12月6日(月)、12名の参加者を得て、第12回談話会を開きました。スピーカーは(株)エスアールエル 法務部コンプライアンスチーム 堤正好さん。
私たちはお医者さんで血液検査を受けることがあります。その血液は大規模な検査会社に送られ、検査結果だけが戻さて診断に使われています。使った血液には個人遺伝情報が含まれ、検査結果やデータは臨床情報となり、研究機関や病院においてこれらが組み合わされて、大量に集まると、医学の研究の貴重なデータとなります。病気の治療や医学の進歩に役立つならば、大いに利用されてもいいと考えがちですが、ここで、プライバシーの保護や情報の管理がきちんと行われないと、よかれと思って協力したことから思わぬ差別が生じる可能性もあります。私たちも個人遺伝情報について理解し、このような対話に参加しなくてはならないのだと思いました。
*ELSI : Ethical Legal and Social Implications (倫理的、法的、社会的に関係があることがら)
|
|
堤正好さん |
参加者全員で記念撮影 |
|
1.堤さんのお話 |
(1)はじめに
日本には、研究、医療、ビジネスなどいろいろな分野のガイドラインがあり規制をしているが、遺伝子診断、出生前診断は、実際はどのくらい行われているのか、実態を知らずに倫理関係者が議論していてもだめではないかと思っている。私自身は、1996年に母体血清マーカー検査についてテレビ番組で報道され、その後検査のあり方が批判され、会社が倫理的危機に追い込まれことがあり、それ以来検査に関わる外部環境を自分の目で見て耳で聞いて歩こう!を貫いているつもり。
(2)考え方
WHOのガイドラインでは、個人の自律(autonomy )に対する尊重、仁恵(beneficence)、被害防止(non-maleficence)、正義(justice)が倫理原則として掲げられている。
・遺伝医療時代への準備(患者参加型医療、市民や医療者に対する遺伝教育の充実など)
・予防医学および遺伝子診断に対する配慮(個人の尊厳の尊重、個人遺伝情報保護、患者の自己決定を保護するための環境整備)がなされる必要があると書かれている。しかし、このように示された倫理原則をどのようにすればその主旨が生かされるのだろうか?倫理原則と診断のための臨床応用のあいだにある距離をどう捕らえて、どのように整理するのかを考える必要があると思う。また、このためには各種倫理指針を参照する必要があると考えている。これら指針は来年4月の個人情報保護法の全面施行を前に個人情報保護の視点から全面的に見直しが行われている。
(3)研究の広がり
- ゲノムからフェノームまで
現在各種研究における研究対象は、ゲノム(ゲノムシーケンス、遺伝子)からトランスクリプトーム(mRNA)、プロテオーム(タンパク質)、メタボローム(代謝)、フェノーム(表現型)とひろがり、いろいろな知見や技術を組み合わせて研究を進める必要があり、一筋縄では研究が進まない状態。
- ゲノム情報を用いた研究のやり方
研究方法にはケースごとに捉えるケースコントロール研究(スタディー)とコホート(軍団)研究等がある。コホート研究は集団を継続的に大規模に調査する、前向きなアプローチ。ひとつマーカーではわからなくても、集団の全体のデータを抑えておけば、どの変異がマーカーかわかることがある。また、ある遺伝子の変異を調べていくと、ある病気を見つける目印があることがわかる。今後この研究手法はますます重要になると考えている。
現在は、研究で得られた成果が臨床で応用できるかどうかは、科学的知見が明らかにされた後何年も追跡調査が必要となっている。特に生活習慣病の遺伝的要因を研究する場合には、疫学研究とゲノムの情報をあわせないと役立つ情報が得られなくなっていると考えている。なお、英国のバイオバンクではゲノム情報を疫学研究とあわせて半世紀後に実用化することを想定して、いろいろな視点から活発に議論をして制度設計をしているそうだ。
(4)技術的なことであまり知られていないこと
- 体細胞遺伝子解析と生殖細胞系列遺伝子解析
検体(試料)から核酸(DNAやRNA)を抽出して検査する遺伝子検査には、感染症(外来性因子)関連の遺伝子検査とヒト遺伝子検査の2分野に大きく分けられる。また、後者のヒト遺伝子(内因性)検査では、体細胞遺伝子検査(がん細胞に起きた後天的な遺伝子の異常を解析する場合)と生殖細胞系列遺伝子検査(生殖細胞系列の遺伝解析とは、世代を超えて受け継がれる遺伝形質を規定している遺伝情報を解析する場合を指す。)がある。倫理的に保護の対象になるのは、これまでは基本的には生殖細胞系列の遺伝情報を解析する場合だが、現在はそれら以外の分野でも、各種情報を倫理的に取り扱うことを求められるようになってきた。例えば、感染症の検査に関わりますが、B型肝炎のキャリアーの人が職場で気を使うような場合は、個人情報の保護の対象にある程度なるのかもしれない。このように個人遺伝情報や個人情報の保護が大事だということの理解こそが浸透すべき
- 人の一生と生殖細胞系列の遺伝情報を扱う場面はどんなところか
人の一生は受精から始まるといわれている。その人の一生の中のいろいろな場面で生殖細胞系列の遺伝情報が扱われている。基本的にわれわれ臨床検査会社では出生後の患者さんを対象とした検査を受託している。例外として羊水染色体検査などの出生前診断のための検査を実施している。また、着床前診断については、現在も倫理的側面について激論が交わされていることは最近の新聞報道等で分かりる。(着床前診断は、当然のことながら検査センターで検査として実施すべきものではない。)
- リスク診断と病気の診断(確定診断)は違う
リスク診断と確定診断は異なることを認識しておく必要がある。
例えば、妊婦を対象とした母体血清マーカーの検査はダウン症を妊娠している確率しかわからない検査。確定診断のためには羊水染色体検査を実施しなくてはならなくなる。
また、生活習慣病のリスク診断であるゲノム情報をどう受け止めていったらいいのか難しい問題がある。例えば、「あなたの場合、XX病にかかるリスクはそうではない人の○○倍です」と結果を受け取った場合、私たちはその情報をどのようにどのように受け止め、どのように具体的イメージを持つことができるのだろうか?
このように、単因子疾患と多因子疾患の区別、単因子疾患におけるゲノム(遺伝子)情報の関わりと多因子疾患におけるゲノム(遺伝子)情報の関わりはまったく異なるとの認識が無くてはならないと考えている。
(5)SRLでやっていること
SRLでは、1日に約10万サンプル(血清や組織など患者さん由来の臨床材料)以上の検査をし、生体から得られる情報を測定しています。検査後のサンプルは臨床医の希望があれば返却しますが、原則は廃棄することになっている。
なお、ヒトゲノム指針や衛生検査所協会の倫理指針の対象となる解析や検査は、10万サンプルのごく一部ですが、研究計画等を倫理審査委員会で審査している。臨床研究に関わる倫理指針では、遺伝子ばかりでなく、血清も適応となる。
私は、倫理審査委員会の事務局を担当しているが、研究や検査を行う人たちには検体の向こうに、人(患者さんやその家族などいろいろな人達)がいることがなかなか見えてこないことが往々にしてあるので、こういうところに考えを広げて研究や検査を行うようにして欲しいと考えている。
(6)日本で行われている検査の実態(日本衛生検査所協会(日衛協と略)の調べによる)
日本衛生検査所協会では、2001年に「ヒト遺伝子検査受託に関する倫理指針」を策定した。この指針の公表に合わせ、日衛協に加盟している検査センターの遺伝子・染色体検査の受託実績を調査した。2001年の実績では、倫理指針の対象外の感染症の遺伝子や白血病の染色体検査が約235万件あった。(感染症の遺伝子検査の場合は、その治り具合や進み具合をみるために同じ人が何回か検査を受けている場合もカウントされている可能性がある)
このように倫理指針の対象外のものが多いことが、社会によく示されていないのが現状。
以上に比べ、倫理指針の対象になる検査は4.4万件。その多くは遺伝性疾患の染色体検査で約3.4万件。それ以外では遺伝性疾患の遺伝子検査が多く約4000件。
また、現在注目されている薬剤応答性診断に関わる遺伝子検査は約1200件。現在はこの数がもっと増えているのではないかと考えている。薬の効果判定を考える場合は有効性だけでなく、副作用とあわせて検討すべきでないかということが整理されずに話されていることが多いとも感じている。
(7)遺伝子検査の価格
遺伝子検査が注目されているが、他の検査に比べてまだまだ高価であるため、すべて遺伝子解析する必要はないと思う。遺伝子・染色体検査に関わる費用については、染色体にかかわる検査は20、000円で保険が適応される。
ヒトの遺伝子をDNAやRNAを使って調べる遺伝子検査では1種類(白血病の遺伝子検査)だけ保健適応が認められている。逆にヒトの遺伝子検査のほとんどすべては保健適応外ということができる。遺伝性疾患の原因遺伝子を検査する場合には、大きな遺伝子であればひとつの遺伝子を解析するのに、20万円弱かかる場合もある。
遺伝子検査の中で臨床的有用性が明らかになり一般化しているものでも解析に2−3万円必要。保険で認められていない検査も非常に多いので、患者さんの診断のための費用を医師が研究費で払ってしまうことがある。このため、信州大学では必要な検査料を患者さんが払えるような仕組みを大学につくろうという動きもある。
最近DNAチップに注目が集まっている。DNAチップは初期には、1回25万円位だったが、今は5万くらい。しかしこのDNAチップを使って検査をすれば、いろいろな費用が加算されて最終的にはおよそ20万円程度に。このため臨床の場での実用化にはまだまだ時間がかかると思っている。
(8)技術と倫理原則の調和・融合が必要
患者さんのサンプルに臨床情報がないと医学の研究には活用できないのに、現在の指針では、そのことがあまり表に出ていないことは大変問題だと思っている。そのことが正しく市民に説明され、ヒトゲノム指針の中身をどうやって実現していくのかをきちんと議論していかなくてはいけないのではないか。
5−10年後に遺伝子診断も他の診断のように自然に受け入れられるようになるといいと考えているが、その為にはもっといろいろな角度から議論されなくてはならないのではないか。我々も単に技術を追いかけるだけではなく、広く社会の中でその技術が生かされていくのかを考える必要があり、やっとそのような議論げきるいい時代がやって来たと思う。
|
2.質疑応答 |
(→はスピーカーの発言、Qと○は参加者の質問や意見)
Q1:体細胞と生殖細胞の違いとは
→普通の大腸がんの組織の異常は体細胞の遺伝子解析で見つかり、その異常が遺伝することはないが(がん細胞にだけ起きた異常)、遺伝性の大腸がんは生殖細胞系列のAPC遺伝子に傷がついている(発症していなくてもこの傷は見つかるもある)このため、大腸がんの組織だけではなく血液でも髪の毛の毛根でもこのような異常は認められる。生殖細胞系列の異常は遺伝素因として世代を超えて受け継がれていく。このように全身の細胞で同じ遺伝情報を持っている場合は、生殖細胞系列の遺伝子に変化があり云々と言われる。
Q2:リスク診断と確定診断とは
→多因子疾患の中で、糖尿病や高血圧のような生活習慣病では環境因子の影響も大きく、現在の研究では病気になり易さは、「XX病になり易さは、普通の人に比べて○○倍高いでいすよ」というようにリスク(確率)で表す。私たちはこのようなリスク診断の受け止め方の訓練を受けていないのが現状。リスクの考え方の教育から始めなければならない。遺伝子診断でなくても十分な診断はできる。一方、単因子疾患においては、遺伝子の異常が直接病気と結びついており、確定診断に利用できる。
Q3:環境因子と遺伝因子とは
→生活習慣病のような病気は、環境因子と遺伝因子(多因子疾患、単因子疾患)が複雑に関わりあっている。最近は、遺伝要因を強くいう傾向がありすぎると感じている。
○ 食習慣は、環境因子に入ることを伝えるべきではないか。
Q4:生検で、遺伝性のガンまで調べるのか
→生検でそこまでしなくても、家族のガンの履歴が役立つ。
Q5:SNPとは
ヒトの遺伝子は2万2000くらいあり、ゲノム配列が少し異なると遺伝子から合成されるタンパクが異なる。たとえば、酒の強さも酒を分解する酵素を作る遺伝子の1塩基の違いによって起こる。この違いをSNPという。1%以上ある違いは多型と呼ぶ。線引きは難しい。多型より少ない頻度で出るものが変異(SNP)。個人の違いといわれる0.1%はSNPの集計(意味のわかっている遺伝子、プロモーター部分、ジャンク部分など)生活習慣病にかかわるSNPをしぼるにはコホート研究が必要。
Q6:ケースコントロール研究とは
○データベースを作ってケースコントロール研究をしようとしているが、リスクについての仮説の検証、強化のために使われている。コホート研究(前向きにやるので時間がかかる)ではケースコントロール研究をしっかりやってあると、リスクを推定しやすい。
リスクの有効性は治験のような形でコントロール(対象群)やプラシーボ(偽薬)をおいてきちんと実験をしなくてはならない。リスクは、ケースコントロールスタディで間に合うはず。
Q7:ヒトに関わる生命倫理を考えるときには、個人の尊厳より、差別化にならないように、という考え方が大事ではないか。
→全く同感。B型肝炎のキャリアーの人が、気を使わなくてはならないような社会はよくないと思う。
○ 倫理学ではヒト(の組織)を道具にしてはいけないというが、それなしに医学は進んでこなかった。
Q8:人間とは何か、遺伝情報の意味を理解するためにも、遺伝カウンセラーが大事。この分野の今後の日本での見通しは?
→専門医制度と遺伝子カウンセリングコースがすでに2講座信州大学と北里大学に開設されている。重要性は増して認められつつあると考えている。
○遺伝カウンセラーの海外の教科書は、一般の市民の理解にも役立つと思う
→誰が、どういう方法で伝えるのかが難しい。卵子、精子、胚は想像できるが、DNAはイメージが湧かないので、なかなか認識されにくい。
Q9:遺伝子検査の組織は検査後に焼却だそうだが、データは?
→データは5年残し、処分。検査依頼時に使う依頼書にはほとんどカルテ番号は書かれていないのが現状。
|