるかもしれない。
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パネルディスカッション |
司会:遺伝要因が大きい病気を想定したとき、人は自分の遺伝情報を知りたくないと思うのではないか
辻:遺伝要因と環境要因の両方に関わる病気も、いつかは分子レベルで記述できるようになるはずだと思う。今は遺伝要因が見えてきている段階。
司会:病気の原因はわかるけれど、治療できないとわかるだけではないのか。
辻:治療法のない病気というのは確かにあるが,治療法の確立を目指した研究は必ず発展していくと思う.その過程においては,「診断はできるが治療法が未だ見つからない」という段階は必ずある。
療法のない病気は、「ある発展段階」では存在するが、必ずそれは発展していくと思う
尾関:遺伝子診断ができると、追い詰められる人が出てくるので、その人たちを守る社会でなくてはならない。まず、知らないでいる権利を行使する人を受けいれる社会であるべきだろう。それでも知ってしまった人をどう支えるか、も課題だ。
松原:「科学を通じて個人を知ること」が危険なときもある。ハンチントン病の家系にあり、ハンチントン病患者の研究者でもあるナンシー・ウェクスラーは、遺伝子研究の科学的意義を知り尽くしたうえで、なおかつ「知らないでいる権利」を主張した。遺伝子情報を知ることが、患者の生活を脅かすこともある。たとえばちょっとした体調不良で病院に行った患者が、珍しい遺伝的変異を持っていることがわかり、主治医が研究したくなってしまうこともあるだろう。健康情報を知ることが善という医療の世界では、「知らない権利」をあえて主張しないと患者本人では収拾がつかない事態にまきこまれてしまう。どういう局面で、どういう人に協力を求めることができるかを丁寧に考えるべき。
森:学生の講義の中でのDNA鑑定に際しては、発病の可能性・発病しない可能性が5分だと説明した。それでも知りたい、知りたくないは半々だった。その5分をどう考えるかが個人により異なる。筋ジストロフィーの遺伝子には、若くて亡くなる型と、60歳過ぎで発病するベッカー症候群の型がある。今は健常者でも将来、発病する可能性があれば、人間はとても悩む。将来も考えに入れると、健常者の境界も危うくなる。
辻:病気の原因がわかって,そこから治療法が確立していというのが医学研究の基本的な流れ.遺伝子研究の成果が診療の現場に反映されるようになってきている。治療法がない段階で、その病気になる可能性を診断することには,いろいろな考え方があり,一人一人の考えが尊重されることが大切。病気の研究を進めて行くには,患者さん,健常者の多くの方々から試料を提供していただくことが何よりも大切.また,ゲノム解析の規模が大きくなってきており、規模の大きな研究費のサポートも必要.総合的な取り組みがないと病気は克服できない。
尾関:健常者とは何か。人間は、さまざまな遺伝要因をもっており、「完全」な健常者はいないことがわかったのも、DNA解析のおかげだ。ただ、研究の発展のために試料を提供することなどには、個人が自発的な意思にもとづいて協力することが大事だろう。さらに、世の中全体が、遺伝病の因子を持つ人とどう向き合うなどを併せて考えなくてはいけない。
辻:医学の成果の恩恵を得たいという気持ちはみんな同じだが、試料提供などの皆の協力なしに成果は得られないことを知っていてほしい。
松原:患者には医療消費者という意識が強いが、その人が受ける治療には、それまでの患者さんのデータが生かされている。これまでのデータ集積は、被験者保護の歴史の中でだまし討ちだったりした事実もある。医学研究への信頼、意義を何が支えているのか。研究者としての誠実さだけでなく、末端の主治医が患者との接点も重要。
参加者1:ことばの定義ができていない議論はうまくいかないもので、今日のディスカッションには曖昧なところがあると思った。
参加者2:ボランティアになるのはいいが、自分が実験材料になるのは腰が引けるのが本音。被験者が、「自分が科学研究の対象になることを面白い」と思えるようになるにはどうしたらよいか
辻:まず、情報発信が足りないのではないか。
松原:自分の治療に生かされなくても、科学の発展のタニマチになることが大事。個人情報の漏洩への不安には、きちんとした運営で対処できるはずだと伝えるべき。
司会:ジェネティック・ソリダリティ(遺伝的連帯)という考え方が出てきている。自分のゲノムの研究は人類のための研究につながる。これが日本社会で受け入れられるかどうか
尾関:もう少し、公益性を考えよう。医者に行くときは、自分の治療のことと同時に、ちょっとだけでもみんなの健康のことを考える視点が大事。しかし、公益性重視を究極まで進めると、個人として何も守れなくなってしまうので、それもまた危ない。
辻:現場では、研究計画は倫理審査委員会で厳しい審査されており、研究者個人の興味で認められることはないことをわかってもらいたい。
参加者3:ヘリコバクターピロリが見つかって、薬を飲んで、胃潰瘍が治るようになった。これはすごいことだと思う。こういう実績もあるが、確かにうそっぽい有用性の言いすぎがある。
松原:科学研究費の申請書では、風呂敷を広げないといけないときはあるかもしれないが、すべての場面でそれをしなくてはいけないわけではない。普通の人に、科学者が「そこまではできない」とはっきり言うべき。
辻:しかし、「ほどほど感」でありのままを話すとメディアからは、記事にならないと言われる。
森:記者には、自分が思っている有用性に話しを持っていこうとするところがある
尾関:それは余りよい記者でないようだ。ガンが治るだけが有用性ではない。有用性の中には、知的好奇心も含まれる。
司会:きょうのキーワードは「リベラル」だと思う。学者として議論ができるリベラル、社会の中で試料を提供するかどうかのリベラル、傍に遺伝子疾患の人がいたときにどう関わるかというアクションを含めたリベラルがある。
尾関:夢とロマンでなく、考えれば考えるほどに覚悟を決めていかなくてはいけないのが、今の生命科学。人を傷つけない社会でありたい。
松原:病気の受け止め方には、地域差があり、未だに、病気が身内の結婚に影響すると悩んでいる人がいることを忘れないでほしい。
森:ゲノム研究の話になると、必ずゲノム医療にいってしまうように、ゲノム医療は患者を含めて、人々にとって切実な問題だと感じた。
辻::医学研究者は病気を治したい気持ち一筋で進んできている。学問的な好奇心で何かをしようというようなことは決してない.そのことをよく分かって欲しい。今日のディスカッションは,ゲノム医学研究が一般の方々にどう見えるか,というところがわかってよかった。
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