2010年6月4日(金)、くらしとバイオプラザ21事務局会議室において談話会を開きました。お話は東京大学大学院生命科学研究科・くらしとバイオプラザ21副代表 正木春彦さんによる「生物多様性に微生物は関係ないの?〜生物教育から微生物を考え直す」でした。学習指導要領改訂とも関係づけたお話をいただき、中学校・高等学校の先生が多く参加し、幅広い話合いをすることができました。
正木先生のお話 | 参加者の皆さん |
はじめに
微生物はまずコロニーとして菌を分離するところから研究が始まる。ところが自然界の多くの微生物はコロニーを作らないことがわかってきた。私たちはコロニーを作る突然変異体しか知らないのかもれない。現在コロニー形成の遺伝学に興味を持って研究している。
最近のもうひとつのテーマとして、自然界のたんぱく質はL-アミノ酸から成るというのは常識だが、その実証研究はない。生物に完璧はないはず。D型が含まれるタンパク質があるのではないかと、やっと一例みつけたところです。これも研究テーマです。
さて、数年前東大教養学部のカリキュラムが変わり、非生物系の理科1類にも、現代のリテラシーとして生物を必修にしたので、そのための「生命科学」という教科書を作った。次いで、生物系の理科2,3類を対象とした生命系学生の教科書、そして文系学生のための教科書と全部で3種類作成。文系学生向けは社会との関係も述べられ、好評のようだ。
このとき、微生物のことを書こうとして、微生物以外の生物の先生と価値観が大きく異なること、微生物の世界で当たり前のことが世の中に通用していないことに改めて驚いた。それでは、微生物を研究する現代的意味は何だろう。
微生物の意味1
(1) 生活の役に立つ 例) 発酵
(2) 健康を脅かす存在 例)病原菌
(3) 生命モデルとして 例)ゾウリムシ、大腸菌
高校教科書で「微生物」はどこで登場するか? 生物Iでは、細胞の種類と構造の章のほか、遺伝子の仕組みと構造のモデルとして、そして生体防御の相手の病原体として登場する。
生物IIでの微生物は、様々な代謝のほか、病原体と免疫、遺伝子構造と発現機構のモデルとして、生態系の中での分解者として、生命の起源や分類での位置付けとして扱われている。
旧来、医学系は病原体として、農学系は役に立つ物としてアピールしてきたが、教育には病原体と生命モデルしか登場しない。モデルとしてよく登場するがそれは装置としてであり、そもそも微生物を生き物として捉えていない。
新しい微生物の意味付け
お腹の中では、100兆の微生物が毎日入れ替わっており、排泄物の3分の1を占める。このように人と共生するものとしての新しい意味付けもある。しかしそれを含め以上はすべて、人にとって関わりの大きさを競っている。
人との関係を離れ、生物多様性の宝庫として微生物を見ることはできないだろうか。さてその生物多様性だが、「ニュートン」平成22年6月号の生物多様性特集を見ると、微生物を生物として勘定に入れていない表現が目立つ。微生物と生物多様性の関係の再検討が必要である。
生物多様性とは、①生態系の多様性、②種の多様性、③遺伝的多様性の3つの見方があると教科書には書かれている。遺伝的多様性は種内個体間のゲノムや遺伝子の違いであって、これは種の多様性の下部構造に過ぎない。生物全体を遺伝子で見る視点が抜けている。
ホイッタカーの生物5界説では、植物、動物、菌類の下に原生生物と細菌(モネラ)がある。動物、植物、菌類の3種類は、種の多様性が目で見えてわかりやすいが、遺伝子そのものの多様性を軸に「種」を見直したらどうなるのか。種の多様性とは別の視点、遺伝子の多様性が重要。
昆虫は100万種、微生物は1万種未満とされているが、細菌の中の既知の種は極めて一部にすぎない。微生物は昆虫など動植物と種の定義が異なる(微生物は有性生殖しないので)。また人に影響を与える関係の深いものだけが分離同定され登録されるだけ。一般に微生物は培養の難しいものが多く、個体数も数えられないので、多様性の数値化が難しい。
3ドメインと五界説(Woeseの論文の図をもとに作図)※ |
3ドメインとは
新指導要領では5界説での説明はなくなり3ドメイン説が採用された。
生物の共通遺伝子としてウーズはリボゾームに着目し、3ドメイン説を唱えた。彼は16SリボゾームRNAの違いから分岐を距離で表現し、rRNAからみた生物全体の分子系統樹を作成した。その結果、バクテリア(Bacteria、真正細菌)、アーキア(Archea、古細菌),ユーカリア(Eucarya、真核生物)という大きい3グループになった。動物、菌類、植物はそれぞれユーカリアの枝の一つにしかならない。これは遺伝子の多様性を客観的にみたものである。同じ全生物を対象とする5界説と3ドメイン説の対応は、大きく歪んでいる。
新学習指導要領では、5界説と3ドメイン説の間の関係を説明しなければならない。生物を種の多様性で見たものが5界説、遺伝子の多様性で見たものが3ドメイン説である。種の多様性で見ると微生物は除け者だが、遺伝子の多様性で見ると大半を微生物が占める。
微生物とは、動物と植物の補集合である。一般に、補集合とは、興味のないその他大勢を一括りにするものであり、その多様性は無視される存在。
・生物から動物と植物を除いたもの(補集合)が微生物。
・生物から真核生物を除いたもの(補集合)が原核生物。
・真核生物から多細胞生物を除いたもの(補集合)が原生生物。
細胞が生物の単位であるという細胞説の強調も弊害。生物が細胞からなるという理解は、植動物という多細胞生物において意味のあること。「単位」を強調すると細胞の多様性が消え(単位に個性はないはず)、単細胞生物の個性も消える。原核生物は1ミクロン程度で、動植物細胞は数十ミクロン、体積で1万倍も違うのに、細胞だからと一緒にすると無理が生じ、原核細胞にオルガネラはない、などという的外れの教育となる。
種の多様性とは、遺伝子や細胞の多様性でなく、多細胞生物における細胞間相互作用の多様性を見ていたわけで、それを現したのが5界説。3ドメイン説は遺伝子や細胞といった生命の素材の多様性を示したもの。世の中では、種の多様性しか注目しないが、遺伝子の多様性をこれと区別して、重視すべき。
COP10にみる生物多様性
1992年のリオサミットで、気候変動と一緒に生物多様性が議論された。結論は、遺伝子資源に関わる利益の公正かつ公平な配分の要求で、これは、京都議定書に対してカルタヘナ議定書にまとめられた。
途上国には今まで遺伝資源を搾取されてきた歴史があり、科学技術の利益は途上国にも公平に配分されるべきという考えがある。日本で「生物多様性」というとブラックバス等の外来生物や里山がとり上げられるが、COP10の本当の焦点は遺伝子の特許。種の多様性から遺伝子の多様性に力点が変化しており、その背景には、政治的・社会的な理由がある。
教育も種の多様性から、遺伝子の多様性に座標が変わる。遺伝子の多様性、微生物の多様性は違うという視点を欠いた生物多様性の教育は脆弱で危険でもある。
今までの高校生物では、メンデルの法則という個体間の遺伝からDNAに飛躍していた。今からはDNAベースの遺伝学となる。仕組みはわかりやすくなるが、DNAはあくまでも細胞レベルの遺伝現象。それがわかったからといって個体間の遺伝がわかる訳ではない。体細胞系列と生殖細胞系列の違いが理解されなければGMOの誤解は消えない。
- 3ドメインの意味がこの図でよくわかった。素晴らしい。細菌の多様性の講義はしても、地球は、多様性でも量でも微生物が圧倒的な星なのだと教えてこなかった→量として説明するとき、30分で2倍に増える微生物は、5時間で1000、10時間で100万、15時間で1億個となり、これで1mg。40時間で100万tになり、65時間で地球の重さになる。実際は栄養分がなくなったところで増殖は止まるが。ヒトの成長は時間に比例して感じられるが、微生物は1億個くらいに増えたところで、急に液が濁ってみえ、自然発生と感じられる。
- 生物は暗記ばかりだった。どうしたら面白くなるだろう→細胞レベルの遺伝と個体のレベルの遺伝の区別が必要。DNA情報に従い細胞はコピーを作る。ヒト受精卵は60兆個の細胞になるまでセントラルドグマを繰り返す。その結果、親と子は似る。個体間の遺伝を教えるためには体細胞系列と生殖細胞系列の区別が大事。
- 遺伝子治療は体細胞系列の異常を補正するもの。牛肉を食べても牛にならないのは、牛肉がアミノ酸に分解されるという説明をするが、牛の遺伝子が生殖細胞系列に入らないことこそ言うべき。
- 新学習指導要領には発生がなくなり、中学でメンデルの法則を学んだ後、高校で多様性になってしまった。
- 多細胞生物の問題に直面している。体細胞レベルの遺伝と生殖系列の細胞の遺伝をどう教えたらいいのか。遺伝子で考えるとわかりやすくなると思うが注意しないと混同しやすくなるのではないか→メンデル法則で個体レベルの遺伝を教え、多様性で遺伝子の多様性を教えることになるが、それでよいのだろうか。今までは、セントラルドグマはひとつの流れとして教え、体細胞と生殖細胞の流れの違いは自分で気付かせるような教え方になっていた。
- 私はニュージーランドの教科書のワークシートを使って教材を作っている。発生では外胚葉、内胚葉、中胚葉という流れがあるが、その途中で生殖細胞は別ラインになることがわかるようになっている。これを中学校で教えないと、混乱する→これなら中学生も理解しやすいと思う。
- 植物の人は生殖細胞系列の話を余りしないので、遺伝子組換え作物・食品の説明で体細胞と生殖細胞の話が出てこない→遺伝子組換え食品を消化だけで説明しない方がいいと思う。たんぱく質が完全に分解されたらアレルギーも起きない。腸管表皮細胞の再生周期の説明もすべきだと思う。微生物で当然のことが常識になっていない。微生物屋には危機感がある。モデルとしての神通力がなくなりかけている昨今、微生物を研究する意義は何か。
- 遺伝子がかなり研究されてきたが、医薬系の立場としては実生活に結びつく教え方をしてほしいと思う。DNA万能主義に教育になっているような気がする。細胞のプログラムが大事でDNAはちっぽけな部分だと思う。遺伝子が発現しないと病気は発症しない。
- 細胞間コミュニティは新学習指導要領ではどんな風に扱われているのか→減ってはいないが、高校生の約1割しか履修しない生物IIでとりあげるだけ。
- マスコミは情緒的に市民を煽っていると思う→メディアが煽るといっても、遺伝子組換え作物の遺伝子が人に移行する不安に対し、「牛肉を食べても牛にならない」という説明は乱暴。腸管上皮細胞に入ったとしても、細胞が短期間に世代交代してしまう。生殖細胞、幹細胞に入らなければ影響は現れない。その意味では上の説明も自ら誤りを犯している。
- 体細胞と生殖細胞の違いは常識だと思う人といない人がいるという話を聞いていて、私は食品関係なので、賞味期限と消費期限の違いと似ていると思った。
- 生物と微生物の境界は→自分と同じものを代謝し、再生産するものが生物。ウイルスの起源は一通りでないはずだが、増殖ロジックが暴走したもので寄生しないと増殖できない。
- なぜ暴走するのか→ダーウィニズムに従った現象だと思う。暴走では、拡大再生産し周囲を破たんさせるまで増殖する。RNAベース、DNAベース、いろんなシステムを利用して暴走する。
- 3ドメインを学ぶ利点は何か。形態で分ける方が分かりやすい。植物やショウジョウバエをDNAの違いで系統分類して、高校生は興味を持つだろうか→3ドメイン説は解明されてきた中で最も正しいとして採用された。5界説から10年で3ドメインにひっくり返った。現場の多くの先生は困惑されるだろう。目で見たとき、種の違いはわかりやすい。
- 中学校では、体細胞から突然、減数分裂による有性生殖を教え、新しい体細胞を教えていたことを思う。中学1年を教えているが、動物、植物、顕微鏡でゾウリムシを教えたところ。そういう子どもに3ドメインはどう教えたらいいのだろうか。例えば中学でニュートン力学を教えても、高校で量子論を教える。だから、中学は目に見える5界説で教えて、高校で3ドメイン説を教えていいと思うが→教える時期の問題ではないか。
- タンポポには有性生殖と無性生殖があるが、ワークショップでは、そこの説明は難しく避けてきた。そこを避けると多様性は伝えにくいと思う→無性生殖をする生物の種は無理やりまとめて、共通性がある部分を1グループにしている。根拠は16SリボゾームRNA。生物の多様性は素直にみると生物は連続しているのに、無理に種と定義しているようなところもある。連続性を認めると種の境界は消えてしまい、本当の多様性を理解できないのではないか。例えば、植物は動けないから地理的隔離による分類もできるのではないか。
- 生物多様性に目に見えない微生物を入れると考えていなかった。私は中学教員。微生物をとり入れたとしても、その生物多様性をどう説明したらいいのだろう→遺伝子の多様性は、「土の下の微生物に多様性がある」と教えるだけでも十分だと思う。微生物は個体で数えられず、種の定義も難しい。とりあえずのグルーピングで議論が進んできた。
- 昆虫100万種いるのに、微生物は1万種と聞いて驚いた。
- 例えば抗生物質を探すとき、多くの微生物を集めても、役に立たないものは捨てられてしまい、種として登録されるのはその一部に過ぎない。
- 生物と昆虫のカウントの仕方は同じか→一律でない。
- ウイルスは微生物の暴走した部分というお話だったが→生物の多様性の図のあらゆる部分から暴走の可能性はあると思う。
- コロニーができないとはどういうことか→培養ができない。私は液体培養できる微生物を微生物の全体集合と考えている。液体で生きる微生物のうちコロニーができるのは10分の1。コロニー形成遺伝子を探したい。コロニーは押し合いへしあいして、不自然。コロニーを作らない方が普通で、コロニー形成できる方がむしろ突然変異体なのかも知れない。
- 人と微生物の共生は普通なのに、潔癖症の人はどうしたものだろう→バイ菌ゼロを求めるのはナンセンスだと思うが、ヒトと関係するバクテリアだけを問題にするなら、意味があるかもしれない。実際には病原性を持たない微生物が圧倒的多数。今の生物多様性は人間学の一種だと思う。
※ 図3は以下の論文を元に作成されています。
Vol. 87, pp. 4576-4579, June 1990 Towards a natural system of organisms: Proposal for the domains Archaea, Bacteria, and Eucarya CARL R. WOESE, OTTO KANDLER, AND MARK L. WHEELIS